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新潟県十日町市寿町2-6-25
アクセスマップ・地図
広い駐車場があります

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【東京駅から】越後湯沢駅で「ほくほく線」に乗り換え十日町駅下車

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TEL

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診療日時

月曜~金曜 9:00~12:30
      14:30~18:30
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水曜午後・土曜午前は不定期診療です。お問合せ下さい。

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休診日

土曜午後・日曜・祝日 ※水曜午後は不定期休診

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心のスィッチ

当院では毎月、ニュースレター「なじだね?新聞」を発行しております。 「なじだね?」とは十日町地域では「いかがですか?」という意味があります。
新聞には「心のスイッチ」というコーナーがあります。 ここでは、”ちょっちいい話”や”心が温まる話”などを掲載しております。 その話を毎月掲載していこうと思います。
尚、題字の”心のスイッチ”は居酒屋てっぺんのオーナー 大嶋啓介氏に書いて頂きました。

第165号 2024年4月ニュースレターより

なじだね新聞

「全盲になった主人」

私の主人は全盲です。30代半ばに病気が原因で徐々に視力を失っていきました。最初に症状が出て医師から「将来失明します」と言われた時、主人は絶望の淵に立たされました。

それからは、生活も荒れたりしましたが、失明までの1年間は、失明に備えて夫婦で準備を進めていました。私も働き始め、主人は点字や鍼灸学校へも通いました。そんな時主人から「君の顔を忘れたくないから1日5分でいいからじっくり見させて」と言われました。

最初は恥ずかしかったけど、徐々に日課になっていきました。私もそれ以来、化粧はほとんどせずに、素顔を見せるようにしました。そして、いよいよ失明した時、一言、彼が言いました。

「僕は失明して二つ良いことがあるんだけど、なんだと思う」私は嗚咽しながら「何?」と聞くと、「歳とってしわくちゃになった自分の顔と君の顔を見なくて済むことだよ」と言った瞬間二人で号泣しました。

その後は、毎日、私の顔を、手で触れるのが彼の日課になりました。あれから、20数年経ちましたが、彼は私の顔を触れるだけで、私の体調がわかるようになったそうです。

第164号 2024年3月ニュースレターより

なじだね新聞

これは私が社会人になりたての時の話です。

私は最寄りの駅までバス通勤していたのですが、毎日の緊張感と疲労で風邪気味になり、本来なら休みたかったのですが、新人のためすぐに休むわけにもいかず、体調の悪い中バスに乗ってしまいました。その日は雨で湿度も高くバスの中は蒸し暑くなっていました。バスの中も満員状態でした。運よく椅子には座ることが出来たのですが、渋滞でなかなか進まず、電車に間に合うかどうか、どんどん焦ってしまいました。

そのうち、体調も悪くなり、気持ちも悪くなり吐きそうになってしまいました。なんとか我慢していたのですが、もうすぐ限界になって来た時、隣に立っていた男性が「大丈夫ですか?」と声をかけてくれましたが、私は首を横に振るのが精一杯でした。「もうダメ!」と思い吐いてしまいました。その時、横の男性がすかさず、自分のバッグを開きました。私はなんとその中に吐いてしまいました。

車内は騒然となり、異臭が立ち込めました。その後は、彼と一緒にバスを降りたまでは覚えていたのですが、それ以降、気が付いたときは開業医のベッドで横になっていました。私を助けてくれた人は、「大丈夫だよ、君のバッグに社員証があったので会社へは連絡しておいたから」「先生はただの風邪だろうと言っていたから、落ち着いたら自宅へ戻って休んだらいいよ」「じゃあ、僕も会社があるから」と手を挙げて行ってしまいました。

彼は名前を聞く余裕もなく行ってしまいましたし、私は眼鏡をはずしていたので顔をはっきりと見ることが出来ませんでした。その後、看護婦さんから、彼が会社への連絡や汚物の処理などをした事を話してくれました。「今時、あんな好青年はいないわよ」と言われ、タクシーで自宅へ帰りました。彼の唯一の手掛かりは、バッグに付けてあった綺麗なお守りでした。それ以降、バスに乗る際はそのお守りを頼りに彼を探し続けました。

数週間後、寝坊して、一本後のバスに乗った際、ついに彼に再会できました。そのお守りは今、子供のランドセルに付いています。

第163号 2024年2月ニュースレターより

なじだね新聞

私は幼少の頃から養護施設で育てられました。私は両親の顔を写真でしか知れません。自動車事故で二人とも亡くなりました。チャイルドシートに座っていた私だけが助かりました。元々身寄りが少ない両親でしたから、結局は施設に預けられたようです。昔の事なので、いまさらその経緯を知りたいとも思いませんでした。

施設を出た私は、奨学金で大学を卒業し、一旦、一般企業に勤めましたが、結局、自分の育った施設の職員として働くことになりました。職員室の私の机の上には、私を抱いた両親の写真を飾っていますので、一人でいるときはその日の出来事などを話したりしていました。

ある日、宿直で残っていると、6歳の女の子がやってきました。「どうしたのかな、眠れないの?」と聞くと「ねえ、先生、この写真は先生の親?」と聞きました。「そうだよ」と答えると意外な事を言われました。「先生はいいよね、親の写真があって。私は何にもないよ」

そう、この子は捨て子でした。生年月日と名前だけが書かれたメモだけしか残されていなかったと聞きました。次の日の夕方、また、その子が来ました。「先生、私、この写真に話しかけていい」と聞くので「もちろんだよ」と答え、「先生もその日の出来事を話したりしているんだよ」と答えました。「先生、恥ずかしいからあっちに行ってて」と言うので職員室の隅で見ていると、何やら楽し気に話しかけていました。

それ以来、彼女だけでなく、他の子も来るようになりました。そのうち、その写真を子供たちは「先生のお父さん、お母さん」と言っていたのが、いつのまにか「私たちのお父さん、お母さん」と言われています。天国の両親も子供が急に増えたので、戸惑っているかな?不思議なことに、夜泣きをしたり、眠れずに職員室を訪ねてくる子もいなくなりました。今では写真は専用の棚の上にあり、周りにはお花やお菓子、手紙、成績表などでいつもいっぱいです。

第162号 2024年1月ニュースレターより

なじだね新聞

彼A君は、その年の元旦に初めて、1年の目標をノートに書いた。彼は引っ込み思案のため、なかなか人と付き合うのが苦手だったので、親しい友人もいなかった。勉強は嫌いではなかったが、英語は得意で、数学が苦手だった。このままではいけないと思っているときに、学校の図書館で何気なく借りた書籍に「目標や夢を、紙に具体的に完了形で書くと叶いやすい」という内容が書いてあった。実体験も多く載せられていた。

そこで一番に思いついた「何でも相談できる親友ができた」「数学で90点が取れました」という目標を書いた。他にも思いついたことを書いた。そのまま、ノートは引き出しにしまった。書いたことすら忘れていた4月、彼は中学3年生へ進級した。クラス替えもあり半分以上は新しいクラスメートであった。そこで出会ったのが、Y君だった。Y君は家が近いせいもあってか、登校時に出会うことが多かった。

ある日、彼がいきなり「ねえ、A君、君は英語が得意だったよね」「もし、明日の土曜日に暇だったら、僕のうちで英語を教えてくれない」と言われた。いつもの自分なら断っただろうが、頼られた事がうれしくて、「いいよ」と答え、翌日、Y君の家で勉強をした。そのうち、Y君からは数学を教えてもらい、お互い苦手な教科が好きになっていった。そして定期テストでは、お互いが数学と英語で90点以上を取った。

二人で答案を見せながら大喜びをしていると突然Y君が『実は僕は今年の初めに、ノートに「親友が出来た」「英語で90点取れた」と書いていたんだ。そしたら、両方とも実現したんだよ!だから、A君にだけこの秘密を教えてあげるね。』驚いたA君は事の成り行きを説明した。信じられない二人は、一緒に図書室へ向かった、そしてA君が借りた本の図書カードにはA君の名前の下にY君の名前が・・・・・

第161号 2023年12月ニュースレターより

なじだね新聞

「父のラーメン屋」

俺は父親の顔を知らない。小さい時に離婚し母に育てられたからだ。写真は母から見せてもらったこともない。ただし、母がうっかり父が料理が得意だった事を言ったのを覚えている。

ある日、出張で県外へ行った際に、昼飯を食べにラーメン屋へ入った。昼時なのにあまりお客もいなかったが、なんとなく入った。ラーメン屋だけど俺の好きなチャーハンを頼んだ。俺の好きな味付けだったので、それ以来、出張で行くたび食べに行った。

そのうち、お店の店主を「おやじさん」と呼ぶまでの仲になっていた。そんなある日、「『おやじさん』俺は母子家庭で父親の事を知らないし、『お父さん』と呼んだこともないので、すごくここに来るのが楽しいんだよね。今度、俺の母も連れてくるね。」

そして俺は母の日に、母親を連れお店に行った。お店に入った瞬間「あなた!」、親父さんは「〇子、どうしてここへ」俺は瞬時に状況が理解できたし、これで納得がいった。お店に俺の文字が使われていたこと、なんとなく懐かしい味がしたこと、親父さんと話が合うこと・・・・帰りの電車の中で、「母から嫌いになって別れたわけではない」「自分から身を引いた」などの事情を知った。

数年後、俺が通うラーメン屋には父と母が働く姿があった。

第160号 2023年11月ニュースレターより

なじだね新聞

「最後まで守った約束」

航空機事故はとても悲惨です。そんな中での出来事です。東南アジアの航空機で事故が発生しました。この旅客機は経費節約による整備不良が原因で飛行機自体の制御が不能になりこのままいくと海へ墜落する状態になりました。それを察した、乗客はそれぞれ、遺書を書き始めたり、家族の写真を見ながら祈ったりしていました。そんな中で、エドワードさんも妻の写真を見ながら裏にメモを書き始めました。

墜落後、すべての遺体や遺品が回収されました。遺書を書いたメモや写真が財布や内ポケットから見つかりました。遺体を確認に出向いたエドワードさんの奥さん(ジェーン)に対して、遺体安置所の係員は「ご主人の遺品は見つかったのですが、遺書らしき物は発見できませんでした」と申し訳なさそうに言いました。その時、ジェーンは係員に「すみません、彼の口の中を見ていただけませんか?」というと、係員は怪訝そうに、硬直した口を器具を使って開けたとたん「あっ!何かある」と叫びました。口から出てきたものはジェーンの写真でした。

彼女が裏を見ると“愛しているよ、約束は守ったよ”と書かれていました。エドワードさんは飛行機に乗る事が多く、日頃から「俺は飛行機での出張が多いから、飛行機事故の際には遺書は一番残る可能性が高い口の中に入れておくから」と言っていたそうです。
彼はそれを実行したのです。写真を見ながらジェーンは泣き崩れました。

第159号 2023年10月ニュースレターより

なじだね新聞

ある年の元旦、Aちゃんは小学校6年生でアパートでお母さんと二人暮らししている。新年と言っても誰が来るわけもなく、お年玉は毎年お母さんからの3,000円と決まっていた。Aちゃんは3,000円のうち2,000円で自分の欲しいものをわずかに買う程度だった。お小遣いは毎月1,000円だったので、ほとんど文房具を買ってなくなっていた。当然、ゲームなどは持っていないので友達と遊ぶこともなかった。日曜日でもお母さんは働きに出ているのでいつも一人ぼっちだった。そんな彼女にはいずれお母さんを幸せにしたいという漠然とした夢があった。

新学期が始まり、近所の美容室の前に「新人美容師の練習のためカット代無料」と張り紙がしてあった。そこは小さな美容院だったが高級そうな美容室だった。美容院代を節約するために髪を伸ばしていたAちゃんは思い切って、美容室のドアを開けた。

Aちゃんは小さい声で「あの~表の張り紙を見たんですけど、私でもいいでしょうか」
オーナーらしき人が「もちろんだとも」「さ~こっちに来て」と言って、椅子へ案内してくれた。いつもカット代金が1000円のチェーン店へ通うか、お母さんに切ってもらっていた彼女には、見たこともないような贅沢で豪華な美容室だったが、ワクワクする気持ちでいっぱいだった。

新人さんにカットしてもらった彼女は、鏡の前の自分を見て、あまりの変わりように驚いた。スタッフの方からも拍手が起き、お母さんからも「かわいいよ」と言われ、翌日、学校でも「かわい~」と言ってもらえた。あこがれのK君からも声をかけてもらった。「髪をカットしてもらうだけで、人はこんなに幸せな気持ちになれるんだ~」と思ったAちゃんは「将来絶対にカリスマ美容師になりお母さんを楽にしたい」という目標ができた瞬間であった。

第158号 2023年9月ニュースレターより

なじだね新聞

「かっこいい青年」

私は主婦ですが、日中は大手コンビニで働いています。この話はその時のエピソードです。

私はその日はお昼をまたぐシフトでした。同僚がコロナの濃厚接触者となり急遽休むことになったために、私は一人でレジの担当をしなくてはなりませんでした。祝日だったのですが、お昼時のためお弁当を買いに来る人で込み合ってきました。

12時を過ぎた頃、近所のおばあちゃんが買い物に来て、レジで会計をしている時です。おばあちゃんはバックから財布が見つからず、手間取っていました。そのため、あっという間にレジに列が出来ました。私も内心焦ってきましたし、並んでいる人も、イライラしている様子がわかりました。

そんな時です。レジ横でコーヒーを買おうとしている若者がツカツカ寄ってきました。 私は苦情を言われると思ったのですが、彼は私に突然「このおばあちゃんの会計はいくら」と言ってきました。その勢いに押され、つい「2,560円です」と答えてしまいました。それを聞いた彼は手際よく自動精算しおばあちゃんを脇へ移動させました。私やおばあちゃんがお礼を言うと「俺もコンビニでバイトしたことあるし、見ていられなくてね」「そして今日は敬老の日だからね」と言って出ていきました。彼の行為で一気に場が和み、その日一日気持ちよく仕事が出来ました。

この話は、このお店では伝説になりました。

第157号 2023年8月ニュースレターより

なじだね新聞

私は30年以上前、高校を卒業し社会人になりたての頃、社内でのパワハラをきっかけに引きこもりになってしまいました。当初は、少しは日中でも外に出ることが出来ましたが、だんだん誰にも会わないような夜中にしか外出が出来なくなりました。それも、家から10分くらいの海岸にしか行けなくなりました。

「このままではいけない」と思いつつ数年が過ぎました。「なにかきっかけがあれば」と思い、ある行動に出ました。それは、丈夫なガラス瓶へ手紙を入れ、“それを見た人から返事が来たら、その人に会いに行く”という目標を立てました。半分期待感と半分不安感でした。

ある日の夜中、私は手紙を入れた瓶を思いっきり沖に向けて投げました。“手紙には今の現状と、返事が来たら外へ出ようと決めた事、そして住所だけを書いて”…。

半年以上が経ち、海に投げ入れた事さえ忘れた頃、ある男性が家を訪ねてきました。そして、私が投げ入れたガラス瓶を持って。「〇〇さんですか?私は○○と申します。家の近所の海岸を犬を連れて散歩していたらこの瓶を見つけました。手紙を見たときは驚きましたが、実は私も同じような経験があり、手紙を書くよりは実際に会って話をした方がいいだろうと思い、失礼かとは思いましたが訪ねてきました。」

○○さんの話では、一時期、引きこもりになったそうですが、友人が根気よく外へ連れていってくれ、話し相手になってくれたのが、復帰のきっかけだったそうです。だからこの手紙を読んだとき「この役は僕しかいない」と思い訪ねてきてくださったそうです。その後、何度か手紙や電話でやりとりし、“今度、○○さんの所へ一人で行くこと”という事を決めました。そしてついに○○さんのところを訪ねることが出来ました。

今では、私の瓶を拾った海岸で、通りすがりの人に撮ってもらった、二人の写真と彼との結婚式の写真がリビングの壁に飾ってあります。そして、私は引きこもりなどの電話相談を行う仕事をしています。

第156号 2023年7月ニュースレターより

なじだね新聞

私は子育てが終わり、時間の余裕が出てきたので地元の道の駅で働き始めました。山の中にある道の駅でしたので、地元の食材を利用した食事を朝とお昼に提供していました。私は朝は強かったので、朝食を担当していました。

働いてしばらくしてから、ある事に気が付きました。毎月、70代前半くらいの男性が必ず一人で来店するのです。最初は特に気にはしていなかったのですが、毎月、同じ日に、同じ場所、同じメニューを頼む事に気が付きました。そこは、外の山の景色がよく見えるテラス席でした。
「不思議なお客さん」だなと思いながら1年ほどが過ぎました。冬場は来店されませんでしたが、ある日久しぶりに、同じ日にあのお客さんが来店されました。たまたま私が料理を運ぶ担当だったので、思い切って聞いてみました。「お久しぶりでしたね、このお席がお好きなのですか?」と尋ねました。「いつも同じ日に同じ席に座るから、変な人だと思っただろうね。実は今日は一昨年亡くなった女房の月命日なんだよ。この席は二人ともお気に入りでね、できるだけ月命日に来てここで女房と昔みたいに、色々話をするんです」私は思わず目頭を押さえてしまいました。「私はもともと無口で、家では女房とはあまり話さなかったけど、車の中やここだと素直にいろいろ自分の事を話せたんだよ、だから今もこうしてここで1か月あったこと報告しているんですよ」

話を聞き私はもらい泣きをしてしまいました。「済まないね、変な話をしてしまって」私はそんなことはないと思って、言葉に出そうとしたけど首を横に振るのが精一杯でした。それから1か月が過ぎ、また月命日が来ました。やはり、あの男性は一番乗りで来店されました。たまたま私が注文を受けたのですが、男性は「今日から女房の分も注文していいかな」と同じメニューを二つ注文されました。男性は「申し訳ないけど、女房の分はこのタッパーへ入れてもらっていいかな?女房はここの料理が好きでね。家に帰ったら仏壇に供えてあげたいんだよね」と言ってお気に入りの席へお二人で向かいました。

第155号 2023年6月ニュースレターより

なじだね新聞

「奇跡の再会」

私は2年前に地元へ帰ってきたがそれまでは大阪で会社勤めをし、その際に知り合った人と結婚した。しかし、妻とは1年もしないうちに交通事故で死別してしまった。正確には脳死状態になり、彼女の生前の意向で臓器提供するという別れ方だった。しばらくは大阪へ留まったが、妻との思い出がある大阪では生きていくのが辛く、地元へ戻って来た。地元で再就職したがなかなか妻の事は忘れることができなかった。

そんなある日、営業先の会社で若い職員とすれ違った際「あれ?この人とどこかで会ったことがある」と思った。しかし、年齢も自分より10歳くらい離れているように見えたので気のせいだと思った。しかし、それ以来、その人が気になりだした。そこで、思い切って聞いてみた。「すみません、以前、僕と会ったことがありますか?」しかし彼女は怪訝そうに「いいえ、ありません」とぶっきらぼうに答えた。その後、何度も仕事上で会う事があり、次第に会社以外でも会う事が増えた。彼女と会えば会うほど、どこかで会っているという気がしてならなかった。

ある日彼女をお酒に誘った際に「私、昔はお酒は飲めたのに手術後は飲めなくなったの」とか、「どんな音楽が好きなの」と聞くと「昔は洋楽が好きだったけど、手術してからクラシック、それもモーツアルトが好きになってきたの」と言った。「手術って何の手術なの」と思い切って聞いてみた。「私、心臓移植を受けているの」と打ち明けてくれた。私の妻もお酒は飲めず、モーツアルトが好きだった。以前、テレビ番組で“臓器提供を受けた人は、ドナーの性格が現れる”というのを見た事がある。まさかと思い「いつ手術したの」と聞くと、妻の臓器提供の日だった。私は確信した、「彼女は妻の心臓を移植されたんだ」こんな偶然があるんだ。でもこれで納得した。初対面で「どこかで会った気がしたことも」それから1年後、私は妻と2度目の結婚をした。プロポーズも最初と同じ言葉だった…

第154号 2023年5月ニュースレターより

なじだね新聞

私は雪国で道路除雪の担当をしております。主に町内の狭い道路除雪を早朝からしているので、「うるさい」とか「硬い雪を残していった」などと苦情を言われることもしばしばです。しかし、そんな中で、印象深いご夫婦がいました。

その家は古い家で、80代くらいの老夫婦が毎朝、お二人で除雪をしていました。除雪の際にはお二人で深々と挨拶をしてくれます。私もその方の家の前はできるだけ取り残しが無いように除雪をしていました。除雪が終わり家の前を過ぎる時にも、やはりお二人で深々と挨拶してくれています。その姿が、バックミラー越しに見えていました。

そんなある日、いつも通りに家の前を除雪が終わり、通り過ぎたあと、バックミラーを見たら、初めてお二人で手を振ってくれていました。助手席の相棒と「珍しいね」と言いながら、作業を続けました。その後は2週間ほど、降雪が無く、除雪作業もありませんでした。

久しぶりの降雪で除雪に出ると、老夫婦の家の前は真っ暗でした。不思議に思い、除雪中にご近所の人に聞いたらお二人とも相次いで亡くなられたそうです。あの最後の手を振る姿は・・・思わず泣いてしまいました。

その後も、無人の家ですが、今でも丁寧に除雪をしています。

第153号 2023年4月ニュースレターより

なじだね新聞

私は高校生の息子と二人暮らしです。しかし、血はつながっていない。再婚した妻の連れ子です。小学校の時に再婚し、数年後に妻はガンで亡くなりました。それ以来、二人での生活です。当初から私にはなつかず、彼は私の事を○○さんと呼びますし、私も○○君と呼び、お互いが同居人のような関係性です。私は何度も関係を良くしようと接し方を工夫したつもりですが、駄目でした。

そんなある日、私が交通事故にあい、大けがをしました。その時に、大手術になり、輸血が必要になりました。その時、一番動いてくれたのが彼でした。クラスの友人の両親に声掛けをしてもらい、人を集めてくれたおかげで十分な血液が集まったそうです。そして、病院の先生に「なんとか父を助けてください」と懇願してくれたそうです。この話は彼の担任の先生から聞きました。

実は先生から、驚く話を聞きました。彼は学校では「父」と呼んでいるそうです。その上、自分のような連れ子を実の息子のように扱ってくれて、とても感謝していたそうです。先生は「男の子だから、きっと照れ臭いんだと思いますよ」と言ってくれました。

退院後、相変わらずの息子に、私は退院後、ある行動に出ました。仕事から帰宅し、寝ている息子の部屋の扉の前に、私の気持ちを書いた、ノートを置いたのです。しかし、朝食の時の彼はいつもどおりで、一言も話さず学校へ…寂しい気持ちで帰宅するとすでに彼は寝ていました。ふと、妻の仏壇を見ると私のノートがありました。開くと彼の文字でびっしりと書かれていました。「お父さんへ…」その一言で号泣してしまいました。

翌朝、なんと彼が朝食を作って待ってくれていました。「今日は『お父さん』の好きな卵焼きを作ったからな!」私は涙で彼を見ることができませんでした。そして、卵焼きを食べたら「!?」この味は…妻の卵焼きの味…その時息子が教えてくれました。「ママが死ぬ数日前に僕にレシピを渡し、『いずれお父さんへ作ってあげてね』と頼まれていた」そうです。それから数年が経ち、今では実の親子以上の関係です。

第152号 2023年3月ニュースレターより

なじだね新聞

「プレゼントはどこへ」

私は会社の指示で、ある著名な先生の経営セミナーに出席した時の事です。セミナーの途中で受講生が手を上げて、講師に意見というより苦情を言い始めました。「あなたの言っていることは理論ばかり、あなたの書いた本通りにやっても成果が出なかった」などと言いがかりのような罵詈雑言でした。しかし、その間、一切講師は反論もせずに黙って、うなづいて聞いているだけでした。著名な先生だから、私は論破するのを期待していたのですが、内心、残念でした。業を煮やした主催者はその方を連れ出し、休憩時間になりました。

その時、ある受講生が質問しました。「どうして先生は反論しなかったのですか?」
先生は「あの方が、そう言うのならあの方にとってはそれが正しいのでしょう。ですから、正しいと思っている人に反論しても無駄です。それ以上に、大事なことがあります。もし、皆さんが、プレゼントを持って、好きな人の所へ行ったとしましょう。しかし、相手がそれを受け取らなかったらそのプレゼントはどうなりますか?」
「持ってきた人が持ち帰ります」と誰かが答えました。その時全員がハッと気が付いたのです。「その通りです、だから私は受け取らなかっただけです。あの方は私に言ったすべてを持ち帰るしかないのですよ、お気の毒ですよね」私は講師の言葉にシビレました。会社がこのセミナーを受けさせる意味が分かった気がしました。

第151号 2023年2月ニュースレターより

なじだね新聞

私は娘が小さいころ、アイロンがけのアイロンで娘の顔に火傷を負わせてしまいました。それ以来、娘には悲しい思いをさせてしまいました。学校ではいじめにあい、社会人になっても、通り過ぎる人から振り返られたりもしています。今は手術で多少はわからなくなりましたが、それでもまだまだ目立っています。そんな娘は私には何一つ恨み言は言いませんでした。

そんな娘がたった一度だけ、私に対して「どうしてこんな顔にしたの!」と泣き叫んだことがありました。それは社会人になりたての頃、好きな人ができました。同じ職場の人でした。密かに恋心を寄せていましたが、ある日、彼の本音を聞いてしまったそうです。その人が職場の人たちと話をしているときに、会社の中で○○さんだけは付き合えないよな!一緒にいるとみんなが見るもんな!」と言っていたそうです。それを、偶然、立ち聞きしてしまった夜に、娘は私に向かって号泣しました。

しかし、その後、なんと娘がその彼を連れて家にやってきました。なんと、今、その彼とお付き合いしているそうです。私にはその状況を理解することができませんでした。娘は号泣した後、悩んだ末、会社を辞めようと思い、同僚の女性に相談したそうです。その話が、その彼にも伝わり、彼から「話したいことがあるから、外で会えない?」と誘われ、まだ、好きだった人との最後の思い出にと食事をしたそうです。その時、なんとプロポーズをされたそうです。

娘は戸惑うばかりだったそうです。娘は正直に立ち聞きした時の話をしたそうです。「えっ!あの時の話を聞いていたの?あの時、会社の中で『付き合うとしたら誰がいい』という話になり、僕は君の事を好きだって言いたかったけど、それを言うと、君にそれが伝わり、冗談だと思われ、かえって君を傷つけるんじゃないかと思い、あんな答え方をしたんだ。でも、それが、かえって君を傷つけごめん」と話してくれたそうです。

「でも、今回の件が無ければ、自分から告白する事はなかったよ」「君は決してかっこよくない自分の内面を見てくれた唯一の人だ、そんな君に育ててくれたお母さんにお礼が言いたい」となり、今日来てくれたそうです。

第150号 2023年1月ニュースレターより

なじだね新聞

ウクライナのキーウに住むバーバラさん(7歳)は『早く戦争を終わらせるために、軍人に寄付』することにしました。「iPhoneを買うために貯金していたお金で、防弾チョッキを買って寄付したい」と母親に伝えたといいます。
(バーバラさんの母親)『「ママ、貯金箱ちょうだい」と言われた時、一切驚きませんでした。バーバラにとって初めての人助けではなく、普段からそのような子なんです』
貯金が足りない分は、路上で花を販売したり、花の絵を描いて販売するなどして補充。その結果、2つの防弾チョッキを寄付することができました。すると…
(店員)『あなたの夢を叶えたい。iPhoneをどうぞ』
周囲の大人たちがiPhoneをプレゼント。バーバラさんは今後も、防弾チョッキの寄付を続ける予定だそうです。

また、別の幼い姉弟は路上で自分のおもちゃを販売し、国へ寄付し続けています。別の子供は家でクッキーを焼き販売、絵の上手な子は自分の書いた絵を売ったりと、自分で出来ることを考え、支援し続けています。

日本国内でも様々な支援が始まっています。自分が持っている有名選手のサイン入りボールをネットで販売したり、家族に「手作りのお手伝い券」を作って、お小遣いをもらい、それをコンビニで寄付したり。様々な事を子供達が行っています。

あるお父さんは自分はお金を寄付することで支援したが、まだ、保育園の子供たちに何ができるかを考えたそうです。そこで、お父さんは、絵本を使って「争うとは何か?」などを伝えることにより、将来、平和の大切さを教えることが、遠まわりではあるが、将来の支援につながると考えたそうです。

また、あるお母さんは母子家庭で生活が苦しい中、一人っ子なのに子供へのおやつを買う際に、二つ分のお金を用意し、一つでお菓子を買い、一つ分は子供からの名目で募金箱へ寄付をしているそうです。

誰にでもできることはあるはずです、できることを考えやってみましょう。

第149号 2022年12月ニュースレターより

なじだね新聞

「コロナのおかげで」

僕は中学3年生の時に、家庭内感染のため、この中学で最初のコロナ感染者になってしまいました。コロナが蔓延し始めた初期の頃のために、学校は休校し、沢山の方へ迷惑をかけてしまいました。症状は軽かったですが、退院をし、約1か月振りに学校へ行くことができるようになったのですが、入院中から「学校へ行ってもみんなから敬遠される」「いじめにあう」などと体の事より、そっちの方が心配で仕方がなかったです。

元々、大人しい方で、どちらかというと、暗くていじられるタイプだったので、友人もなく、学校へ行くのが心配で仕方がなかったです。明日から学校へ行くという前の晩、クラスで体も大きく、リーダー格で、皆から一目置かれているA君から電話が来ました。ほとんど話をしたこともなかったので、「なんで?」と思って電話に出ると、「明日、7時半に家の前で待ってろ」と言われました。 彼はそれだけを言って電話を切りました。

「いじめられるんだ」と思って怖くなり、その日は、ほとんど眠れませんでした。翌朝、恐る恐る玄関を出ると、彼はズボンに両手を入れ、立っていました。「おはようございます」と言うと彼は一言「学校へ行きづらいだろ」「一緒に行ってやるよ」と言ってくれたのです。皆の視線やヒソヒソ話をする姿を見ながら、気まずい思いで歩いていると、中には、あからさまに感染を避けるような態度をとる生徒までいました。A君は色々話しかけてきましたが、僕は他の人の視線が気になり、返事をするどころではありませんでした。

その時です、突然彼が、僕の肩に手をまわしてきたのです。「もう感染するはずがないことを俺が証明してやる」と言ってくれたのです。結局、クラスに入るまで、肩を組んで行ってくれました。僕は嬉しくて、泣いてしまいました。クラスに入っても、常にかばう態度をとってくれました。リーダー格の彼のおかげで、皆の態度が変わり、無事に学校へ戻ることができました。帰宅時も彼が付き添ってくれました。

「どうして、一緒に登校してくれたの」と聞くと「俺には、足に障害を持った小学生の弟がいる、弟はいつも周りから変な目で見られる」「だからいつも一緒に通学していた」「俺にはお前の気持ちがわかるんだ」「だから放っておけなかった」 僕は号泣してしまった。おかげで、それ以来、彼とは親友となり、彼の弟とも一緒に遊んでいる。彼と一緒にいるだけで、自分も性格が変わり毎日を楽しく生活できています。今ではコロナに感染したことを感謝しています。

第148号 2022年11月ニュースレターより

なじだね新聞

今から約40年くらい前は、歌番組全盛期でした。その中でも、黒柳徹子さん、久米宏さんが司会をしていた「ザ・ベストテン」にランクインした松山千春さんのエピソードです。(松山さんは昔は長髪で細身でカッコ良かったです。)

彼の「季節の中で」が大ヒットしランクインしたにもかかわらず、なかなか出演してくれませんでした。彼が出ないとわかっていても、どんどんランクが上がっていきました。それでも出演はしてくれませんでした。後に彼は、「歌番組は見るものであって、出るものではない」と思っていたそうです。しかし、とうとう1位になった時に彼は出演してくれました。

そんな彼がどうして出演を承諾したのでしょう。そこには、番組プロデューサーのY氏の説得が功を奏したのでした。彼は松山さんの前に、視聴者が応募してくれたハガキの山を見せたそうです。そしてこう言ったそうです。「番組に出演しない事を知っていながら、毎週、毎週これだけのハガキを書いてくれるファンに対してあなたは、なにかメッセージを出す責任があるのではないですか」と、それを聞いた松山さんは1回だけ出演を承諾しました。

番組は生放送です。彼は、メッセージと歌を含めて10数分時間を使ってしまいました。そのため、遅れてきた山口百恵さんの出演時間が無くなりました。プロデューサーのYさんは、セットの裏で待っていた山口さんに平謝りしましたが、彼女は何も言わずに笑顔で「わかりました」と承諾したそうです。Yさんは彼女が菩薩に見えたそうです。そして、彼女は最後の記念撮影だけに出演しました。

しかし、出演者の中には「なんで彼だけにあんなに時間をとるんだ」と快く思わない人もいたそうです。そんな人たちにYさんは「君たちはテレビ番組に出てここまでランクインしてきた、彼はコンサートだけでここまで来た。そんな彼がようやく出てくれるんだ、これくらい時間をとってもいいんじゃないか」と諫めたそうです。

第147号 2022年10月ニュースレターより

なじだね新聞

「父の弁当」

我が家は父とすでに成人していた姉の3人家族です。私が高校へ上がる頃に、母はガンで亡くなりました。中学は給食だったけど、高校はお弁当を持っていきました。お弁当は毎朝、姉が作ってくれていました。慣れないので、味もメニューもいまいちだったけど、高校3年になる頃には、かなり上達していました。私も高校生になると、反抗期が始まり、父とはあまり上手いっていませんでした。父は私が起きる頃にはすでに、仕事に行き、帰りも遅く、すれ違いになることも度々でした。

ある日、進路のことで、父とぶつかり、一切口をきかなくなりました。期末試験も近づき、徹夜明けに1階に行くと、朝4時にもかかわらず、台所で音がします。「お姉ちゃんがお弁当を作っているんだ」と思って覗くと、なんと父がお弁当を作っていました。「お父さん!」と声を掛けると父は驚きながらも「ついに見られちゃったな」と照れ臭そうにしていました。「どういうこと?お姉ちゃんが作っていたんじゃないの」とまくしたてました。「実はな、お母さんが亡くなる数カ月前から頼まれていたんだ。『あなたは仕事で忙しいから○○ちゃんと接する時間がないから、私の代わりにお弁当を作ってあげて』とね。だからお母さんはお弁当のメニューリストと、作り方などをノートにびっしり書いてくれたんだ。でも俺は恥ずかしいから、お姉ちゃんが作っていることにしてもらっていたんだ。どうだ、最初よりだいぶ上達しただろう」

「だから、お母さんの味がしたんだ」私は号泣して泣き崩れました。その後父は、大学生になってもお弁当作りをしてくれました。すれ違いの生活なので、お弁当箱に「今日の出来事」と書いて、その日の事やお弁当の感想などを書くようにしながらコミュニケーションを取っています。

第146号 2022年9月ニュースレターより

なじだね新聞

私が事業に行き詰まり、夜、死に場所を求めて自殺の名所と言われる海岸線を歩いていると、横に1台の軽自動車が止まり、あるご夫婦が声をかけてくれました。「大丈夫ですか?だいぶ顔色が悪いですよ」、「良かったすぐそこが私たちの店ですから寄って休んでってください」と私は誘われるままに後をついていきました。

お店というのは、コインランドリーでした。「今日は料金を回収に来たんですよ」とご主人が教えてくれた。決して便利ではない場所にあったので、不思議に思い、聞いてみた。「どうしてこんな民家も少ない場所にお店を作ったのですか?」

実は私達夫婦は昔、事業に失敗し自殺をしようとこの付近をさ迷っていました。その時、どこからともなく、一人のおばあさんが寄ってきて、声を掛けてくれたんです。そのおばあさんは、私たちを自分の家に誘ってくれて、夕食までご馳走してくれました。
気持ちが落ち着いてきた私たちは、次第に自分たちの話をしはじめ、事業に失敗し、死に場所を求めている事も正直に話しました。一晩中おばあさんは私たちの話を熱心に聞いてくれました。時間の経つのを忘れ、いつの間にか朝になっていました。「人間、暗いときはろくなことを考えんからね」と言いつつ、最後にこう言ってくれたのです。「人生で良い事と悪い事どっちが多いか知っているかい?」私たちは「悪い事ではないですか?」と答えると、実は「同じなんだよ」とおばあさんは言いました。「だから必ず良いこともこれからあるよ。もう一度、やり直してはどうかね。」その後、私達はおばあさんに見送られて、家を後にしました。
私達はその後、何とか暮らせるまでになり、おばあさんにお礼に伺ったのですが、すでに亡くなっていましたが、その後住んでいた人からおばあさんの伝言を聞きました。その人は、おばあさんから、もし○○さんというご夫婦が訪ねて来たら、『自分の息子も自殺をしたのでなんとか一人でも助けたい』と『私の意志を受け継いで欲しい』と…そこで、ここにお店を作ったんですよ。暗い夜道に明かりがともっているだけでも気持ちが違いますからね。

ご夫婦は私の素性を一切聞かず、最寄り駅まで送ってくれました。その後、いずれあのご夫婦にお礼に行くため、私は自己破産をし、一からやり直し始めました。

第145号 2022年8月ニュースレターより

なじだね新聞

私は早くに母親を亡くしたので、小さいころから父親と二人暮らしでした。そのため、父は会社を休んででも、発表会や授業参観などを見に来てくれたり、運動会のお弁当もウインナーと卵焼きだけだったけど美味しかったです。しかし、中学に入学してからは、父も忙しくなり、私も少しずつですが父を避けるようになってきました。そして、高校に入学すると、次第に、悪い仲間と付き合うことになり、悪いことに手を染め始めました。父ともほとんど顔を合わさず、話もしませんでした。

そんなある日、ついに警察のやっかいになってしまいました。父も警察に呼ばれ、夜中に迎えに来ました。父は私を見るなり、なぜか「ごめん、俺が悪かった」と言いながら、署員の方々に深々とお詫びに回り、私の所へかえって来ました。私たちは無言で署をでました。父は車を家の近くのファミレスに停め、中へ入りました。「ここは、俺とお母さんが良くデートした場所なんだ」と言いながら窓際の席に座りました。「お腹空いただろ、何か食べな!」とメニューを渡してくれました。「お父さんは、甘いものが食べたいから、ホットケーキにするけど、○○はどうする」父の意外な面を見た気がしながら「私は、飲み物だけでいいや」と言って、ミルクティーを頼みました。

無言の時間が流れるうちに、父が「ママからの手紙だ!」と私に封筒を差し出しました。「えっ!」と驚く私に、「読んでみて」と促しました。手紙はピンクの奇麗な便せんに懐かしいママの字でびっしり書かれていました。

「○○ちゃんへ、この手紙はパパに、『何か○○ちゃんに、大変なことが起きたときに読んでもらって』とお願いしておいたのよ。だから、この手紙を読んでいるということはよっぽどパパが困った事があったんだね。でも、私には今何が起きているかわからないから、ドキドキしながら書いています。この手紙を書いた後、パパに一つだけ約束したの。それはね、『絶対に○○を叱って注意をしないで』とお願いしたの。パパが叱ると、必ずギクシャクしてしまうからね。だからパパが約束を守っていれば、○○ちゃんは、今まで怒られたことがないと思うの。それが決していいとは思わないけど、なんで、そんなお願いしたかというと、○○ちゃんに、自分で気が付いてもらいたいし、自分で判断してもらいたいから。パパも言いたいことがいっぱいあったと思うよ。でも、『いずれ○○が気が付くはず』と思いながら、グッと我慢していたのよ。今起きていることがわからないママにはこれ以上のアドバイスはできないけど、もう一度書くね。『今の状況を自分で判断し、自分で今後の事を決めるのよ』」

私は涙が止まりませんでした。私は初めて父から叱られたことがないことに気が付きました。私は泣きじゃくりながら手紙を読み終え、父と朝まで話し明かしました。

第144号 2022年7月ニュースレターより

なじだね新聞

上司であるKさんが、部下たちを連れてランチに出かけた時の話です。手がけていたプロジェクトがひと段落ついたので、4人の部下をランチに誘いました。

「今日は俺のおごりだから、好きなものを注文していいぞ!」と言い、部下たちも大喜びでランチが始まりました。久しぶりに息抜きができた部下たちと話が進み、ランチも終わりました。
「会計はしておくから、外で待っててくれ」とKさんはレジへ向かいました。

レジで財布を出そうとした時です、なんと、財布がないのです。いくら探しても、鞄の中にもありません。部下に借りるわけにもいかないと、戸惑っているところへ、トイレに行って少し遅れた部下が戻ってきました。「課長、どうされました?」うろたえているKさんが「実は…」と話し出したその時です。

店員さんが「実はクレジットカードの読み取り機が故障しまして、支払いができない状況です」と救いの手を差し出してくれたのです。恥をかかずに済んで、ホッとしているKさんに店員は「ご迷惑をお掛けしてすみません、明日以降お支払いに来ていただけますか」と笑顔で言って送り出してくれました。

第143号 2022年6月ニュースレターより

なじだね新聞

コロナ禍で山手線の中も、いつもより空いている状況だったある日。
いつものように、営業に出かけた私は、座席に座りながらウトウトしていたら、急ブレーキがかかった。驚いて目が覚めると、足元に飲みかけのペットボトルが転がっていった。行方をみていると、中には足で蹴飛ばし横へやっているひともいた。そんな時、ある青年の前でペットボトルが止まった。

本を読んでいた青年はどうするかと見ていたら、何食わぬ顔で、カバンからコンビニ袋を出し、それに手を入れ、ボトルを掴んだ。すぐに、次の駅に着いたので、彼は一旦、ホームに降り、ゴミ箱へ捨てたのち、再度乗車して再び本読み始めました。彼の素早い行動を見ていると、日頃からとっている行動なんだろうなと感心しました。

コロナが蔓延し始め、国民がピリピリしている時に、あるスーパーでのレジ係の人が忙しそうに会計をしていた。ソーシャルディスタンスをとりながら、並んでいた私の前の品の良さそうな女性が、会計が終了すると、一言、「感染を心配しながらも、一生懸命仕事をしてくださって、ありがとうね」「皆さんがいるおかげで、買い物ができるのよね」と言って帰っていた。

第142号 2022年5月ニュースレターより

なじだね新聞

今日、息子が俺の事を「とおしゃん」と呼んだ。
成長が遅れ気味かもしれないと言われていて、言葉も遅かったから、不覚にも息が出来なくなるくらい泣いた。医者から嫁か息子かどちらかを選べと言われた時、最後まで諦めずに運に賭けてみようと言った時、実は内心楽観的だった。医学は発達してるし両方助かるだろうと甘く考えていた。嫁の病気での致死率は何千人に一人、育たないかもと言われた息子は臨月まで何の問題もなく育った。それでも息子の誕生日は嫁の命日になった。

嫁を選んでいればと考えない日はない。正直に言うと今でも思う。でも、今日のような日は、息子を選んだこともまた幸せなんだと、心の底から思う。
さあ、今度は、「母さん」って言葉を教えてやろう。

第141号 2022年4月ニュースレターより

なじだね新聞

「コロナ禍のいい話」

最近、コロナの影響もあり電車の利用を控えていましたが、先日、久しぶりに県内のローカル線に乗った時のことです。
車掌さんの「お客様へのマスク着用」に対するお礼のアナウンスが、とても暖かく感じられ、そのお人柄が伝わってきました。「これからも今まで通りに運行いたします」など、案内を続けられた後のことでした。
「進行方向右手に、虹が出ております。よろしければご覧ください」
とのアナウンスが・・・。この人、凄いなあ、と思いました。まさしく地域密着とはこのことだと認識しました。

体温計の電池を探しに、あちらこちらのお店へ出掛けたのですが、コロナの影響で、どこも売り切れで入荷していませんでした。100円ショップでも、お店の方に尋ねると、「品切れです」と言われ、仕方なく帰ろうとした時のことでした。奥の方から店長さんが出て来られて「電池ではないのですが・・・」と、別の売場に案内されました。そこで、光る耳かきを手に取って、「電池の型番はわかりますか?」と尋ねられました。「LR41です」と答えると、「この耳かきの電池が同じ型番なので、これを買われて電池を交換させてはいかがですか」と、教えていただきました。親切な対応で、無事、体温計が使えるようになりました。自店でも、こうありたいと思いました。

第140号 2022年3月ニュースレターより

なじだね新聞

宿泊客の「風呂に小さな虫がいた」という苦情のクチコミ投稿に対し、理路整然と意見表明する温泉旅館がSNS上で大きな注目を集めています。件の温泉旅館というのは群馬県四万(しま)温泉の叶屋旅館。数年前のSNSでの対応が今になって話題になっています。SNSへの投稿は、叶屋へ宿泊したお客が、風呂に虫がいたため、気持ち悪くて、1 回しか風呂に入れなかったと、投稿したのがきっかけでした。それに対しての女将のSNSへの返信内容が話題になりました。

「そもそも我々人間は、所詮は大自然の一角にお邪魔しているだけの立場と存じます。一応、お客様のお呼び出しが頂ければ虫の排除はしておりますが……それでも小さな虫は山から自由に飛んできます。それすらも許せないのでしたら、もう虫の住処である山を全部焼き尽くして、虫が住める場所である川もコンクリートで埋めてしまうしかないと思います。ですけど、ハゲ山とコンクリートで固められた川とか、見たいですか?その謙虚さと真摯な気持ちを持たずして、果たして自然と共存できるのでしょうか?」

このような粋な返信が話題になり、「こんな旅館に泊まりたい」という人が急増しています。 「お客様は全て正しい」という風潮のある宿泊業に一石を投じる事になりそうですね。お客も「自分は客だ。お金を支払っているんだ」ではなく少し謙虚になる必要がありますね。昔のように寛容のある日本人に戻りませんか。

第139号 2022年2月ニュースレターより

なじだね新聞

「言葉の力」

「私は盲目です。お金を恵んでください…」と書いた段ボールを隣に置いて、1人の老人が、道の隅に座っていた。そう、彼は盲目のホームレス。耳からの情報だけを頼りに、目の前を通り過ぎる人たちに助けを求めていた。しかし…忙しい街の人間たちは、彼に目を向けようともしない。たまに、増えすぎてしまった小銭を減らそうとしたサラリーマンが、無造作に何枚かの小銭を彼の前に投げ捨てる。彼はそれを、手探りで探して、自分の目の前に置いてある小銭入れに入れる。地面に散らばった小銭を探す彼の手は、ひどく汚れていた。

ふと、その小銭入れに手が当たって、「カラン」と音が鳴る。目が見えない彼でも、数えられるほどのコインしか入っていないことが分かる…。「コツ、コツ、コツ… 」そんな時、ある女性が現れた。彼女は、横に置いてある段ボールを手にとった。目が見えない彼は、その女性が何をしているのか分からない…。何やら、段ボールに文字を書いているようだった。そして、数十秒後。彼女は何も言わずに立ち去っていった。目が見えない彼は、気が気ではなかった。

「何かいたずらをされたのかも知れない…」嫌な予感がした。しかし、そんな不安は、次の瞬間吹き飛んだ。というのも、、突然、大量のコインが彼の元に、今まで全く見向きもされなかった彼の目の前に、次から次に、小銭が恵まれていった。彼は、もう何が何だか分からない。あっという間に、彼の小銭入れは、コインでいっぱいになった。その後、また、彼女が戻ってきた。「一体、何をしてくれたんですか?」感謝の言葉よりも先に、何があったのかを知りたかった。

すると彼女は、優しい声で彼に「秘密」を打ち明けた。
「同じ意味の言葉を書いただけよ。“違う言葉”を使ってね」
彼女が、盲目のホームレスの人生を救った「たった一言の言葉」。
それは、段ボールの言葉を、こんな風に書き換えた。

It's a beautiful day and I can't see it
「今日は素敵な1日。でも、私はそれを見ることが出来ません…」と。

第138号 2022年1月ニュースレターより

なじだね新聞

「火正月」

むかしむかし、ある大晦日の夕暮れ、村の金持ちの屋敷に、空海という名の旅のお坊さんがたずねてきて、一夜の宿をたのみました。主人は、お坊さんの身なりを見て、「明日はめでたい正月だ、きたない者に貸す部屋はないわい!出て行け!」

金持ちの屋敷を追われたお坊さんは、今度はとなりのあばら家に声をかけました。すると、あばら屋にすんでいるおじいさんが言いました。「わたしたちは貧乏で、年越しの食ベ物は何もありません。あたたかい火だけがごちそうの『火正月(かしょうがつ)』でよかったら、どうぞ入ってください」いろりには、あたたかそうな火が燃えていました。

お坊さんは、家にあがりこむと、「食べ物なら、心配はいらん」と、いって、背おっていた袋から何やら取り出して、お湯のわきたつなべの中に入れました。すると、グツグツグツと、香ばしい香りがします。なべのふたを取ると、おいしそうなぞうすいが、煮えていたのです。その夜、おじいさんたちは、久しぶりにいい年越しができました。

お正月の朝、お坊さんは、わらじをはきながら、「お礼をしたいが、何か欲しい物があるかね」と、二人に聞くと、「何もいりませんよ。ただ、できることならむかしの十七、八に若返りたいものですね」「おう、そうか、そうか。なら、わしがたったあと、井戸の若水(わかみず→元日の朝に初めてくむ水)をわかして、あびなさい」二人がお坊さんにいわれたとおりにすると、不思議なことに、おじいさんとおばあさんは、十七、八才の青年と乙女に若返ったのです。

その話を聞いた金持ちは、遠くまでいっていたお坊さんを追いかけていって、「お待ち下さい。こちらに、よい部屋があります。ごちそうもあります。上等のふとんもあります。ささっ、どうぞ、どうぞ」と、むりやり屋敷に連れ込むと、お坊さんに寝る時間も与えずに、「わしらも、若返らせてください!」と、手を合わせました。お坊さんは、眠い目をこすりながら「みんな勝手に湯をわかして、あびろ!」その声を待っていたとばかりに、家中の者がわれ先にと、お風呂に入りました。すると、みんな若返るどころか、全身が毛だらけのサルになってしまったのです。

「キー!」 サルになった屋敷のみんなは、山に走っていってしまいました。そこでお坊さんは、若返った二人を屋敷に呼び寄せて、「サルたちには、この家は無用じゃ。今日からは、お前たちが住むがよい」と、いって、また旅立っていったのです。その日から、二人は金持ちの屋敷で暮らすようになりました。

第137号 2021年12月ニュースレターより

なじだね新聞

「人は見かけによらず」

行きつけのカフェでコーヒーを飲んでいた時、、いわゆるチャラ男の客がレジに向かった。その対応をしたのが「実習中」の名札をした女性店員でした。最近、店員になったらしく、レジが上手く使えません。男性客もいかにも不機嫌そうです。その態度で、彼女はさらに緊張したらしく、上手く会計が出来ない様子でした。

そこへ、業を煮やした店長が来て「君は何をしているんだ」「お客様が待っているじゃないか」と怒鳴り始めました。店長も男性客に「本当に不愉快な思いをさせて申し訳ございません」と言って謝った時です。なんと男性客は「本当に不愉快だよ」「あんたの態度が!」と言ったのです。

その時、店内で全員が「えっ!?」となりました。

そして男性客はこう言い放ったのです。「店長、あなたの態度がとても不愉快」「彼女は実習中という名札をしているので、時間がかかるのは最初から分かっているよ」「皆の前で叱るのは、さらに彼女を緊張させる」「叱るなら後で誰も見ていないところでするべきでしょう」「そういう店長の態度に俺は腹が立ったんだ」それを聞いた店長はすぐに彼女と代わり会計を済ませました。

そして男性客が帰り際に言った言葉がかっこ良かったです。
「緊張させた態度を取った俺も悪かったね」「また、今度来るから頑張ってね」と言って店を出ていきました。店の中が、ほっこりした瞬間でした。

第136号 2021年11月ニュースレターより

なじだね新聞

職場でパートのオバサンが仕事できない、物覚え悪いうえルーズ、全てがダメダメで、なのに全く気にしていなくて、口癖は「ほら、私ってバカだから~」
「私っていつもこうなの~やんなっちゃう~」
とヘラヘラしてた。みんなもイライラしてたんだけど、新人の学生バイトの女の子がある日、オバサンが「私ってバカだから~(ヘラヘラ」といったとたん「ほんとですね」 と言い切って、周囲も一瞬固まる。オバちゃん引きつりながらも立ち直り。「ごめんなさいねえええ、私って頭悪いからねええ」学生バイトは「そうみたいですねー」とダメ押し。もう周囲は「来た~」「よくぞ言ってくれた~」状態でニコニコ!

その場は一旦引いたように見えたオバちゃん、5分くらいたってから突然

「あんたねえ、年上にその態度はなに?」と説教モードに。「だって○○さん、自分がバカで頭悪くてどうしようもないって、何度も何度も言ってますし、こんなに何度も言うんだから、いい加減同意してあげないと悪いかな~と思って」「○○さんはバカなんですか?それとも違うんですか?」「肯定してあげて怒るなら違うんですよね?」
「違うならしつこく何度も言わないでくださいね」オバちゃん涙目。

全員バイトの彼女に惚れた。

第135号 2021年10月ニュースレターより

なじだね新聞

俺が30歳の時、一つ年下の嫁を貰った。今の俺達には、娘が三人と息子が一人居る。
長女と次女は、俺とは血が繋がっている。しかし、俺の子ではない。姉夫婦が突然の事故で亡くなり、自分たち夫婦が育てることになった。二人の姪は素直だったが、俺と嫁のことを「パパ」「ママ」と呼ぶことに抵抗があったようだ。次女は比較的早くから嫁を「ママ」と呼んでいた。

嫁は「ママと呼んでくれた」と、一人で泣いていたのを覚えている。パパと呼び出したのは、小学校に入るくらいかな?しかし、長女は時間が掛かった。嫁のことをママと呼ぶまでに7年掛かった。俺は結局、パパと呼んでもらったことは無かった。そんな長女も高校生になった。長女は東京の音大に進みたいと言い出し、結果、推薦を貰って、この春希望の大学に進学した。結局、俺は一度も「パパ」とは呼ばれず、俺はあだ名で呼ばれていた。

長女が東京へ旅立つ日、俺は出張で海外に居た。帰国すると、長女が家族全員に書いたという手紙を嫁から貰った。そして、号泣した。以下、そのまま。

○○ちゃんへ 泣きながら(次女の名前)と二人で○○ちゃんと暮らし出したのを昨日のことのように覚えています。
怒られてムカついたし、一緒に遊んでくれてすごい嬉しかったし、本当に感謝してます。
ありがとう。
そんな私を東京の音大にまで出してくれて、
本当に本当にありがとう。
今まで以上に言うこと聞いて良い子になって帰ってきます。
最後に。パパ、本当にありがとう、大好き。

第134号 2021年9月ニュースレターより

なじだね新聞

俺が小学校5年生のとき、寝たきりで滅多に学校に来なかった女の子と同じクラスになったんだ。その子、たまに学校に来たと思ったらすぐに早退しちまうし、最初はあいつだけズルイなぁなんて思ってたよ。

んで、俺の家、その子の家から結構近かったから俺が連絡帳を届ける事になったんだ。女の子のお母さんから連絡帳を貰って、先生に届けて、またお母さんに渡して…。それの繰り返し。

そんなある日、俺何となくその子の連絡帳の中を覗いてみたんだ。連絡帳にはその女の子のものらしい華奢な字で、ページ一杯にこう綴られてた。
『――今日もずっと家で寝てました。早く学校に行きたいです。――今日は窓際から女の子達の笑い声が聞こえてきました。…学校に行けば、私も輪に入れるのかな…』

ショックだった。学校行かないのって楽な事だと思ってたから。ハンデがある分、ひいき目にされて羨ましいって思ってたから。でも彼女の文章には学校に行けない事の辛さ、普通にみんなと遊びたいって気持ちに溢れてて、なんだか俺、普通に毎日学校に通ってんのが申し訳なくなって。だから、連絡帳にこっそり書き込んだんだ。「いつでも、待ってるからな。体が良くなったら遊ぼうな!」って。

でも次の日の朝、その子の家に行ったらその子のお母さんに「もう、連絡帳は届けなくていいの」って言われた。あまりにも突然だった。…この子は天国に行ったんだ。もう一緒に遊ぶ事は出来ないんだ……。そんな事考えたら涙が溢れて…止まらなくって…。ずうっと泣き続けてた俺に、その子のお母さんは連絡帳をくれたんだ。せめて君だけは、学校にも行けなかったあの子を忘れないで欲しいって。

そんな俺ももうすぐ30になろうとしてる。あの時の連絡帳は、引き出し下段の奥底にずっとしまったきりだ。就職したり、結婚したり、子供が生まれたり…。今まで、本当に色んな事があった。時には泣きたい事、辛い事の連続で、いっそ自殺しちまおうかなんて思った事もあった。けど、そんな時はいつも引き出しを開けて、女の子の連絡帳を開くんだ。

第133号 2021年8月ニュースレターより

なじだね新聞

ある小学校での出来事です。6年生の女の子が、白血病治療で髪の毛が抜け、坊主頭で登校することになりました。カツラをかぶったり、帽子でかくしたりしていましたが、そのうち、同級生のからかいがひどくなっていきました。

女子児童はしだいに「学校へ行きたくない」といいだし、心を閉ざしていきました。担任の女性の先生は、いろいろ手をつくしましたが、からかいは収まりません。そこで、その先生がとった行動は・・・

なんと、自分も坊主頭にし、学校に行ったのでした。30代の先生にとって坊主頭にするのはとても辛かったのですが、それ以上に、女子児童の事の方が大事だったのです。

第132号 2021年7月ニュースレターより

なじだね新聞

昨年コロナウイルス感染で亡くなった“志村けん”さんのちょっといい話です

ある若手芸人が志村けんさんに「娘の手術で300万円必要なんです」と泣きついてきた。
志村けんさんは1000万円入ったボストンバックを「出世払いで返してくれればいいから」と
その後輩芸人に渡した。
しかし、松村邦洋と他の芸人がこの後輩芸人を問い詰めたところ娘の手術はウソだと分かった。

その後、直接謝りに行った後輩芸人に対して志村けんは「なんだ、娘さん無事なの?良かったな。ほっとした!貸した金?ああ、どうでもいいよ。金は天下の回り物だ」と神対応。
後輩芸人は泣き崩れたという。その後輩芸人とは浅草キッドの「玉袋筋太郎」だそうです。

*この話を知った時。田中角栄さんも同じことをしたのを思い出しました。(以前、このコーナーでも書きました)別の派閥だろうが、野党だろうが、頼まれれば二つ返事で貸したそうです。それも、大抵、頼まれた金額の10倍をポンと渡したそうです。

第131号 2021年6月ニュースレターより

なじだね新聞

私はとあるファミリーレストランでアルバイトをしているのですが、私がちょっとしたオーダーミスでカップルに注文と違うものを届けてしまったのです。

その時女性はとても激怒し、タダで食わせろだの、周囲の目を気にせずに私の事を罵倒してきました。彼氏の方は止める素振りも見せず、ニコニコとしながらずっとこちらを見てきて、店長に相談しても自分のミスだからなんとかしてくれと任されてしまいました。私はアルバイトをしてから日も浅く、ちょっとしたオーダーミスも今日が始めてでどうすれば良いのかわからず、オーダーミス分を無料にするという事で彼女は納まってくれました。

そこから私はレジの方へ移ったのですが、しばらくした後にそのカップルがやってきて彼女の方が「オーダーミス分だけじゃ足りない。迷惑料として全部タダにしろ」と言ってきたのです。
二人で食べた分のお金は大体3000円ほどで、カップルにも出せそうな金額でしたが、彼女はそれを拒否してきました。私はこれ以上タダにしてしまうと店長にも首にされてしまうし、もう後がありませんでした。しかし、彼氏の方は先ほどと同じく止める素振りを見せずずっとニコニコして、こちらを見てたのです。

彼女はその彼氏に対して腹を立てたのか「アンタからも何か言ってやってよ!!」と大声で怒鳴り散らしました。すると、彼氏はしばらく「ウーン」と考えた後「別れよっか。」と言ってきました。彼女は理解ができなかったのか「は?」とマヌケな声を出し呆然としてました。すると彼氏はレジに1万円を出し「ごめん。迷惑料とお金。」 と言ってお釣りも取らず店を出ていきました。

しばらく彼氏の方を見ていましたが、彼女と一緒に来たであろう車に一人で乗りそのまま店自体から出ていきました。彼女はというとレジの前でしばらく呆然としてから帰るあても無く、歩いて店から出ました。

第130号 2021年5月ニュースレターより

なじだね新聞

「一途な純愛」

ある番組で、高齢者が過去の自分にビデオレターを送る企画を放送した。その中で、茨城県在住の76歳の男性が24歳の自分に語りかけた場面。男性は勤め先で出会った、顔の小さい可愛いハナという女性と付き合うことになると語り始めた。

男性は彼女との結婚に迷うことになると打ち明け「思い立ったらすぐいけよ!」と過去の自分にアドバイス。そして「ハナちゃんは、2年後に病気で亡くなるんだ」と、彼女を襲う悲劇を告げたのだ。男性はその後の自身について「お前は凄く後悔し、悲しんで、ずっと忘れられなくなる」と振り返り、「だから76歳になった今でも独身のままだ!」と現状を報告したのだった。

「俺の人生の中で一番愛していたのがハナちゃんだ。そして最も好きだったのがハナちゃんだ。よろしく伝えておいてくれ」と過去の自分に伝えた男性。最後には両手を挙げて、「ハナちゃん、愛してるよ。ふふふ」と、にこやかに笑ったのだった。

第129号 2021年4月ニュースレターより

なじだね新聞

私がお嫁に行くときに、母が「これは、あなたが小学校1年生の時に書いた作文よ」と、一枚の原稿用紙を渡してくれました。それは、「わたしのかぞく」という題名でした。そこには、こう書いてありました。

わたしのかぞくは4にんかぞくです。
おとうさん、おかあさん、4ねんせいのおにいちゃん、わたしです。
おとうさんは、あさごはんをたべているときには、いつも、みんなに、「きょうも、ひとのわるくちはいっちゃだめだよ」といってくれます。「ひとのわるくちをいうと、そのうち、じぶんがいわれるからね」といいます。よるごはんのときは、みんなに「きょう、よかったことをはっぴょう」といってみんなでいいます。そして、ひとりひとりいうたびに、みんなではくしゅします。・・・・

まだ、いろいろ書いてあったけど、私は全然覚えていませんでした。でも、読んでいるうちに、涙が出てきました。
母が横からこう言ってくれました。「あなたは、昔から人の悪口を言わなかったわね、学校で友達が人の悪口を言うのを聞いて、泣きながら帰ってきたこともあったわね」、「そして、何よりも、あなたがいつも前向きなのは、お父さんのおかげなのよ」と言ってくれました。
私は泣きながら「お父さんが私に残してくれた花嫁支度だったんだ」と思いながら、飾られてある写真を見ながら、「お父さん、子供が出来たら同じことをするからね」と心のなかでつぶやいた。

第128号 2021年3月ニュースレターより

なじだね新聞

僕が中学生の頃、母が病気になった。病名は肺がん、それも末期だった。
母は入院中に、いつも「学校でなんかあった?」って聞く。
ほんとに何にもないから、毎回「ない」って言ってその場が終わっていた。
僕も、中学だったから、何かあっても、そういうの恥ずかしくて、母に学校生活の話をすることはなかった。

数か月後、いよいよ危険な状態になって夜呼び出されたとき。
母親のそういう姿見てもうなにしていいかわかんなかった。
ベッドの横で泣いていると、突然母が
「今日学校でなんかあった?」ってまた聞いてきた。
この期に及んでもまだ、聞いてくるの?
空気よんでよ。なんで必死な顔してそんな事きくんだよ。
苦しいんじゃないのかよ。って思って。
何にも答えられなくて、結局これが最後の母の言葉だった。

そのすぐ後、意識を失い、そのまま亡くなった。
ああ、何でもいいから言えば良かった。
嘘でもいいから「彼女ができた!」「数学で90点取ったよ」
と言って喜ばせればよかったと、いまさら思い出します。
嘘はよくないと言うけど、こんな嘘は許されるよね。

第127号 2021年2月ニュースレターより

なじだね新聞

私が女子大へ通っているときでした。喫茶店でバイトしていた時、すこし強面の男性が携帯で大声で話しながら入ってきました。

男性が座ったテーブルは私が担当するエリアでしたので、「嫌だな」と思いながら注文を聞きに行きました。男性は電話で話しながら、メニューの中の、アイスコーヒーを指さしながら、横柄な態度で注文をしてきました。

その後、アイスコーヒーを運び、男性のテーブルに近づいたとき、私はつまずき、グラスを落として割ってしまいました。男性の洋服には幸いコーヒーがかからなかったので、私は慌てて、割れたコップを片付けようとしました。その時です、今まで携帯で話をしていた男性がいきなり「バカヤロー」と怒鳴ってきました。

私がすくみながら必死に謝ると、「違う!割れたコップを素手で拾うやつがいるか」とその男性は携帯を置き、さっとハンカチを取り出し、ガラス片をつかみだしました。「女性がこんな危ないことをするんじゃない」と言いながら「はやく、新聞紙と塵取りをもってきな」と別の従業員へ指示をしていました。その素早い対応を見ながら、私はずっとテーブルのそばに立っているしかありませんでした。

片付けが終わり、男性は何事もなかったように、携帯で話を始めました。代わりのアイスコーヒーを運び終わり、十数分後、男性が帰るときでした。会計は私が担当でした。「600円です」と伝えると、男性は1500円を出してきました。その時です。「悪かった俺のせいで萎縮してつまづいたんだろ」「ちょっと仕事のトラブルでイライラしていたんだ」「このお金は2杯分のコーヒー代とコップ代だ」と言って、領収書も受け取らず帰っていきました。

第126号 2021年1月ニュースレターより

なじだね新聞

「おかえり」

2ヶ月前、ストレスでどうしようもなくなって会社を辞めた。
夏の間に療養して、やっと求職活動を始めたが、あまりいい勤め先が見つからなかった。

それでもこれ以上遊び暮らすわけにはいかないので妥協しようかと思っていたら
かつての取引先の部長から「ぜひ、ウチの会社に来てくれ」と電話が来た。
会ったこともない相手なので戸惑っていたら、俺が取引していたその人の部下達が熱心に薦めてくれたらしい。

面接の際に、自分を誘ってくれた、部長にその理由を聞いてみた。
「君はうちに営業に来る際に、受付の従業員には○○○さんおはようございます。すれ違った人には、○○さんお世話になっております。 ときちんと挨拶ができる。」「うちの社員が、君の勤務先へ訪問した際も、君とすれ違うと○○さん、 お世話になっております。と挨拶してくれる。これが、うちの従業員は嬉しかったそうだよ」「だから、君が推薦されたんだよ」「それだけではなく、落ちていたゴミをそれとなく拾い、そのゴミを自分のポケットに入れるのを見ていた従業員もいたそうだよ」「そういう人と一緒に働きたいと皆から言われたんだよ」と聞かされ、何げなくやっている行動を誰かが見てくれていたんだと、号泣してしまった。

面接の後、ドアの外には見慣れた顔の人たちがいた。彼らは一言「お帰りなさい」と言ってくれ皆で泣いた。僕は小さな声で「ただいま帰りました」と言うのが精いっぱいだった。

第125号 2020年12月ニュースレターより

なじだね新聞

「遠足のおやつ」

俺の中で一番は、グリコアーモンドキャラメルだな。
アーモンドキャラメルにはちょっとした思い出がある。うち、昔すげえ貧乏で、余計な物なんて何一つ買ってもらえなかった。親父は早くに病気で死んじまって、母親が働きながら必死に頑張ってる姿を見てたから貧乏でも我慢しなきゃって、子供心に思った。

それでも毎年の学校行事の遠足や修学旅行で、お弁当の中身を見られるのが嫌で隠れて食べたりしてた。おやつ代だって貰えるわけないから、みんながおやつ交換している時も羨ましくて仕方なかった。そんな子供心を母さんは知ってたんだな。

あれは小学四年の遠足だったっけ、一度だけ弁当の包みにグリコアーモンドキャラメルが一箱入ってた事がある。すげえ嬉しくてもったいなくて、結局その場で食べられなかった。手をつけずに持って帰ったキャラメルは、袋に半分こにして、母さんいつもありがとうって手紙を入れて渡したら、ボロボロ泣きながらニッコリ笑ってたっけ。

あの顔は、今でも忘れない。あれから三十年近くになる。俺も子供が出来て、裕福ではないが、まぁそれなりに暮らしてる。子供の遠足には、毎回おやつとは別に弁当の包みにグリコアーモンドキャラメルを一箱入れる。
初めの頃は、なんでお弁当の包みにキャラメルが入っているのって子供に聞かれたもんだが。
天国のお婆ちゃんが入れてくれたんだよって教えてあげたら不思議そうな顔してたっけ。

第124号 2020年11月ニュースレターより

なじだね新聞

私は定年退職後、派遣会社の仕事をしています。主に道路工事やイベントの交通整理です。冬は寒く、夏は暑くて厳しい労働環境です。

ある8月の猛暑の日、大型スーパーで、横断歩道で交通整理をしていました。たまたま35度を超える日でしたので、その暑さは道路の照り返しもあるために、体感温度は40度を超えていたと思います。ペットボトルで水分補給をしているのですが、あっという間になくなってしまいます。近くに自販機があるので、すぐに買いに行けると思ったのですが、日曜日の午後のため、人がひっきりなしに渡るために、買いに行けません。

そんな時に、かなり強面の男性が運転する大型の外車が来たので恐る恐る車を止め、歩行者を優先させました。そのあと、車にお辞儀をし、通過させました。そうしたら、10Mくらい先で車が止まり、運転手が降りてきました。「苦情を言われる!」と思い、怯えていたら、その人は、おもむろに自販機へ行き、清涼飲料水を2本買っていました。ツカツカと私に寄ってきて「いつも暑い中、ご苦労さん」「これでも飲んでくれ」と渡してくれました。

私は嬉しさと驚きで、ただ茫然としていました。彼は「また後で寄るから」と言って立ち去りました。1時間後くらいにその外車が私のそばに寄り、窓が開いたと思うと、「これでもなめな」と言って、塩飴を手渡されました。彼は何も言わず去っていきました。

その日は、会社へ戻りその話をすると、「私もたぶん同じ人からジュースをもらった」という人がたくさんいました。人は見かけによらないという事を実感した1日でした。

第123号 2020年10月ニュースレターより

なじだね新聞

バスに乗った時、親子連れがいて、そこにいた、うるさい4歳くらいの子供が老紳士に唾をかけた。母親は子供に何も言わなかった。老紳士は怒り「お宅のお子さんが私に唾をかけた、お宅ではどういう教育をしているのだ」というと、母親は「うちではのびのびと育てていますので、赤の他人に口出しされる筋合いはない」と返した。

その10分後だった。
バスを降りようとした若い男が現れ、その母親に唾をかけた。
母親がその男に「何するんですか!」と怒鳴ると「僕も両親からお宅のお子さんみたいに、のびのび育てられたんでね」と言ってその場を去った。躾の出来ていない親ほど、他人からやられるとキレるんですよね。

第122号 2020年9月ニュースレターより

なじだね新聞

「不機嫌の伝染」

あるラーメン屋の話です。お客が味噌ラーメンの食券を買って定員に出しました。「味噌ラーメンでいいですか?」と確認すると「食券を見ればわかるだろう!いちいち確認するな」と怒鳴られたそうです。怒鳴られた店員は、厨房の同僚に怒鳴り声でオーダーをしました。その同僚は「あいつ、何、切れてんだ!?」と腹がたってしまいました。

この同僚はむしゃくしゃしながら、家に着くと、「酒でも飲んで寝るか」と思い、冷蔵庫を開けてみましたが、その日に限ってビールがありませんでした。彼は怒って妻をなじりました。妻はそのことでイライラしてしまい、子供がピーマンを残すのを見て、子供を怒鳴ってしまいました。子供は翌日、学校で友達に因縁をふっかけ喧嘩になりました。

そのため、放課後、母親が学校へ呼び出されました。事情を聞くと、昨晩、母親に意味もなく怒鳴られたことにモヤモヤし喧嘩になったとわかりました。母親は父親に帰宅後その話をしました。そこで父親は職場での出来事で、妻に八つ当たりをしたことが判明しました。店に行った父親は、自分が不機嫌になった原因の同僚にその話をしたところ、「お客に怒鳴られた」という事が判明しました。

これは、ある有名なフランチャイズのラーメン店での実話です。
これでわかりますよね、「不機嫌は伝染する」と。世界最悪で撲滅できない伝染病は「不機嫌」です。
逆にその特効薬は「上機嫌や笑顔」です。上機嫌や笑顔も伝染します。
朝、職場や家庭で元気な挨拶や笑顔を見ればその後の事は理解できますよね。

*当院では朝礼の最後に笑顔を作ります。そんな意味があってやっております。実際に笑っていなくても、口角を上げるだけで脳は「笑っている」と勘違いするそうです。楽しい事があるから「笑う」のではなく「笑う」から楽しいことが起きるのです。

第121号 2020年8月ニュースレターより

なじだね新聞

「夢が叶うという事」

お笑いコンビのサンドウイッチマンの実話です。伊達みきおさんのブログより

約16年前、富澤に誘われて『お笑い』の道へ入った。仙台から高速バスに乗って上京。東京のアパートに着いて間もなく、富澤が僕に約束をしてくれた。『7つの約束』☆草野球をやらせる☆オールナイトニッポンをやらせる☆いい車に乗せる☆Vシネマに出させる☆歌を出させる☆ナレーションをやらせる☆食べ物のCMをやらせる 以上、7つの約束事。

当時、何のあてもなく上京してきた我々にとって、この7つは本当に『夢』みたいな事。草野球なんてすぐ叶うじゃんって思うかも知れないが、誰も知り合いがいない東京で草野球だなんて…。正直、1つも叶うなんて当時は思わなかった。超貧乏で、全く仕事がない芸人人生が始まった。最初、ほんの少しずつ、夢が叶うという奇跡があった。事務所に入り、草野球が出来たり、偶然Vシネマにエキストラとして出演したり。その後、やっと世に出させて頂き次々と夢が叶う奇跡。そして最後の約束。『食べ物のCMに出させる』という約束。あの日から16年目の今。

とうとう『夢』が叶いました!!!東北6県で展開している冷麺・焼肉屋さん『やまなか家』さんのCMをやらせて頂くことになりました!11/8から3か月間東北6県で放送開始になります。『やまなか家』のHPにて、WEB限定ムービーも流れています。ホントに、あの時の我々にとっては夢物語だった7つの約束。富澤がちゃんと叶えてくれました。ありがとう!すげーなぁアイツ。

で、夢が叶ってしまったので新たな約束事を考えました。☆飲食店をやらせる(東北の美味いものを中心に出すお店)☆刑事ドラマの刑事役をやらせる(犯人役は2度やったので)☆東京ドームで野球をやらせる(何か、頑張れば叶う気もするけど)☆大河ドラマに出演させる(役者としてのレベルが上がるからね。あ、役者じゃねーや俺。でも出たい。)☆還暦になっても、米寿になっても毎年単独ライブをやる(お互い健康なら可能かな。米寿って…何歳だよ。)☆人間国宝にさせる(どうやったらなれるか分からないけど。)☆サンドウィッチマンを解散しない。(まぁ、しないか。)

これからの『夢』はこんな感じかな。☆パイロットにさせる!とか書きたかったけど、子供の夢みたいだからやめた。叶いそうもない『夢』もあるけど、何か、富澤なら何とかしてくれそうな気もするな(笑)夢は、叶えてナンボですよ。そして、気合入れて頑張ってれば…案外叶うのかも知れないですね。(最初の7つの夢は二人のアパートのトイレに貼って毎日眺めていたそうです)

第120号 2020年7月ニュースレターより

なじだね新聞

「トイレの神様」

家が新しく建つと7人の神様がやって来てそれぞれの部屋を担当してくださるそうですが、担当する部屋は早く着いた神様から順番に決めていくのだそうです。

1番早く着いた神様が応接室、2番目の神様は玄関、3番目の神様は居間、4番目の神様が寝室、5番目の神様が台所、6番目の神様がお風呂と洗面所、最後の7番目の神様がたどり着いた時にはトイレしか残っていないので必ずトイレの担当になるそうです。

どうして、到着時間に差がつくのかというと、持ち物がそれぞれ違うからということなのです。1番先に着いた神様は手ぶら、2番目の神様は紙袋に入ったお土産、3番目の神様は小さなバックにお土産、4番目の神様は小さめのナップザック、5番目の神様はリュックサック、6番目の神様はリュックサックの中にものすごいかたまりを入れて、7番目の神様は山男が背負うような大きなザックを背負ってくるのですが、その中には金銀財宝が入っていて、これから担当する家を裕福にしてあげようと思って持ってくるそうです。

7番目の神様はとても心優しく温かい方で、大汗をかきながらゆっくり歩いてやっとたどり着くのだそうです。トイレをはじめ、お風呂、台所など水回りをキレイにすることは、ザックに詰めた金銀財宝を持ってきてくれた神様を大事にすることになり、お金に困らなくなるとのこと。

数年前に大ヒットした歌の歌詞によると、トイレ掃除をするとべっぴんさんになるとも言っていましたので、やっぱりトイレ掃除は最高にご利益がありますね!ちなみに、著書の中で小林正観さんはそういう下心を持ってトイレ掃除をしても全然OKとおっしゃっていますので、安心して邪心や下心を持ちながらトイレ掃除をしましょう!

第119号 2020年6月ニュースレターより

なじだね新聞

ある日父から「麗子たまには、お父さんと飲みに行こう。何でも好きな物食べて何処でも連れて行ってやる。チョットおしゃれしてこい。」と言われた。 面倒のような気もしたが、その頃、夜の街に興味も有り、出掛けた。 町に出る車中で父が言った。「今日はトコトン飲むぞ!!もうダメって程飲め。お父さんが責任持つからな アホみたいに飲もうぜ」おいおい、いいのかよ・・・お母さんに怒られるぞ~などと思ったが、お父さんが責任持つんだからいいか・・・

1軒目 父行きつけの串焼き屋に到着。女将の「みっちゃん(父)が彼女連れて来ちゃったかと思ったよ~」の1言で気を良くした父は2軒目から彼女だって事にしろよ!と完全に舞い上がった様子。二人でかなり飲み店を後にする。
2軒目 父の行きつけのクラブに到着。父のご指名の女の人に「娘さんでしょ?」とアッサリ見破られるも、これまた上機嫌。「俺に似てるんだよなぁ・・目が似てるからなぁ・・」 要らぬ説明をし、嬉しそうに飲み続ける。
3軒目 父の行きつけの寿司屋に到着。大将に「いいなぁ娘と一緒に飲みに行くなんて幸せだねぇ。親父の夢だよなぁ」等言われ、またもやご満悦。「好きなもん喰えよ たまにしか一緒に来ないんだから」と父。初めてじゃん・・・小さな見栄。。張ったな。。。
4軒目 父行きつけの居酒屋。この辺はもう覚えていない・・何を飲んだかも・・話の内容も・・。
5軒目 父行きつけのスナック。まったく覚えが無い。カウンターにつっぷしダウン。 父はタクシーを呼び私を背負ってくれた。この時一時的に意識を取り戻し、「気持ちいいなぁ・・お父さんゴメンね 酔っ払っちゃった」 「いいよ。寝てろ」

朝、目覚めると部屋のベットに寝かされていた。父と顔を合わせるのが気まずい・・・リビングに行くと父はもう出掛けていた。母に広告の裏に書いた手紙を渡された。
「 麗子へ 昨日は楽しかったな。 また、行きたいよ。また一緒に行こうな。 昨日、麗子が飲んでグロッキーした酒の量はわかるか? ビール2杯、チュウハイ5杯、・・・・。。。。。 それが、お前の量だぞ。今度、誰かと飲みに行っても、その量の手前で帰ってこい。 世の中はいい奴ばかりじゃない。 騙してどっかに連れて行かれたら。お父さんは守ってやれないから。だから、お前の量を教えようと思ったんだ。必ず守ってくれよ。お父さん信じてるけどな・・・ お父さんより 」

不器用なお父さんが、お酒の怖さを教えるために、取った行動ですね。言葉で言っても、お嬢さんは、おそらく反発されるだけでしたが、身をもって体験させることにより、十分理解できたと思います。6月は父の日があるので、お父さんの素敵な話を紹介しました。

第118号 2020年5月ニュースレターより

なじだね新聞

「世界一過酷な職業」

職種:Director of Operation(現場総監督)
勤務時間:基本24時間(週135時間以上/週7日)、徹夜あり、休憩はほとんど無し
必須能力:交渉力、交際力、医学、金融学、栄養学
特徴:複数のプロジェクトを担う
   立ち仕事で体力を使う仕事が多い
   常に周りに注意を払う必要がある
備考:休日やクリスマス、正月にはさらに仕事が増える
   ランチはすべての同僚の後に食べることになる
   すでにこの仕事を担ってきた人(先輩)が数十億人いる
給与:0 円(ボランティアのような感じで完全無給)

あなたは、このような内容の求人情報がでたら、応募しますか?1年間無休の上、給料は出ません。中には別の仕事を掛け持ちをしている人もいます。もちろん定年もボーナスもありません。しかし、このような職場に就職している人が世界で数十億人います。答えはもうわかりましたよね。5月第2日曜日は「母の日です」。生んでくれたお母さんに感謝しましょう。

第117号 2020年4月ニュースレターより

なじだね新聞

私は、トイレの清掃員をしてます。来る日も来る日もトイレの共用部の清掃を行っています。とは言え、この作業が好きだからやっているなんてカッコいい事は言いません。ただ、一つだけ言える事は「仕事があるだけで、仕事を与えられているだけで感謝している」という事。
どんな仕事でも差別されずに必要とされる仕事は有り難く、とてもやりがいがあります。来年で55歳を迎えますが、日々喜んでトイレの清掃を行い、利用者が快く使用出来るよう心がけてピカピカにしています。

ちょうど 1 年程前にとても嫌な経験をしたのです。いつも通り男子トイレの清掃に入り、小便器をゴシゴシと掃除していた時です。丁度どこの企業も新卒採用の面接を行っている時期でしたので、大学生などリクルートスーツに身を包んだ若者が頻繁に出入りしていました。私が小便器を丁寧に掃除していると、笑いながら初々しい姿の大学生 2 人がトイレへ入ってきたのです。そしてすぐに小便器を掃除する私に『こんな仕事やだよなー。まじで無理だわ、俺。』『いや無理とかってレベルじゃないだろ!トイレの掃除とかキモいって!!!とりあえずこうなったら人間のゴミだわ!(笑)』知らないフリをして、聞こえないフリをしました。しかし、この大学生二人組は、この後凍り付くような窮地へと追い込まれる事となったのです。

この大学生たちのすぐ後ろから入ってきた一人のおじさんがボソッと大学生に言葉を掛けます。 『君たちは、就活生かい?だとしたら、0点だね。なぜなら君たちは、仕事の意味を履き違えているようだ。どんな仕事でも、仕事があるという事は必要とされているからなんだよ。立派な仕事。誰にでも出来る仕事じゃないことをしてくれる人がいるから、君たちは何不自由なく便利に使えたり利用できるんだ。いいかい?「ゴミ」なんて言葉を使うんじゃない。掃除をする方が、掃除をして給与をもらうだろ?これは、その仕事や人に対しての対価=ありがとうという報酬なんだよ。そこにお金という対価が発生しているという事は、必要とされているからなんだ。ゴミじゃないんだよ。でも、きっと雇う側も仕事を与える側も、君たちの様な価値観の人間には何も渡さないと思うが、どう思う?』
そう言い、ふと大学生が首から下げている名札を見てさらに笑みを浮かべこう言います。『ふむ。面接か…楽しみだね。そのロゴは私の会社のシンボルだ。後で、面接室で続きを話そう。』

大学生たちはすぐにこの意味を悟った様子。どうやら、このおじさんは彼たちがこの後面接を受ける会社の社長だったのです。私も、このビルの清掃をしていて何度か見かけた事はある顔でしたが、まさか会社の社長だったとは知りませんでした。

第116号 2020年3月ニュースレターより

なじだね新聞

このコーナーでも何度か書きましたが、サッカーの三浦カズさんのかっこい話です。

7年ほど前の正月休みに両親と静岡市のカズ実家(もんじゃ焼き屋)に食べに行った時の話。 両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなりキングカズが玄関から入ってきた。もんじゃ焼き屋に似合わないイタリアンないでたちで…。

カズが「俺いつもの~」と言って二階へ上がろうとすると、店内にいた高校生集団が「カズさん!」「カズさんかっけー!」などと騒ぎ出し、カズが戻ってきてくれて即席サイン会になった。 店内に 13~4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使いサインをしてくれた。高校生達がカズの母校静岡学園のサッカー部だとわかったカズは、いい笑顔で会話を交わしていた。そして カズは「またな~」と二階に上がっていき、店内は静かになった。

私と両親はカズの気さくさとかっこよさに興奮しつつ、 食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、 店員さん(カズ妹)が階段の上を指差しながら、「今日のお客さんの分は出してくれましたから。 また来てくださいね」と。あれには本当にびっくりした。

第115号 2020年2月ニュースレターより

なじだね新聞

「母さん、ありがとう」

保育園の頃、みんながアニメとかキャラ物の布団を持って来ている中、うちは母さんがドラえもんを描いてくれた白い布団だった。ある時「うわ~〇○ちゃんのお布団の絵、凄い上手~!」と誰かが言いだし、みんなが俺の布団を取り囲んだ。俺は誇らしかった。

数年前、実家の親が引っ越すんで嫁さんと手伝っていた時に全く使って無いような押し入れから、少し黄ばんだ子供用の布団が出て来た。「これはあの時の布団だ・・・!」直感した俺は、嫁さんに保育園での話をしながら布団を広げてみた。

めっちゃ下手だったよな、ドラえもんが胡瓜みたいだもんな。でも一生懸命描いてあった。青い部分は細かく縦線引いてあったりね。うちは貧乏だったけど、親には本当感謝しています。金無いけどいろいろ工夫してくれた母さん、ありがとう

    

「照れ屋の父」

姉の結婚式のとき。姉と一緒に写真を撮っていたら、不意に、メールが届いた。
件名「ほしい」 内容「ちちも しやしん」

親族控え室を見回すと、何事もないかのように祖父らと談笑する父の姿が。 でも、時折チラチラとこちらを見る父。「お父さんも一緒に撮ろうよ!」と声をかけたら、「ん?写真は苦手なんだけどなー・・・お前たちがそう言うなら仕方ないなー・・・」と言いながら寄ってきた。

そのときの写真を、携帯の待ちうけサイズにしてあげたら「俺は親ばかじゃないから、こんなのいらん!」と言ってたくせに、後日「しやしん まちうけ ほうほう おしえて」 と、メールが来た。

第114号 2020年1月ニュースレターより

なじだね新聞

「男の手」

俺に父はいない。俺と妹が生まれるずっと前に癌にかかり、俺たち兄妹が生まれて暫くしてから亡くなったらしい。

俺たち兄妹も小学生になったある日。学校から帰ってのんびりしているときに隣家で火事、あっという間に俺たちの家にも火は燃え移った。母は仕事でいなかった。妹の手をとり部屋から脱出しようとしたが、ドアノブが火の熱によって溶かされて出れそうにない。(このとき俺は右手を火傷した)部屋は二階だし、窓から脱出しようにも出来るわけがない。

俺は助けが来るまで、熱から妹を守るため、布団で妹を包み必死にだきしめた。ただ、俺も妹も限界に近い・・そんなときだった。誰かが俺の体を包み込んだんだ。どういう経緯で家から脱出したかは覚えてはいない。それと、あの火事のなかで聴こえた「手、痛いだろ・・偉いぞ。男の手は、愛する人を守るためにあるんだ。」ていう言葉と、ずっと、誰かが抱きしめていてくれたこと。確かその人は、坊主頭でちょっとたれ目、左目の下には傷痕があった。

後々大きくなった俺たちに、母から父の手紙をもらった。それに俺たちが生まれて間もない頃だろう、家族写真が何枚か入っていた。写真の中で笑う父は、坊主頭でちょっとたれ目、左目の下に傷痕があった。薄くて誤字だらけの手紙は読むのがやっとで、手紙の最後にはこう書かれてた。「男の手は、愛する人を守るためにあるんだ。あの世にいっても、俺は家族を守る。」と

第113号 2019年12月ニュースレターより

なじだね新聞

「娘からの最後のクリスマスプレゼント」

6歳の娘がクリスマスの数日前から欲しいものを手紙に書いて窓際に置いておいたから、早速何が欲しいのかなぁと夫とキティちゃんの便箋を破らないようにして手紙を覗いてみたら、こう書いてあった。 「サンタさんへ おとうさんのガンがなおるくすりをください! おねがいします」 夫と顔を見合わせて苦笑いしたけれど、私だんだん悲しくなって少しメソメソしてきちゃったよ。

昨日の夜、娘が眠ったあと、夫は娘が好きなプリキュアのキャラクター人形と「ガンがなおるおくすり」 と普通の粉薬の袋に書いたものを置いておいた。 朝、娘が起きるとプリキュアの人形もだけれど、それ以上に薬を喜んで「ギャーっ!」って嬉しい叫びを上げてた。

早速朝食を食べる夫の元にどたばたと行って「ねえ! サンタさんからお父さんのガンが治る薬貰ったの! 早く飲んでみて!」っていって、夫に薬を飲ませた。夫が「お!体の調子が、だんだんと良くなってきたみたいだ」と言うと娘が、「ああ! 良かった~。これでお父さんとまた、山にハイキングに行ったり、動物園に行ったり、運動会に参加したりできるね~」……っていうと夫がだんだんと顔を悲しく歪めて、それから声を押し殺すようにして「ぐっ、ぐうっ」って泣き始めた。 私も貰い泣きしそうになったけれどなんとか泣かないように鍋の味噌汁をオタマで掬って無理やり飲み込んで態勢を整えた。夫は娘には「薬の効き目で涙が出てるんだ」と言い訳をしてた。

その後、娘が近所の子に家にプリキュアの人形を持って遊びに行った後、夫が「来年はお前がサンタさんだな……。しっかり頼むぞ」と言ったので、つい私の涙腺が緩んで、わあわあ泣き続けた。 お椀の味噌汁に涙がいくつも混ざった。

第112号 2019年11月ニュースレターより

なじだね新聞

今回はちょっと「ほっこりする話」の短編集です。

□電車で赤ちゃんがギャン泣きしてるから女子高生3人がずっと赤ちゃんを見てて、お母さん凄く気まずそうだったんだけど3人がいないバァ!を順番にし始めたら余計ギャン泣きされて、お母さんも女子高生もお互いにスミマセンスミマセンしてたけど、和やかな雰囲気になったし和やかだった。

□こないだ電車でおっちゃんが小さい子供に席を譲ってあげて、その子のお母さんが「ありがとうございます?。ほら、お礼言いなさい?」って言ったらその子が「おれい!」って言って世界が平和に包まれた。

□去年サカイさんで引越ししたけど、一番グッときた営業さんのアピールポイントは
「引越し直後は 段ボールに囲まれて生活する事になりますけど うちはパンダの絵がついてて
カワイイから和みますよ??」

□電車の優先席で居眠りしていたガラの悪いお兄さんを小さな男の子が揺り起こして「おばあさんに席を譲ってあげてよ」って、そしたらお兄さんがスクッと立ち上がって席を譲ったあと、
「よう坊主!すまなかったな、その気持ちずっと忘れるなよ」って頭を撫でてた。寒かったけど心は暖かな一日になりました。

□とある電車内。少女がキレイな瞳で座席にのぼり、隣の頭頂部がハゲているいかにも怖いおじさんを「なでなで?」と言いながらなでた。円を描くようになでた。誰もがこの世の終わりのような顔をしたが、おじさんは「つるつるじゃろー」とにっこり笑いかけた。

第111号 2019年10月ニュースレターより

なじだね新聞

「おばあちゃんの、かっこいい捨て台詞」

数年前の出来事。
背後から「ドロボー!」という声が聞こえたので振り帰ると、不似合いな手提げ袋を持った男がこちらに向かって走って来た。 え?何?とオロオロしていたら、自分の後ろを歩いていた小柄なおばあさんが、持っていた買い物袋を男にぶち当てた。

男はコケてしまいました。そのおばあちゃんはコケた男を持っていた杖で、ボコボコに殴る殴る殴る殴る殴る殴る。

集まってきた男性達が協力して男を拘束・通報。 結局、引ったくりだったらしく、男は警官に連れて行かれる時に「てめぇ覚えてろ!」とおばあちゃんに捨て台詞を吐いた。 ばーさんは警官が止める間も無く男に杖でもう一撃食らわせ

「お前が出て来た時にはもう死んどるし、生きててもボケて忘れとるわい!バ~カ!」 と吐き捨てた。 かっこいい、あのおばあちゃん、まだ元気かな?

第110号 2019年9月ニュースレターより

なじだね新聞

「カッコイイお父さん」

私が中3の夏休み、夏期講習のあと、夜の10時位の電車内で痴漢騒ぎが起きました。被害を受けた女性が、相手に注意をすると相手は逆ギレをし、「なんだぁ? 俺が痴漢だってのか!」 と女性を殴り始めました。女の人はその場にうずくまって泣いている。
(うわーヤダなぁ、関わりたくないなぁ、誰か止めてくれないかなぁ)と、私はうつむいて気配を殺していた。他の乗客も私と同様に関わりたくないオーラを出しながら見て見ぬふりでした。そこへ男性が現れてきました。

「おいおいおーい、ダメだよー女の人殴っちゃ~」その声は、なんと、父の声でした。偶然にも父が同じ車両に乗っていたのでした。父はいつもの調子の良い感じでチーマー風の男に近づいていくではないですか。(っ!? 馬鹿親父!余計なことして怪我したらどうすんの?)
「あ? なんだ、おっさん?やっちまうぞ、おい?」 「まぁまぁまぁまぁまぁ、とりあえず静かにしよう。な? な? な?」 「なめんな、ごらぁ!」

(やられる!)と思った瞬間、動きが止まったのはチーマー風の男だった。ゆっくりと倒れ込んでいく男の片腕を取った父はニコニコ笑顔のままで「はーい、もう大丈夫ですよー。次の駅で降ろしますので、証言ご協力お願いしまーす」 殴られた女性、チーマー風男が痴漢していたという証言者2人、殴られた男の人、その駅で降りるから証言するという人3人ぐらいの大人、そして、私が次の駅で降りた。
「お父さん!」「ええーっ!? ○美、おまえ、乗ってたのぉ~? あっちゃーまいったなぁ~」
その後、取り調べなどで2時間ぐらいして、結局、私は父といっしょにタクシーで帰った。
タクシーの中、父は大まじめな顔をして「お母さんにはお父さんが暴れたこと、絶対に内緒な、な?」「…あの人になにしたの?」「ん? いや、パンチなんて10cmからの至近距離でもいけるもんなんだよ。あははは」

その後、私は母に聞いた。「お父さん、昔は怖かったのよぉー。でもね、お付き合いする時、お母さんが条件出したの。『下品な言葉遣いしないこと、怖い顔しないこと、暴力をふるわないこと』お父さんがずっと約束守ってくれたから、お母さん結婚したのよ」
この事件以来、私は父が大好きになり、父のような人と結婚しようと思うようになりました。

第109号 2019年8月ニュースレターより

なじだね新聞

「気持ちいい光景」

私が横浜で講演するために、横浜駅で乗り換え、桜木町行きの電車に乗車しました。私は大学生らしき青年の横に座りました。椅子に座っていると、老夫婦が駆け足で乗ってきました。

その夫婦は私の隣の青年の横に座り、「間に合って良かった」とホッとしていました。
老夫婦は青年に「この電車は東神奈川に止まりますか?」と聞いていました。
青年は「逆方向ですね」と言った後、老夫婦は困り果てておりました。

青年はおもむろにバックからタブレット端末を取り出し操作し始めました。横で見ていると、電車の乗り継ぎアプリのようでした。手際よく操作した後、老夫婦のご主人に対して、タブレットを見せながら、「次の桜木町で、〇分の電車に反対のホームから乗り換えれば、〇時に東神奈川に着きますよ」と教えていました。老夫婦は嬉しそうに御礼を言っていました。

手際の良い動作に、感心していた私でした。桜木町で私も降りたのですが、なんとその青年も降りました。「なんだ、彼もここで降りるのか」と思って、彼の後を追うように階段を降りました。老夫婦はエスカレータで降りてきましたが、青年はわざわざエスカレータの下で待っており、老夫婦を反対のホーム方向を指さし、いろいろ指示しておりました。

老夫婦は何度も振り返りながら御礼を言っておりました。その後、なんと彼は降りたホームへ戻っていきました。彼はわざわざ降りて行ったのでした。
駅を出ると快晴で朝からとても気持ちいい気分になりました。

第108号 2019年7月ニュースレターより

なじだね新聞

今回は芸能界の「ちょっといい話です」3連発です。

◆立川志の輔がテレビで話していたエピソードです。
タケシ軍団のダンカンって元々立川談志の門下だったそうです。 門下だった頃ダンカンが門下仲間にタケシに弟子入りしたいと言いだし、談志にその旨を伝え一門から抜けるとお願いして来るといいはじめたそうです。門下一同は「無茶だ殺される」と襖の影から様子を窺ったそうです。ダンカンの話を談志は不機嫌そうに黙って話を聞きおもむろに後ろにあるラックに後ろ手に手を伸ばし逆手でウイスキーのボトルを掴んだ。「あ!殴られる!」と一同誰もが思った矢先談志は懐から自分の名刺を出し、おもむろに一文書き足した後、ボトルに貼り付け「これタケシに渡して来い。そうすりゃ邪険に追い払われたりしないだろ。タケシによろしくな」 と言ったそうです。*粋な計らいですね。

◆杉田かおるが芸能界を干されかかっていた頃。
スタッフにも厳しさを求める杉田が、ある失敗をした監督ともめた。 完全に監督が悪い状況であったが、女優として美人扱いではなく、また驕るタイプの監督だったため、杉田に強く叱責(逆切れ)し、暴言を吐いた。芸歴は長いが若い杉田と、偉い監督。誰もが干される事に怯え、杉田に味方をするものがいなかった。その時、様子を見ていた共演者松田優作が歩みより、
『ちょっとあんた。レディーに向かってその言葉はないんじゃないの』と監督を叱った。*かっこいい~!

◆ダウンタウンのガキの使いのトークにて
ハガキ「もし浜田さんが明日死ぬとしたら、松本さんは浜田さんに何をしてあげますか?」
松本「あのね、何をしてあげるというかね・・・そんなことありえないんですよ。」
浜田「どういう事ですか」松本「あなたが死ぬ前に僕が死にます。」 浜田「なんでやねん」
松本「お前がいない人生なんて考えられへん!」

第107号 2019年6月ニュースレターより

なじだね新聞

「うるさいサラリーマン」

先月末の夕方、東京から新幹線乗ったらアホそうなサラリーマンが、車内の座席で携帯でギャーギャー騒いで(怒り口調で)うるさかった。内容から仕事の話だろうが本当に迷惑だったが、ここで凄いことが怒った。
「うるさいぞ、黙れ。ロビーに行け」とスーツの初老男性が注意したんだが、一旦電話を切ったサラリーマンが初老男性に食って掛かった。 だけど初老男性はたじろぎもせず 「お前は何様だ、何処の部署だ!」 と意外な返答をした。

バッチから企業名がわかったらしいが、彼は「関係ないだろ」とますますうるさくなった。その時、初老男性がイキナリどっかに電話掛けたと思ったら、
「取締役の○○ですが、人事部長の△さんをお願いします。」と言ってる。 「あー、△君?今さーうちの会社の若い奴が新幹線で周囲に迷惑掛けてるんだけど 名前がわかんないから出張中の奴、調べてくれない?何なら本人に代わるけど?」

ここからは、サラリーマンが青ざめた顔してイキナリ謝り出した・・・
駅で買ったビールを飲んでた事も、初老男性はきに食わなかったらしく ロビーに連れてかれたが、あれは凄かったよ。 俺が名古屋で降りる時も帰ってこなかった。「遠山の金さん」みたいな話ですね。

第106号 2019年5月ニュースレターより

なじだね新聞

「三浦知良さん(サッカー選手)のかっこいい話」

ある新聞社にカズが養護学校の施設に1人で来て、度々障害者の子供たちと会っているとの情報が入ってきた。通常こういう施設に有名人が来る場合はマスコミに事前に知らされていて、カメラと一緒にパフォーマンスとしてするものなので記者もこの情報には半信半疑であるのと、もしかしたらカズ自身に何かの秘密があるのでは?とスクープの可能性も感じながら情報の養護学校に向かった。

3日ほど張り込んだだろうか、場違いな高級スポーツカーが養護学校に横付けされた。中から出てきたのはカズこと三浦知良だった。記者はかたずをのんでカズが何を目的に来ているのか見守っていた。もちろん他にマスコミの姿は見当たらない。
やがてジャージに着替えたカズが障害者の子供たちとサッカーボールを持って中庭に出てきた。子供たちの中には満足に歩けないような重度の障害がある子もいた。しかしその子供たちの目は真剣そのもので倒れても起き上がっては泥だらけになってボールを追いかけている。
いつしか記者のカメラはカズではなく障害者の子供たちに向けられていた。

やがて時間が過ぎてカズと子供たちは施設の中に入っていった。着替えを終え施設を出ようとするカズに子供たちは全員で手を振っている。そしてカズはこう言った。
「今日もみんなありがとー!」
記者は耳を疑った。なぜならカズの方がお礼を言っていたからだ。 高級スポーツカーに乗り込み施設を出ようとするカズに急いで記者は駆け寄って少し意地悪な口調でこう質問してみた。
「カズさん○×新聞ですけど、こういう施設にきて子供たちとサッカーをしてあげているというのはやはり好感度とか人気取りなんでしょうか?」、突然記者が飛び出してきたので少し驚きながらもカズはこう答えた。

「僕が彼らに何かをしてあげてるって?逆に僕が何かをもらっているようには見えなかったかい?」

そう言い残してカズはスポーツカーを走らせて帰って行った。記者は職業柄意地悪な質問をした事をすぐに後悔する事になった。なぜなら自分が撮影したカメラにはカズの姿は殆ど映っておらず、その殆どが泥だらけになりながらも、倒れながらもボールに向かっていく障害者の子供たちの姿だったのだから。

(彼の話はこれからも高倉健さんと同様に時々紹介しますね)

第105号 2019年4月ニュースレターより

なじだね新聞

「パパの1時間」

男は、今日も仕事で疲れきって、遅くなって家に帰ってきた。すると、彼の5歳になる息子がドアのところで待っていたのである。彼は驚いて言った。「まだ起きていたのか。もう遅いから早く寝なさい」「パパ、寝る前に聞きたいことがあるんだけど」「なんだ?」「パパは、1時間にいくらお金をかせぐの?」「お前には関係ないことだ」と父親はイライラして言った。
「なんだって、そんなこと聞くんだ?」「どうしても知りたいだけなの。1時間にいくらなの?」男の子は嘆願した。「あまり給料は良くないさ…2000 円くらいだな。ただし残業代はタダだ」「わぁ」男の子は言った。「ねえ、パパ。ボクに 1000 円貸してくれない?」「なんだって!」疲れていた父親は激昂した。「お前が何不自由なく暮らせるためにオレは働いているんだ。それが金が欲しいだなんて。だめだ! 早く部屋に行って寝なさい!」 男の子は、黙って自分の部屋に行った。

しばらくして、父親は後悔し始めた。少し厳しく叱りすぎたかもしれない…。たぶん、息子はどうしても買わなくちゃならないものがあったのだろう。それに、今まで息子はそんなに何かをねだるってことはしなかった…。
男は、息子の部屋に行くと、そっとドアを開けた。「もう、寝ちゃったかい?」彼は小さな声で言った。「ううん。パパ」男の子の声がした。少し泣いているようだ。
「今日は長いこと働いていたし、ちょっとイライラしてたんだ…ほら。お前の1000 円だよ」
男の子は、ベッドから起きあがって、顔を輝かせた。「ありがとう。パパ!」そして、小さな手を枕の下に入れると、数枚の硬貨を取り出した。
父親はちょっとびっくりして言った。「おいおい、もういくらか持ってるじゃないか」「だって足りなかったんだもん。でももう足りたよ」男の子は答えた。そして、1000 円札と硬貨を父親に差しのべて言った。「パパ。ボク、2000 円持ってるの。これでパパの1時間を買えるよね?」

第104号 2019年3月ニュースレターより

なじだね新聞

「感謝の言葉」

小学生のとき、少し知恵遅れのA君がいた。足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅い。でも、絵が上手な子だった。彼は、よく空の絵を描いた。抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。

担任のN先生は 算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。私はN先生が大嫌いだった。

クラスもいつしか変わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、全校集会で先生のお別れ会をやることになった。生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。

私は、A君の言葉を忘れない。
「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」
A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。答えがわかるまで待っててくれたこと。普通の子と同じに接してくれたこと。
数多くの感謝の言葉を、途切れ途切れながらも必死に伝えました。その間、おしゃべりをする子供は一人もいませんでしたし、所々ですすり泣きが聞こえていました。
N先生もぶるぶる震え、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。

第103号 2019年2月ニュースレターより

なじだね新聞

「スカッとする話」

この前、ラーメン屋で30分待ちで並んでいた時のこと。
前にいたオバサンが携帯でなにやらゴソゴソ話をしていた。別に聞く気は無かったのだが、どうも買い物している友人に今からラーメン食べるところだから来いということらしい。
それから20分位経って俺の番まで後5人位になったとき、オバサンの友人が二人現れ、こっちっこっちと呼ぶオバサンの後ろ私の前へ何のためらいも無く割り込んできた。
あまりのずうずうしさに唖然としたが、どうにも腹の虫が収まらず「非常識でしょう、割り込みは」と文句を言ったら「最初から彼女たちの分も取っていたんです」と並んでいたオバサンに平然と言い返された。
それを見ていたオバサンの前に並んでいた20才位の学生さんらしき彼が、私を始めその後ろに並んでいた14・5人に向かって一言 、「いやー久しぶりです皆さんの分取っておきましたから私の後ろへどうぞ」それを聞いてオバサン達は「なんて白々しいことをするの」と学生さんに言ったら、後ろにいたサラリーマンが「そりゃあんたたちのことでしょ」で、一同拍手。

騒ぎを聞きつけたバイト君がオバサン達に決めの一言「三人とも後ろへ並んでいただくか帰っていただくか決めてください」オバサンたちはブツクサ文句を言いながら帰っていった。

第102号 2019年1月ニュースレターより

なじだね新聞

「おもらしした女の子」

中学校1年のときのこと、授業中に隣の席の女の子がおしっこを漏らしていました。
女の子の席は一番後ろのはじだったので他には誰も気がついてない様子。僕はおもむろに席を立って無言で廊下へ。先生が後から追いかけてきたけど無視して手洗い場でバケツに水を汲むと教室に戻り、その女の子にぶっかけました。
教室中大騒ぎになり、学校に両方の親まで呼ばれました。うちの親は相手の親に平謝り。
なぜそんなことをしたのか問い詰められましたが、僕は結局最後まで口を割りませんでした。
家に帰る途中で女の子が事実を親に話したらしく、お礼を言いにうちまで来ていました。
時は過ぎて今その女の子は僕の奥さんです。

このご主人かっこ良すぎですよね。

第101号 2018年12月ニュースレターより

なじだね新聞

「生んでくれてありがとう」

俺んち母子家庭で貧乏だったから、ファミコン買えなかったよ。

すっげーうらやましかったな、持ってる奴が。俺が小 6 のときにクラスの給食費が無くなった時なんて、「ファミコン持ってない奴が怪しい」なんて、真っ先に疑われたっけ。 貧乏の家になんか生まれてこなきゃよかった!って悪態ついたときの母の悲しそうな目、今でも忘 れないなぁ~。 どーしても欲しくって、中学の時に新聞配達して金貯めた。 これでようやく遊べると思ったんだけど、ニチイのゲーム売り場の前まで来て買うのやめた。 そのかわりに小 3 の妹にアシックスのジャージを買ってやった。 いままで俺のお下がりを折って着ていたから。 母にはハンドクリーム買ってやった。いっつも手が荒れてたから。

去年俺は結婚したんだけど、結婚式前日に母に大事そうに錆びたハンドクリームの缶を見せられ た。泣いたね、、。 初めて言ったよ「生んでくれてありがとう」って。

第100号 2018年11月ニュースレターより

なじだね新聞

*今回は泣いてください。

京都市伏見区桂川河川敷で2006年2月1日に無職片桐康晴被告が認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が行われた。

事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。

母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、06年1月31日に心中を決意した。

「最後の親孝行に」片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。
片桐被告が 「すまんな」と謝ると、母は「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、 自分も包丁で首を切って自殺を図った。

冒頭陳述の間、片桐被告は肩を震わせ、 眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。殺害時の2人のやりとりや、「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。
裁判の中で片桐被告は、「私の手は母を殺める(アヤめる)ための手だったのか」と言葉を残した。東尾裁判官は片桐被告に対し、「尊い命を奪ったと言う結果は取り返しのつかない重大だが、経緯や被害者の心情を思うと、社会で生活し 自力で更生するなかで冥福を祈らせる事が相当。被告人を懲役2年6ヵ月に処する…」そして続いてこう言った。「…この裁判確定の日から3年間 その刑の執行を猶予する」殺人(承諾殺人)で異例の執行猶予つきの判決を言い渡たされた。そして被害者(お母さん)の心情に対し「被害者は被告人に感謝こそすれ、決して恨みなど抱いておらず今後は幸せな人生を歩んでいける事を望んでいるであろうと推察される」

判決の後、片桐被告に裁判長が「絶対に自分で自分をあやめる事のないようにお母さんのためにも、幸せに生きてほしい」と言われ、片桐被告は深々と頭を下げ「ありがとうございました」と言った。片桐被告に言い渡した後に東尾裁判官はこう言葉を残した。「本件で裁かれるのは被告人だけではなく、 介護保険や生活保護行政の在り方も問われている。 こうして事件に発展した以上は、どう対応すべきだったかを 行政の関係者は考え直す余がある。」裁判長はこう締めくくったそうです。

第99号 2018年10月ニュースレターより

なじだね新聞

「母のデジカメ」

なぜか、機械音痴の母が突然、赤いデジカメを買ってきた「〇〇ちゃん、これ、見てみて、 ついにカメラ、買っちゃった」と僕に見せびらかしていました。 どうやら、とても嬉しいらしく、「これ便利ね」とはしゃぎながらいろいろと写してた。 家の中でも写し、外に行っては写していた。
ようやく使い方に慣れてきた頃、メモリがいっぱいで写せないらしく 「〇〇ちゃん、写せなくなっちゃった、どうすればいいの?」って聞いてきたが 「俺、受験で忙しいから、自分で説明書読め!」とつい怒鳴ってしまった。 さらに「どうせ、つまらないものばかり写してるからだろ!」とも言ってしまった。 そしたら「・・・ごめんね」と一言。
それ以来、母はカメラを触れなくなった。

そんな母が先日急に亡くなった。
遺品を整理してたらあの赤いデジカメが出てきて、何撮ってたのかなあと中身を見たら俺の寝顔が何枚も写ってた・・・
「ひょっとして・・・・・」「あんな事を・・・」いろいろ考えながら涙が止まらなかった。

第98号 2018年9月ニュースレターより

なじだね新聞

私(院長)は偶然入った都内の床屋さんが、高倉健さんの行きつけである事を知り、それ以来、このコーナーでは高倉健さんの心温まる、エピソードを書いてきました。
今回も大スターの“ちょっといい話”をお読みください。

ある後輩に、お祝いに高倉健さんが「何が欲しいか」と聞いた時のエピソードです。
プレゼントを申し出るくらいだから高倉健さんの律義さをわかっている後輩だったのでしょう。彼は謙虚にカッターシャツを希望しました。しかし、そんな彼の心遣いを伝説の男高倉健さんは吹き飛ばしてしまいます。

高倉健さんがカッターシャツを買い求めに行った先はなんと米国・ロサンゼルスのブルックス・ブラザーズだったのです。米国までカッターシャツを買いに行き日本に戻りプレゼントをしたそうなのですが。後輩は嬉しいとは思いますが、驚きと恐縮の気持ちの方が強かったに違いありません。

こんな型破りな行動高倉健さんのプレゼントは仕事仲間だけではなく一般人へも広がります。しかもその行為には売名行為が見当たりません。

JRAのCMに出演した時のことでした。
CMは牧場を舞台にしたドラマ風の内容でした。その撮影に北海道の小さな町の人たちが協力したそうです。一般人なら一生の中で会えない確率の高い高倉健さんとの共演です。協力した人達は自ら進んでのことだったでしょう。しかし、全てにおいて義理堅い高倉健さんは一地方の小さな町の為にあるプレゼントをこっそり行うのです。

世話になったお礼として「町の行事に参加したい。ただし、内緒で」と申し出るのです。
当日はサプライズ的な訪問の為マスコミ関係者は皆無。高倉健さんは、一緒に来てくれた宇崎竜童さんのギターで自ら何曲か歌いました。この心からの高倉健さんのプレゼントに町の人達はいたく感激。全てが終わった後そのことは記事となりました。

この、気取らない、謙虚な姿が後生に語り継がれている理由なんでしょうね。

第97号 2018年8月ニュースレターより

なじだね新聞

アメリカでの興味深いデータがあります。80歳以上の老人を対象としたアンケート調査です。
質問は、人生で最も後悔していることは何ですか?です。どんな回答が多いと思いますか?
因みにですが、70%の方が全く同じ回答をしています。それは、

人が人生を終える時に後悔する20の項目

1.他人がどう思うか気にしなければ良かった
2.幸せをもっと噛み締めて生きるべきだった
3.もっと他人のために尽くせばよかった
4.くよくよと悩まなければよかった
5.家族ともっと時間を過ごせばよかった
6.もっと人に優しい言葉をかけていればよかった
7.あんなに不安を抱えながら生きるべきではなかった
8.もっと時間があれば・・・
9.もっと思い切って冒険すればよかった
10.自分を大切にすればよかった
11.他人の言う事よりも自分の直感を信じればよかった
12.もっと旅をすればよかった
13.もっとたくさん恋愛をすればよかった
14.もっと一瞬一秒を大事に過ごせばよかった
15.子どもたちに好きな事をさせてやればよかった
16.言い争いなどしなければよかった
17.もっと自分の情熱に従うべきだった
18.もっと自分のために頑張ればよかった
19.もっと自分の本音を言うべきだった
20.もっと目標を達成すればよかった

*やって後悔するより、やらずに後悔する方が悔いが残るそうです。
上記の20の項目でもっとも現在、後悔しそうなことにチャレンジしてはいかがですか?
いつかはやりたいと思っていることに、チャレンジしてはいかがですか?

第96号 2018年7月ニュースレターより

なじだね新聞

これは、有名な書籍、ロバート・キヨサキ氏の「金持ち父さん 貧乏父さん」を読まれたある有名な方のコメントです

『この本で読んだ他のことはみんな忘れたとしても、絶対に忘れないでほしいことが一つある。
それは、何かが足りないとか何かが必要だと感じた時には、まず、それを人に与えることだ。そうすればあとになって、二倍、三倍にもなって返ってくる。このことはお金、ほほえみ、愛情、友情などいろいろなことにあてはまる。

「足りないものを与える」というのは、たいていの人は一番やりたがらない。
お金に困っていたり、適職が見つからずに困っている人は、この「まず与えて、次に貰う」ことが欠けている場合が多い。だが、私の経験から言わせてもらうと、このやり方はいつも効果がある。

私はこれまでずっと、お金が足りなくなったり、何か助けが必要になったりした時には、いつも自分が欲しいと思っているものをまず人にあげるようにしてきた。そんなふうにして何かをあげると、必ずそれが戻ってきた。(お金が足りなくなると教会や慈善事業に寄付をする。何かを売りたいと思ったら、誰かが何かを売るのを手伝ってあげる。そうすると私のも売れる。契約をとりたいと思ったら、誰かが契約をとるのを手伝う。そうするとまるで魔法のように、私のところにも契約が舞い込んでくるのだ。)

何年か前に聞いた言葉―「神は受け取る必要はないが、人間は与える必要がある」には真実が含まれていると思う。多くの場合、自分が何かを欲しいと考え、それを他人にあげるにはどうしたらいいか考えるだけでも、見返りがもたらされる。

出会った人達が私にほほえみかけてこないと感じた時は、いつも私は自分からほほえみかけ「ハロー」と声をかける。するとまた魔法のように、ほほえみを浮かべた人が私のまわりに突然増える。世界はあなたを映す鏡にすぎないというのは本当だ。

確かに、何かを与えたのに何も戻ってこなかった、あるいは戻ってきたものが自分の欲しいものとは違ったということは何度かあった。だが、そのような場合はあとでよく考えてみると、最初から何かが欲しくて、それが目的で与えていることが多かった。

つまり、純粋に「与えるために与える」のではなく見返りを期待して与えるという下心があったのだ。』

*私(院長)の知り合いに、「寄付をすればするほど年収が増えてきた」という方がいました。この感想を読んだときに、真っ先にこの知り合いの話しを思い出しました。また、お金に困った時ほど、寄付をする方もいます。

第95号 2018年6月ニュースレターより

なじだね新聞

「父が与えてくれた将来の目標」

高校1年の夏休み、両親から「大事な話がある。」と居間に呼び出されたんだ。親父が癌で、もう手術では治りきらない状態であると。
当時、うちは商売をしていて、借金も沢山あった。親父が死んだら、高校に通えるわけがないことは明白だった。そして、俺はお世辞にも優秀とはいえなかった。クラスでも下位5番には入ってしまう成績だった。

その夏から、親父は、抗がん剤治療を開始し、入退院を繰り返していった。メタボ体型だった親父が、みるみる痩せこけていった。母親の話では、主治医の見立てでは、もって1-2年だろう、ということだった。ただ、親父は弱音を吐くことはなかった。
親父は「高校、大学はなんとかしてやるから、しっかり勉強しろよ」って言ってたよ。仕事もやりながら、闘病生活を続けていた。俺といえば、目標も特になく、高校中退が頭にチラついて勉強は進まなかった。だから、その後の成績も、とても期待に沿うものではなかった。

「おまえ、将来、何かやりたいことはないのか?」高校2年の冬、痩せこけた親父に問いかけられた。俺は、期末テストで学年ビリから2番をとり、担任からも進路について厳しい話をされていた。言葉もない俺に、「・・・ないなら、、医者になれ! ・・・勉強して、医者になって、おれの病気を治してくれ!」その時、親父には返事を返すことはできなかったが、俺は決意した。それから、猛烈にがむしゃらに勉強した。高校3年の夏、親父は逝った。
親父は、闘病生活の2年間で借金を整理し、俺の高校の学費をなんとか工面したそうだ。親父のおかげで、高校卒業できた。そしてありがたいことに、1年間の浪人生活を経て、俺は地方の国立大学の医学部に合格した。

俺は今、癌専門治療医として働いている。親父は、「あいつは、将来おれの病気を治してくれるんだ」と母に言ってたそうだ。まだ、親父の癌を治す力はないが、日夜頑張っているよ。
いつか、親父の癌を治せるように。

第94号 2018年5月ニュースレターより

なじだね新聞

「未来のあなたへ」

嫁が激しい闘病生活の末、若くして亡くなって五年後、こんな手紙が届いた。
どうやら死期が迫ったころ、未来の俺に向けて書いたものみたいだ。

??Dear 未来のあなたへ、お元気ですか?大好きな仕事はうまくいってますか?
あなたのことだから、今ごろ凄い出世してるんだろうなあ。嬉しいぞ。早速だけど、私はもう長くないみたい。仕事柄、なんとなく自分の体のことはわかるんだあ。薬もだいぶ変わったしね。だから、あなたに最後の手紙を書くことにしました。
もう今頃、新しいかわいい奥さんが出来てるかな? (笑)いいんだよ、私に遠慮しないで幸せになってよ。あなたは誰かを幸せにできる才能を持ってる。その才能を持った責任を負わなきゃいけないんだ。でもね、一つだけお願いがあります。どうか私のことを忘れないで。
どんなに幸せになっても、一年に4回でいいから思い出して。私はもうお父さんもお母さんもいないから、あなたが忘れたらもうこの世界に私はいなくなっちゃう。それだけが怖いんだ。
4回というのはね、付き合い始めた日に幕張のレストランにいったよね。そして一緒に行った夏の北海道旅行と結婚記念日、そして私の命日。この4回だけは私のことを思い出して。それ以外の時は、他の人を幸せにすることだけを考えてください。あなたが思い出してくれるときだけ、私が生きていた証になります。最後までわがままだね (笑) ごめんなさい。
これから最後のレントゲンと診察かな?この手紙は友人にお願いして私の死んだ後、5年後に投函を頼みました。ではいずれ、天国で会いましょう?その時の私は若いままの姿だから嫉妬しないでね。

*人間、2度死ぬと言われています。1度目は実際に亡くなったとき。もう一度はその人の存在していたことを知っている人が誰もいなくなった時。だから先祖の供養やお墓参りって大事なんですよ。(院長)

第93号 2018年4月ニュースレターより

なじだね新聞

「あしたのジョー」のラスト“真っ白”に込めた思い」

最終回の最後のコマ、試合終了直後のリングで、ジョーはコーナーポストを背に眠るようにイスに座っている。「ジョーは死んだのか?」といわれていますが連載が終了し40年以上が過ぎた今も謎のまま

ちばてつや氏は取材で、この場面に込めた思いを話してくれた

「真っ白になるまで頑張れば、新しい明日が来ると、若い人に伝えたかった。いい加減な仕事をしていては明日は来ないやろうと決めたことに全力投球してほしい。そうすれば、きっと自分の中に何かが残る。次の何かに頑張るとき、生きるものがある」

*私もずっと気になっていました。この最後の一コマが「明日のジョー」の「明日」という意味なんですね。私も水泳の「限界への挑戦」で真っ白になりました。

第92号 2018年3月ニュースレターより

なじだね新聞

「高倉健さんのちょっといい話」

以前、宿泊先のホテルの床屋へ行ったら、健さんの行きつけの床屋でした。それ以来、親しみを感じてきました。彼はとても周りに気遣う人だったそうです。いくつも逸話があるなかから、「幸せの黄 色いハンカチ」のエピソードをご紹介します。

幸福の黄色いハンカチは武田鉄矢さんのデビュー作でした。
ラストの黄色いハンカチがたくさん干しているシーンで、鉄矢は泣く芝居をしないといけなかったけど、そのシーンに一週間撮影をかけていて、毎日ハンカチを見ているうちにハンカチが安全第一の旗に見えて涙が全く出なくて、泣く演技をするのに苦労したんだそうです。 そしたら、そのシーンが終わったら撮影も終わって1ヶ月振りに東京に帰ることになっているのだけ ど、「よーい」ってカチンコが上がった瞬間、健さんが小さい声で、「長い間世話になったな。東京に帰っても体に気をつけて、しっかり生活するんだぞ。楽しかったぜ。」って言ってくれ、鉄矢さん は大号泣し、あの名シーンが生まれたそうです。

もう一つ、『幸福の黄色いハンカチ』の冒頭で、刑務所から刑期を終え出所した直後の食堂で、女性店員についでもらったグラスに入ったビールを深く味わうように飲み干した後、ラーメンとカツ丼 を食べるシーンがある。 その収録で「いかにもおいしそうに飲食する」リアリティの高い演技を見せ、1テイクで山田洋次監督からOKが出た。あまりにも見事だったので、山田が問い尋ねると「この撮影の為に2日間何も食べませんでした」と言葉少なに語り、唖然とさせた。
*私はこの話を知ってから、この映画を観たら、確かに、真に迫っていました。さすがプロですね。

第91号 2018年2月ニュースレターより

なじだね新聞

「おかげさまで」

「夏がくると、冬がいいという 冬になると、夏がいいという 、ふとるとやせたいという、やせるとふとりたいという 忙しいと閑になりたいといい 閑になると忙しい方がいいという 自分に都合のいい人は善い人だとほめ自分に都合が悪くなると、悪い人だとけなす。

借りた傘も雨があがれば邪魔になる、金を持てば 古びた女房が邪魔になる
世帯を持てば 親さえも邪魔になる。
衣食住は昔に比べりゃ天国だが上を見て不平不満に明け暮れ 隣を見て愚痴ばかり
どうして自分を見つめないのか 静かに考えてみるがよいいったい自分とは何なのか

親のおかげ、先生のおかげ、世間さまのおかげのかたまりが 自分ではないのかつまらぬ自我妄執を捨てて 得手勝手を慎んだら、世の中はきっと明るくなるだろう
おれが、おれがを捨てて、おかげさまで、おかげさまでと暮らしたい 」

本当にそう思います。 他人のせい、環境のせい、政治家のせい、国のせいと周囲に責任転嫁する人は 成功できないし、幸せを実感することもない。 無いことを嘆くよりも、今あるものに感謝出来る人は、 行動するし挑戦します。だから、道が拓けるのだと思います。
すべては自分次第、考え方次第ですね!

第90号 2018年1月ニュースレターより

なじだね新聞

「初詣」
皆さんも初詣へいくと思いますが、お願いばかりしていませんか?

ある人が、初詣(はつもうで)で、お賽銭をあげたあと、二礼二拍手一礼し、今年のお願いごとをお祈りした。まずは、健康第一。
つぎに仕事がうまく回りますように。お金がたまりますように。取引先とうまくいきますように。
おっと、家族もみんな健康でありますように。それから…。
一度、顔を上げてからも「あっ」と思い出して、交通事故に遭いませんように…。
なかなか立ち去れないでいる。あるとき、神社の方に諭されてドキッとした。
神社では願いごとをするのではなく、「おかげさま」と感謝するものだと。
人は欲を出して求めれば求めるほど、幸せは逃げていく。今、今日この時に自分にあるものすべてに感謝していれば、自然に幸せはやってくるのだという。たしかに、至言である。
早速、やってみる。パンパンと柏手を打って、
「昨年はありがとうございました。おかげさまで家族全員健康で暮らせました」
なぜだか心地よく爽やかなのが不思議であった。

*十日町市内の諏訪神社は急な登り坂を上がらないと参拝できませんよね。
そこまで、上れる健康があることにまずは感謝ですよね。

第89号 2017年12月ニュースレターより

なじだね新聞

22歳で結婚した俺は、必死に働いた。子供も2人生まれて、俺は頑張った。
その甲斐あって、28歳で独立、33歳になった頃、普通よりはいい暮らしが出来ていたと思う。嫁さんも子供も喜んでくれた。だから、会社を大きくすることを考えた。

しかし、そのツケは、俺の身体に降りかかった。35歳の時に癌が見つかり、闘病生活が始まった。と同時に、会社の経営も傾いていった。
37歳のとき、もう俺は死のうと思った。年が明けたら死のうって、そんなことを考えていた年の瀬に、嫁さんと子供がクリスマスパーティーを開いてくれた。貧乏だから、ケーキの変わりにドラ焼きで、その上にローソク立てて、小さいチキンもあって、シャンパンの変わりにコーラで、メリークリスマスって言っていた。子供たちが楽しそうにはしゃいでいる姿を見たら、なんだか泣けてきた。(俺がいなくても元気でやれよ)そう心の中で思っていた。もう何回もこうやって遊べないから、おもいっきり遊んであげた。そして、子供たちが寝静まったあと、思いもしないことが起きた・・・

嫁さんにこう言われたんだ。
「あなたがどう思っているか知らないけど、私は今が一番しあわせよ」
俺はその言葉を聞いて、真っ暗に見えた世界に光が差し、「ありがとう、ありがとう、ありがとう」何度も言いながら、その場で泣き崩れた。

そのクリスマスの夜、二度と死のうなんて思わないと決めた。

第88号 2017年11月ニュースレターより

なじだね新聞

昨年は田中角栄氏のブームでしたね。彼は非難されることも多かったですが、彼の人への気配りはすごく、そのため議員や官僚の間では絶大な人気があったそうです。今回はその中でも有名な話を紹介します。

「生きたお金の使い方」

あるとき、田中角栄と対立し争っていた別の派閥に所属する若手議員が、女性問題で不始末をしました。 急いで100万円を用意しなくてはなりません。 そこで派閥のボスに借金を頼みに行ったのですが、しぶってなかなか貸してくれません。
そこで、田中派に属する同期議員に相談したところ、すぐに角栄先生のアポがとれ、目白の御屋敷で面談したそうです。

角栄先生は、話を半分くらい聞いたところで「いくらいるんだ?」。「100万円です」と答えると、横に置いてあった段ボールから300万円取り出し、ポンと手渡してくれます。これは若手議員もびっくり。しかし、もっと驚いたのは角栄先生の言葉だったそうです。
「300万円ある。100万円で問題にケリをつけろ。100万円でこの件で世話になったひとにご馳走をしろ。100万円はまた同じ事をしてしまった時の為にとっておけ。 この金は返す必要はない」

若手議員は涙がこぼれ、そのまま田中派に入ったということです。
賛否両論はあると思いますが、田中氏は人の心を掴む名人ですね。

第87号 2017年10月ニュースレターより

なじだね新聞

「天皇の権威と序列」

昨年、天皇陛下が生前退位のご意向を示されました。日本人は意外と知らないとは思いますが、天皇陛下は世界的に見ると、とても権威と威厳があります。なので、海外へ出向くと大歓迎をされます。

その理由を書きますね。 天皇陛下≧ローマ法王>英国女王>アメリカ大統領>日本国首相

上記のように、天皇陛下はローマ法王と同じか、もしくはそれ以上の地位として扱われます。つまり、世界のトップの地位にあるのです。米国大統領も晩餐会では「最高礼儀のホワイトタイ」を着用しなくてはなりません。

また、どうして天皇陛下は世界各国から敬われるのでしょうか?もちろん人柄もあるのですが、そこには次のような理由があります。「現存する最古の王朝で有り、現存する唯一のエンペラーであり、現存するただ一つの神話をバックボーンに持つ血統だから」と言われています。 神話によると2665年前に初代 天皇即位から歴史上少なくとも1500年途切れること無く現代まで続いてきた唯一の王朝だからです。

世界的権威のトップ2の中にキリスト教徒ではない、しかも黄色人種がいると言うことは世界の人種、宗教のパワーバランスにおいて大きな意味を有しているとも言われています。 これを踏まえて、天皇の海外訪問などを見てみてはいかがですか?


第86号 2017年9月ニュースレターより

なじだね新聞

以前出かけた県内の観光地のトイレ内で、とても良い言葉を見つけたのでご紹介します。
その通りだと思いますね。つけくわえるなら「考え方は言葉に出る」でしょうかね。

心のスィッチ

性格はに出る
生活は体型に出る
本音は仕草に出る
感情はに出る
センスはに出る
美意はに出る
清潔感はに出る
落ち着きのなさはに出る


第85号 2017年8月ニュースレターより

なじだね新聞

「天までとどけ」

4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。

ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」こっそりと中を読んでみたら、「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」と書いてあったそうだ。

旦那は去年、交通事故で他界した。字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ~」最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。

「絶対に忘れないナンバー」

婚約者だった彼女はガンになりましたが、なんとか克服し、結婚することが出来ました。結婚後、車を購入することになり、ナンバーを決めることにしました。お互いが忘れないような数字がいいと思い妻と相談したら、彼女は「絶対に〇〇〇〇の4桁にして」と聞き入れません。しかし、その数字には、まったく意味がないため「不思議だな?」と思っていました。

数日後、彼女にガンが再発したことがわかりました。進行が早く、予約していた車が納車された時にはすでに、余命が数ヶ月の時でした。納車後、最初で最後のドライブに出かけました。その時ポツリと彼女が言いました。「このナンバーは絶対に忘れないよ」と。

2ヶ月後に彼女は亡くなりました。命日は〇〇月〇〇日でした。そして、絶対に忘れない数字になる事を彼女は知っていたんですね。

第84号 2017年7月ニュースレターより

なじだね新聞

「最高のママ」

もう10年も前の話。 妻が他界して1年がたった頃、当時8歳の娘と3歳の息子がいた。 妻がいなくなったことをまだ理解できないでいる息子に対して、 私はどう接してやればいいのか、父親としての不甲斐なさに悩まされていた。実際私も、妻の面影を追う毎日であった。 寂しさが家中を包み込んでいるようだった。

そんな時、私は仕事の都合で家を空けることになり、 実家の母にしばらくきてもらうことになった。出張中、何度も自宅へ電話をかけ、子供たちの声を聞いた。 2人を安心させるつもりだったが、心安らぐのは私のほうだった気がする。

そんな矢先、息子の通っている幼稚園の運動会があった。 “ママとおどろう”だったか、そんなタイトルのプログラムがあり、 園児と母親が手をつなぎ、輪になってお遊戯をするような内容だった。 こんなときにそんなプログラムを組むなんて・・、そうしたら娘が「ま~くん、行くよ♪」と娘が息子の手を取った。 息子も笑顔で娘の手をとり、二人は楽しそうに走っていった。 一瞬、私は訳が分からずに呆然としていた。 隣に座っていた母がこう言った。
あなたがこの間、九州へ行っていた時に、 正樹はいつものように泣いて、お姉ちゃんを困らせていたのね。 そうしたら、お姉ちゃんは正樹に、
「ママはもういなくなっちゃったけど、お姉ちゃんがいるでしょ?」
「本当はパパだってとってもさみしいの、」
「だけどパパは泣いたりしないでしょ?」
「それはね、パパが男の子だからなんだよ。まぁも男の子だよね。」
「だから、だいじょうぶだよね?」
「お姉ちゃんが、パパとまぁのママになるから。」そう言っていたのよ。
何ということだ。 娘が私の代わりにこの家を守ろうとしている。 場所もわきまえず、流れてくる涙を止めることが出来なかった。

10年たった今、無性にあの頃のことを思い出し、また涙が出てくる。 来年から上京する娘、おとうさんは君に何かしてあげられたかい?

第83号 2017年6月ニュースレターより

なじだね新聞

「本当の幸せとは」

この話は日本理化学工業で大山社長さんのお話です。

社長は、ある事がきっかけで、障害者を雇用し始めました。その子たちは朝から終業時間まで、何しろ一生懸命働いていたのです。 仕事は簡単なラベル貼りでしたが、10時の休み時間、お昼休み、3時の休み時間にも、仕事に没頭して、手を休めようとしません。 毎日背中を叩いて、「もう、お昼休みだよ」 「もう今日は終わりだよ」と言われるまで一心不乱だったそうです。 ほんとうに幸せそうな顔をして、一生懸命仕事をしていたそうです。

社員みんなの心に応えて、大山さんは少女たちを正社員として採用することにしました。 一人だけ採用というのはかわいそうだし、何よりも職場で一人ぼっちになってしまいやすいのではないか、 二人ならお互い助け合えるだろうということで、とりあえず二人に働いてもらうことになりました。

それ以来、障害者を少しずつ採用するようになっていきましたが、大山さんには、一つだけわからないことがありました。 どう考えても、会社で毎日働くよりも施設でゆっくりのんびり暮らしたほうが幸せなのではないかと思えたのです。

そんなとき、ある法事の席で一緒になった禅寺のお坊さんにその疑問を尋ねてみたそうです。 するとお坊さんは 「そんなことは当たり前でしょう。 幸福とは、①人に愛されること②人にほめられること③人の役に立つこと、④人に必要とされることです。そのうちの②人にほめられること、③人の役に立つこと、そして④人に必要とされることは、施設では得られないでしょう。 この三つの幸福は、働くことによって得られるのです」 と教えてくれたそうです。
「その4つの幸せのなかの3つは、働くことを通じて実現できる幸せなんです。だから、どんな障害者の方でも、働きたいという気持ちがあるんですよ。 施設のなかでのんびり楽しく、自宅でのんびり楽しく、テレビだけ見るのが幸せではないんです。 真の幸せは働くことなんです」

普通に働いてきた大山さんにとって、それは目からウロコが落ちるような考え方でした。これは、働いている多くの人たちも忘れていることかもしれません。 それを障害者の方によって教えられたのです。それ以来、大山さんは50年以上障害者を雇用し続けているそうです。

第82号 2017年5月ニュースレターより

なじだね新聞

「また行きたくなるお店」

グルメブームになってどのくらいになりますかね?そのため、「おいしい」と感じる店はたくさんありますが、じゃあ、また行きたくなるか?と考えた時に、「また行きたくなる店」はどのくらいありますか?
最初はおいしく感じた店でも5回、10回と行くともう飽きてしまう店がほとんどでした。 結局、何度も行きたくなる店として残るのは、ほんのわずかだと思います。最終的にはその数店をローテーションで食べにいくことになり、もう他の店には行かなくなる事が多いと思います。

実は、世の中には4つのレベルの店があるそうです。レベル1 まずい店。レベル2。普通の店。レベル3。うまい店。レベル4。また行きたくなる店。「おいしい」と感じる店はたくさんあっても、数回行くと「もういいや」って思える店がほとんどでしょう。だから、また行きたくなる店ってものすごく少ないんです。 一体、「うまい味」と「何度も食べたくなる味」これは何が違うのだろう。
その秘密がわかったの。「そういえば、家庭の味は毎日食べてもまったく飽きないよなー」って。そのことに気づいたときに謎が解けました。そこ答えは、「LOVE」なんです。 コンビニのお弁当を毎日たべてるとほんと味気なく感じるようになりますが、家庭の味は、普通に毎日おいしく食べられます。

ある、管理士栄養士さんの話です。その方は学校の給食の栄養士をやってるんです。で、給食をつくる人たちにあることを話すと俄然、給食がおいしくなるんだそうです。 どんなことを話すとおもいます?それは「自分のお子さんが通っている学校の給食だと思って作ってくださいね」と伝えると、その日から俄然、給食がおいしくなるそうです。 子供達はとても敏感にキャッチするから違いが歴然にわかるのです。

第81号 2017年4月ニュースレターより

なじだね新聞

「犯人は誰だ?」

ある社長の考え方が、ものすごくユニークだったので毎晩のように誰かが相談にきていたそうです。あるときは、こんな相談になった。「うちの娘は、もういい年なのに、結婚もせず困っているんですよ」それに対して、社長はこう答えた。「そうなんですかー。娘さんに早く結婚して不幸になってほしいんですね?」と。
相談された方も、「なに言ってるんですか! 娘に幸せになってほしいんですよ」と怒っていた。でも、社長はこう続けた。「でも、娘さんは、ひとりでも幸せそうなんでしょ?」「はい……」「ならばいいじゃないですか?」「あ、そうですね」と。さっきまで深刻な顔をしてたのに、相談して30秒で、もう笑っていた。30秒で悩みは解決。

「死にたくない。死にたくない。死ぬのが怖い」と悩んでるおばあちゃんには社長はこう声をかけていた。「おばあちゃん、 死んでも人は困らないけど、死なないと困るんだよ」って。「死なないと困る」と言われておばあちゃんは、意味がわからずポカンとしていた。「おばあちゃん、200歳まで生きたと想像してみて。 すると、友達はみんな死んでるよ。 あなたのお子さんも死んでるし、お孫さんも死んでる。 200歳まで生きたらひとりぼっちだよ。 それでも死にたくない?」すると、おばあちゃんは笑いながら「死にたい」と言いだした(笑)これまた、30秒で悩みは解決。

「問題を深刻にしてるのはいつだって自分なんだよ。 だから笑ったらそこで終わり」って。問題を深刻にしてるのは自分。つまり、犯人は自分だよ」

第80号 2017年3月ニュースレターより

なじだね新聞

「あるレジ打ちの話」

その女性は、何をしても続かない人でした・・・それは、就職してからも同じでした・・・
最初の会社は3ヶ月 次の会社は半年、そんなことを繰り返すうちに、彼女は派遣会社へ登録しました。しかし、派遣会社でも長続きしませんでした。次の派遣先はスーパーでした、仕事内容は「レジ打ち」今のようにバーコードなんてない時代です。当時のレジは、電卓のように、ひとつひとつキーを打たなければならなかったのです。
勤めはじめて1週間…仕事に慣れてきた彼女は、だんだん飽きてきてしまったのです「私はこんな単純作業をするために、いるのではない!」仕事を辞めようと思っていた矢先にかかってきた田舎の母親からの電話「帰っておいでよ」母のやさしい声に、決心がつきました。もう、田舎に戻るつもりで部屋の片づけを始めたのです・・
片づけをはじめてしばらくすると、昔の日記が出てきました。小学生の時に書いた言葉が、彼女の目に飛び込んできたのです。「ピアニストになりたい」彼女は思い出しましたピアノの稽古だけは、辞めずに続けていたのです。「あんなに希望に燃えていた自分が今はどうだろうか。情けない。そして、また逃げようとしている…」彼女は泣きながら母親に電話をしました。「私、もう少しここで頑張る」

辞表を破り、スーパーに出勤した彼女はレジ打ちをしながら、ある考えが浮かびます「ピアノも練習を重ねるうちに、キーを見なくても打てるようになったんだ。私流にレジ打ちを極めてみよう!」彼女は数日で、ものすごいスピードでレジ打ちができるようになりました。すると、今まではレジのボタンしか見ていなかった彼女が今まで見もしなかったところへ目が行くようになったのです。「あのお客さんは昨日もきていたな」「この人は、閉店間際に来る」そんな風にお客さんを見ることが彼女の楽しみのひとつになりました。そんなある日、いつもは安いものばかりを買うおばあちゃんが、立派なタイを持ってレジに来たのです。ビックリした彼女は思わず声を掛けます。「今日は何かいいことあったんですか?」するとおばあちゃんは嬉しそうに言いました。「孫がね、水泳で賞を取ったから、お祝いなんだよ」彼女は、嬉しくなって言いました。「それはおめでとうございます!」お客様とのコミュニケーションが楽しくなった彼女は、すっかりお客さんの顔と名前を憶え「○○さん、今日はこのチョコよりも、もっと安いチョコが出てますよ」「今日はマグロよりもカツオのほうがいいわよ」などと言うようになったのです。彼女はだんだんこの仕事が楽しくなってきました。

そんなある日のこと彼女が忙しくレジ打ちをしていると店内放送が響きました。「本日は、混み合いまして、誠に申し訳ございません。どうぞ、空いているレジにお回りください」しばらくすると、また放送が響きました・・・「重ねて申し上げますが、どうぞ、空いているレジにお回りください」3回目のアナウンスを聞いて、彼女は何かおかしいと気づき、周りを見渡して、驚きました。他のレジが全部空いているのに、彼女のレジにしかお客さんが並んでいなかったのです・・
店長があわてて、お客さんに駆け寄り声を掛けます「どうぞあちらへお回りください」するとお客さんは、「放っといてちょうだい! 私はここへ買い物に来ているんじゃない!あの人としゃべりに来ているんだ!だからこのレジじゃないとイヤなんだ!」その瞬間、彼女はワッと泣き崩れました・・・ 他のお客さんも言いました「特売は他のスーパーでもやっているよ。だけど私は、このおねえさんと話をするためにここへ来ているんだからこのレジに並ばせておくれよ」彼女はボロボロと泣き崩れたまま、レジを打つことができませんでした。
仕事というのはこれほど素晴らしいものなのだと初めて気づいたのです。

第79号 2017年2月ニュースレターより

なじだね新聞

「敬礼」

阪神淡路大震災後の話です。

2年前旅行先での駐屯地祭で例によって変な団体が来て私はやーな気分。大音響で自衛隊への批判を始めました。その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。
少女「あんたら地元の人間か?」
団体「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」
少女「で、何しにきたんや?」
団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」
少女「私は神戸の人間や。 はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」
団体「・・・・?」
少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。 寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。 あんたらにわかるか?消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」

最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。 あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。 団体は撤退。
彼女が門をくぐった時に守衛さんが彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のまま敬礼していた。

第78号 2017年1月ニュースレターより

なじだね新聞

「機内での出来事」

「ちょっとスチュワーデスさん!席を変えてちょうだい」
ヨハネスブルグ発の混んだ飛行機の中で、白人中年女性の乗客が叫んだ。

「何かありましたか?」
「あなたわからないの?黒人なんかの隣には座りたくないのよ!こんな人迷惑だわ」
女性の隣では、黒人男性が憮然とした顔で座っている。
「お客様、少々お待ち下さいませ。空いている席を確認してきます」
乗務員は足早に立ち去り、周囲の乗客はざわざわと不穏な空気。

しばらくして乗務員が戻って来た。
「お待たせしました。ファーストクラスにひとつ空きがありますので、どうぞそちらへ。本来ならこういうことはできないんですが、隣の席がこんな人では確かに迷惑でしょうと、機長が特別に許可しました。さ、どうぞ」

周囲の乗客は、にこやかに黒人男性を見送った。

第77号 2016年12月ニュースレターより

なじだね新聞

「本当にいたサンタクロース」

ある幼稚園で、サンタクロースに宛てた手紙を書くことになりました。子どもたちは、思い思いにお願い事を書き、幼稚園が用意したトナカイのポストに入れていきます。
そんな中、一人の女の子がお願い事を決められず、手紙を家に持ち帰ることになりました。悩んだ結果、女の子は手紙に「ペンダントをください」と書き、それをポストに投函します。ただ、女の子は大きな間違いをしてしまいました。トナカイのポストではなく、本物の郵便ポストに手紙を入れてしまったのです。 しかし、話はそれだけでは終わりません。女の子はかなり心配症だったようで、本当にサンタさんに手紙が届いたのか、気になってしかたありません。そして女の子は、毎日のようにサンタさんに宛てた手紙を本物の郵便ポストに入れ続けました。切手も貼っていないその手紙が、サンタさんに届くことはない…はずでした。

ところが、クリスマスイブの当日、女の子の家にサンタクロースは訪れました。そして、たくさんの手紙をくれたことへのお礼を述べ、ペンダントをプレゼントしてくれたのです。
実はこの手紙は、この地域を担当する郵便局に集配され、大切に保管されていました。毎日届くサンタさん宛の手紙を見て、この郵便局の人たちは、差出人として書かれた名前から、女の子の身元を探し回ります。住所と名前が判明し、局長が女の子のお母さんに連絡。 そして、プレゼントを届けることになったのです。郵便局の人たちの粋な計らいが、少女の夢を実現させたのでした。

第76号 2016年11月ニュースレターより

なじだね新聞

「ホームレスの驚くべき行動とは」

マイケルのお父さんは彼が小さい頃になり行方不明でした。しかし、数年前、ホームレスになっている事がわかり、探し回りましたが見つかりませんでした。そして、その数か月後に、警察から電話があり、公園のベンチで死んでいるホームレスが父親であることを知りました。

それ以降、彼はホームレスに関心を持ち、会社の近所の公園でホームレスをしている人達を見守ってきました。その中でも、自分の父親くらいの男性には、余裕のある時には小銭を与えたり、食べ物や衣類を渡したりしていました。そんなことをしているうちに、彼はふと思いました。「彼に大金を渡したらどうするだろうと」単なる好奇心でしたが、ある日彼は財布から30ドルを渡しました。 断る彼でしたが「臨時収入だし、死んだ僕の父に似ているので、是非使ってください」と無理やり渡しました。

マイケルは漠然と「おそらく、お酒を買って飲むんだろうな?」思っていました。 案の定、彼の後をつけるとドラッグストアへ向かいました。数分後彼は両手いっぱいに袋を持って出てきました。「やっぱりお酒をかったか」とマイケルは半分落胆して見ていました。しかし、その後彼は驚くべき行動に出ました。なんと、彼は公園中のホームレスの人達に、食べ物を配り始めました。小さな子供もいる家族のホームレスにはポテトチップスなどのお菓子まで与えていました。そして、全部配り終わった彼はいつものようにベンチに腰掛け新聞を読み始めました。彼は全部を人に与え自分のものは一切残しませんでした。それを見ていたマイケルは自分の行動が恥ずかしくなってしまいました。

マイケルは彼の所へ行き、自分の父の事も含め全て正直に話しました。そして、聞きました「どうして、全部与えたのですか?」と、彼は答えました。「幸せのおすそわけさ、君のお父さんも生きていたらそうしていたはずさ」マイケルは涙が止まりませんでした。
その後、この公園では、臨時収入などがあった時は、皆で分け合う事が習慣になったそうです。

第75号 2016年10月ニュースレターより

なじだね新聞

「髪を伸ばし続けた訳は?」

アメリカ・フロリダ州に住む、8歳のクリスチャン・マクフィラミー君は、ある理由から2年間も髪の毛を伸ばし続けたそうです。

髪の毛を伸ばしている期間中、女の子のように長く伸びた彼の髪の毛を理由に、ひどくイジメられた事もあったそうですが、彼は強い信念で、髪を伸ばし続けたそうです。どうしてそこまでして髪を伸ばし続けたのでしょうか?
実は彼の幼なじみの子が病気が理由で髪の毛を失ったそうです。その彼に、人毛100%のウイッグを贈るために伸ばし続けていたのです。

アメリカには病気や怪我などで髪の毛を失った子供たちや、女性達に人毛100%の医療用ウィッグを無償提供している団体があります。 そのウィッグを作るために寄付を募っていますが、寄付出来るのはお金だけではなく、 ウィッグの材料となる、髪の毛そのものも寄付出来るという事を知ったクリスチャン君は寄付に必要な長さまで伸ばし、無事に30センチの髪の毛を寄付する事ができたそうです。 まわりの人にあれこれ言われると、大人でも自分を見失う事があるのに、彼の強い心は見習いたいものですね。

ところで、寄付と聞くと、お金とか、まとまった物資でするものというイメージがありますが、調べてみると、案外そうでもなくて、実に色々なものが寄付出来るんですね。衣類なんかは有名なところですが、使用済みのプリペイドカードとか、いらないメガネ、使用済み切手、 不要ランドセル、書き損じハガキなどなど・・・世の中は人の為に何かできるチャンスが こんなにも溢れているんですね。

*当院では使用済み切手や使用済みテレフォンカード、ディズニーランドの入場券などを集めています。それを植林活動に役立たせて頂いております。

第74号 2016年9月ニュースレターより

なじだね新聞

「感謝の力」

その人の名前は古市忠夫さん75歳!元、カメラ屋さんだった。
阪神大震災で店も街も燃えてしまった。家族以外はなにもかも失ったと思っていた。しかし、駐車場に停めていた車は奇跡的に燃えてなくて、そのトランクにはゴルフバック入ってあった。これは神様が残してくれたのかもしれない。

元々、アマチュアで優勝経験もあった古市さん、友達の誘いでゴルフのプロを目指すことになった。それから四年後、プロテストに挑戦するも落ちる。しかし、次の年、もう一度挑戦して60歳で合格。その後、シニアプロの大会で優勝10回。本も8冊出して、テレビのドキュメンタリーでもとりあげられ、さらにその生き方が映画になってさらにさらにあのタイガーウッズともテレビ番組で勝負して勝ちそうになった実力者です。

元カメラ屋さんの古市さんがなんでそんなにも奇跡を起こせたのか。
本人曰く!『絶大なる積極性と、感謝の力』これで脳を活性化させて奇跡を起こしたそうです。古市さんは、いつもゴルフ場やプレーヤーに頭を下げて挨拶して、球を打つたびに「ありがとうありがとう」って言ってたそうです。そうすると、プレッシャーがかかった時に恐怖を感謝の力で中和させ、プレッシャーがかかればかかるほど、球は真っすぐより飛んだそうです。

でも、こんな気持ちは震災を体験する前は一切なかったそうです。お金や物質的なものが幸せだと思ってたのですが、ある日、ゴルフ場で満開の桜を見た時に涙が止まらなかったそうです。 目の前で家が燃え、仲間が亡くなり、目の前で助けることが出来なくて悲鳴だけが耳に残り もうすべてが終わったと思ったのに、こうやって桜を見ながらゴルフが出来る。 もう、本当に感謝で涙が止まらなかったそうです。
古市さんは、どんな時にも感謝して上を向いて歩けば奇跡は起こると言い続けています。

第73号 2016年8月ニュースレターより

なじだね新聞

「かわいい応援団」

その保育園では近所のスーパーマーケットへ年長組を連れて、仕事見学に出かけていました。 店長さんに、店内をいろいろ案内してもらっていました。
そろそろ帰る頃になりましたが、お昼時だったので、次第に混み合って来ました。 各レジにはお客さんが並び始め長蛇の列になってきました。

その時、店内放送でスタッフを呼ぶ案内が流れました。
「レジの応援をお願いします」
すると、園児の男の子が「頑張って~。 レジの人、頑張って~!」 と応援を始めた。それにつられて、他の園児も応援を始め、大合唱になりました。

最初は、周りの人も笑っていましたが、次第に拍手にかわりました。
子供って素直で純粋ですね。

第72号 2016年7月ニュースレターより

なじだね新聞

「ムリの壁を壊す」

多くの人が新しいことに挑戦するとき、簡単に「はい」ということができません。 どこかで「自分にはできない」と思っているからです。

人間は小さいころからたくさんの言葉を浴びて、思考回路をつくっていきます。つまり、周りの大人たちの言葉を頼りに考え方をつくっていきます。
いまの若い人たちの多くには、「いったいどんな言葉を聞いてきたんだ」と、言いたくなるほど、「ダメ理論」に筋を通しているのがとてつもなく怖く感じます。

たとえば、水槽に小魚と小魚を主食にする肉食魚を入れ、2匹の間に透明なガラスを入れます。当然、肉食魚は小魚をめがけて泳ぎ出しますが、当然ガラスにぶつかります。それを繰り返していると、いつしか小魚を食べることをあきらめてしまいます。ガラスをはずして、小魚が周りを自由に泳いでいても肉食魚は小魚を食べようとはしなくなります。失敗を繰り返させることにより、心の中に「ムリの壁」をつくってしまうのです。
それでは、肉食魚が小魚を食べることはムリなのでしょうか?いいえ、ひとつだけ方法があります。それは、水槽の中に「ムリの壁」ができていない肉食魚を放り込むのです。喜んでパクパク小魚を食べる仲間を見たとき、「ムリの壁」ができていた肉食魚も恐る恐る食べてみようします。「食べることができるじゃん!」その瞬間、その肉食魚の「ムリの壁」が崩れました。

自分にできた「ムリの壁」を壊す一番効果的な方法は、「オレはできる!」と、その壁を持っていない人と触れることが、何よりの特効薬になります。つまり環境を変えるのです。中でも、付き合う人を変えるのです。愚痴や悪口、過去の失敗に後悔している人。こんな人とは付き合わず、未来や夢を語る人と付き合うのです。「あれをしたらダメ」「これをしたらダメ」「現実で考えなさい」「あんたなんかどうせムリだよ」こんな心ないマイナスの言葉があなたの可能性をダメにしています。「大丈夫。お前ならできる」そんな言葉を浴びると、人は目をキラキラさせるでしょう。 「自分にはムリ、出来ない」というセルフイメージを壊しましょう。

第71号 2016年6月ニュースレターより

なじだね新聞

「めでたし、めでたし」

2013年度「新聞広告クリエーティブコンテスト」で最優秀賞を獲得したというこの作品には久しぶりに衝撃を受けました。

「めでたし、めでたし?」というタイトルが付けら れたこの作品は、博報堂のやまざき博司さんと小畑茜さんによってつくられました。二人のコメントがこちらです。

「ある人にとってしあわせと感じることでも別の人からみればそう思えないことがあります。 反対の立場に立ってみたら。 ちょっと長いスパンで考えてみたら。別の時代だったら。 どの視点でその対象を捉えるかによって、しあわせは変わるものだと考えました。 そこで、みんなが知っている有名な物語を元に、当たり前に使われる「めでたし、めでたし。」が、 異なる視点から見ればそう言えないのでは?ということを表現しました。」

第70号 2016年5月ニュースレターより

なじだね新聞

「浜辺の足跡」

ある日、私は夢を見ました。浜辺を神とともに歩いている夢を
海の向こうの大空に、私の今までの人生の光景がはっきりと写し出され
どの光景の前にも、浜辺を歩いている神と私の二組の足跡がありました
最後の光景まで来たときに振り返ってみると、ところどころ足跡が一つしかないことに気づきました
そして、それはいつも私が苦境に落ちて、悲しみに打ちひしがれているときでした
私は、あえて神に尋ねました 「私があなたについていくと言った時、いつも私のそばにいてくださると約束されたのにどうして、私が一番あなたを必要としているときに、私を見放されたのですか」
神は答えておっしゃいました 「私の大切な愛しい子よ、私は決してあなたのそばを離れたことはない あなたが見た一つの足跡、それは、苦しみや悲しみに傷ついたあなたを そっと抱き上げて歩いた私の足跡なのだ」と
ある日、私は夢を見ました 浜辺を神とともに歩いている夢を

*日本人は「お陰様で」という言葉を使います。
ちゃんと、「お蔭様」はあなたのそばに存在するんですね。

第69号 2016年4月ニュースレターより

なじだね新聞

「ミラー細胞と佐賀北高校」

相手が「ありがとう」と言ってくれたら、自分も「こちらこそ、ありがとう」という気持ちがわいてくる。そうさせるのが「ミラー細胞」です。

このミラー細胞の働きを実証した実例があります。それは2007年、夏の全国高校野球大会で優勝した佐賀北高校です。

佐賀北高校は勉強に熱心な県立高校で、チームも全国から野球のエリートを集めて作ったわけではありません。そんな普通の高校が甲子園で優勝したということで、全国から大きな喝采を浴びました。

驚いたことに、その佐賀北高校、試合中に相手チームをほめるのです。たとえば、相手がカーンとヒットを打ったとします。すると佐賀北の一塁手が、塁に立った相手走者にいうのです。「ナイスバッティング」二塁打を打った相手には、二塁手が「素晴らしいですね」とほめます。一方、打撃に入って三振を取られると、相手のピッチャーに「ナイスピッチング」と声をかけます。普通はこんなことは絶対にしないでしょう。

結局、佐賀北は大会で一度も負けていません。当たり前ですが優勝するということはそういうことです。一方、負けたチームも負けたのは1回きりです。甲子園にはそういうドラマがあります。1回しか負けていなくても、それで終わりなのですだから負けた方はずいぶん悔しい思いをしたはずです。

しかし、佐賀北と対戦して敗れたチームはみな佐賀北のファンになってしまったのです。そして勝つたびに佐賀北は多くの応援者をつけ、県立高校としては11年ぶりの、甲子園全国優勝を果たしたのです。

ミラーの法則ってあるなぁって思います。応援するから応援される・・・ 感謝するから感謝されるんです。自分が笑顔になれば、相手も笑顔になるんです。

第68号 2016年3月ニュースレターより

なじだね新聞

今回はいつもと違い、ちょっといい詩をご紹介しますね

「悩める人々への銘」

「大きなことを成し遂げるために強さを与えてほしいと神に求めたのに、謙遜を学ぶようにと弱さを授かった」
「偉大なことができるようにと健康を求めたのに、よりよきことをするようにと病気を賜った」
「幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧困を授かった」
「世の人々の称賛を得ようとして力と成功を求めたのに、得意にならないようにと失敗を授かった」
「人生を楽しむために あらゆるものを求めたのに、あらゆるものを慈しむために人生を授かった」
「求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた私はもっとも豊かに祝福されたのだ」

作者不詳 「悩める人々への銘」はニューヨーク大学の壁に掲げられている詩です。 南北戦争に従事した南軍の兵士が作ったものと言われています。 1950年代、スティーブンソンは52年56年の大統領選に民主党候補として出馬して二度ともアイゼンハワーに敗北した。失意のさなか田舎の教会でスティーブンソンはこの詩を見つけこの珠玉の言葉によって思慮深い人間に立ち直ったそうです。

第67号 2016年2月ニュースレターより

なじだね新聞

「素敵なプレゼント」

お父さんを事故で亡くした小学校5年生のK君はお母さんと小さなアパートで二人暮らしをしています。正直、生活は苦しく、お母さんは幾つものパートを掛け持ちしているため、K君が寝たころに家に帰ってきます。なかなかK君と話をする時間がないため、いつも「学校でいじめられていないか?」「友達はいるのか?」などを心配していました。

そんなある日、K君の友達が「今日はお母さんの誕生日だから、お小遣いでプレゼントを買うんだ」と言っていました。K君は「僕のお母さんの誕生日は来週だから、何をプレゼントするか考えているんだ」と言いました。
しかし、生活が厳しいためK君は、プレゼントを買えるほどのお小遣いはもらっていませんでした。「何をプレゼントしたらいいんだろう?」と悩んでいました。

悩んだ末、担任の先生に相談したところ、あるヒントをもらいK君は嬉しくなりました。
誕生日当日、お母さんが帰宅すると、いつもなら寝ている時間なのに、K君は起きていました。「K君こんな時間までどうしたの?」と尋ねると、「お母さんにプレゼントがあるんだ、そこに座って」とリビングのテーブルへ誘いました。
テーブルに座ってから彼は一言「お誕生日おめでとう、今日僕の一日を話します」と言って、家を出てからの事、学校での出来事、友達との会話、通学路の事などなど、1時間以上話し続けました。その間、お母さんは「ウンウン」と涙を浮かべながら、話を聞き続けました。最後はお母さんは、K君を抱きしめ号泣しながら「素敵なプレゼントをありがとう」と言って、久しぶりに同じ布団で寝ました。

翌朝、K君の笑顔を見た先生はすべてを察し、無言でハイタッチをしました。先生は保護者面談で、お母さんが、K君と話をする時間が無いことを心配していると教えただけでした。

第66号 2016年1月ニュースレターより

なじだね新聞

この話は以前、45号に掲載したお話ですが、実は五日市様の講演会を聞いた方の実話ですので、再度、掲載させて頂きました。

―習慣を変えると運命が変わるー

ある主婦の体験談です。
私は、いろんなことが積み重なり、不幸のどん底の人生でした。夫の借金。毎日のケンカ。子どもはグレる。何で自分ばかりがこんな不幸になるんだろう、と思っていました。

そんな時、ある方の講演会に行ったのです。なぜ自分ばかりが不幸になってしまうのか。
その答えがみつかったのです。それが、言葉だったんです。自分の使う言葉が悪かったんです。毎日イライラして、独り言も愚痴やため息ばかり。不幸になる汚い言葉ばかり使っていました。

『心の持ち方も大事だけど、もっと大事なのは、言葉の使い方。どんな言葉を口にだすかで、あなたの目の前の状況が変わってくるし、あなたの心も変わってくる。いいことがあったら“感謝します”悪いことがあったら“ありがとう”思うだけではなく口にだすこと。よい言葉はまわりの多くの人を幸せにし、やがて自分自身も幸せになる。口にだした言葉どおりの人生が起こる。』

その日から、とにかく言葉を意識しました。夫がイライラしていても、ありがとう。子どものことで警察に呼び出されても、ありがとう。とにかく、「ありがとう」を口にだしました。
それから、本当に奇跡が起こったんです。夫ともケンカをしなくなり、仕事もしていなかった夫が、働くようになりました。今は、借金もすべて返し、うそのように夫婦仲が良くなりました。息子も立ち直り、大学受験をがんばっています。すべては、ある方のおかげです。今では、魔法の言葉が私たち家族の大切な習慣になっています。

第65号 2015年12月ニュースレターより

なじだね新聞

―奇跡のリンゴー

リンゴを無農薬で育てる。それは不可能だといわれ、世界広しといえども、成功できたものは誰一人いなかった。しかし、それに挑戦した男がいたのです。木村秋則

だが、現実は甘くない。10年間、一心不乱に研究しても、成功しなかった。あるとき、木村さんは、小学生になった娘さんの作文を読んでしまう。「わたしのおとうさんはリンゴ農家です。 でも、わたしは生まれてから、リンゴを一度も食べた事がありません」 リンゴ農家だけど、10年間リンゴがひとつも実ってないからだ。木村さんは、子供にエンピツを買ってあげることもできず、子供たちは小さくなったエンピツをセロテープで3つつなげて使っていた。

農薬のかわりに酢を散布してみる。わさびを散布してみる。配合の仕方だけでも何万種類と試した。ありとあらゆるものを、ありとあらゆる配合でやってみる。しかし、そのすべての実験は失敗した。 もうムリだ……。木村さんは、あきらめると家族の前で宣言したときに、 小学生の娘さんが怒鳴った。「なんのために…… なんのために…… なんのために、 わたしたち、これまで貧乏を我慢してきたと思うの!? あきらめるなーーーーー!!!!!!!!!!!!!」

そうか。そうだ。いま、ここでオレがあきらめることは人類があきらめることになる。 この先の過程がまたすごいドラマがあるのだけど、木村さんは、無農薬のリンゴ栽培に成功します。

*昔、パナソニックの創業者 松下幸之助氏がインタビューで答えています。
成功の秘密はと聞かれた松下氏はこう答えました。「成功するまでやり続ける」と

第63号 2015年10月ニュースレターより

なじだね新聞

―スラム街の奇跡ー

ある大学で社会学を学ぶ学生たちが、ボルチモアのスラム街に住む少年200人を対象に、 ひとりひとりの家庭環境と生い立ちを調査しました。
そしてこの調査結果をもとに少年たちの将来性についてのレポートを作成しました。するとどの学生も、これらの少年たちには何の将来も期待できないだろうと書いたのでした。

それから25年後のこと、ある社会学の教授がこのときの調査結果を見つけ、当時の少年たちがその後どうなったか学生に調べさせました。 ところが、引っ越したり、死亡した20人を除いた180人のうち、何と176人が弁護士や医者、またはビジネスマンとして人並み以上の成功をおさめていることがわかったのです。

教授はこの報告に大変驚くと共に、興味をそそられ、さらに詳しく調べることにしました。 幸い、調査対象になった人たちはまだその地域に住んでいたので、教授は自らひとりひとりに会いに出かけ、こう質問したのです。「あなたを成功に導いたものは何だったのですか?」すると、誰もが感慨をこめて、ある先生の名前を挙げたのでした。
教授はまだ健在だというその女の先生にぜひ会いたいと思い、訪ねていきました。 そして、年はとっていても、しゃんとしたその先生に、こう尋ねたのです。
「スラム街からあんなに大勢の成功者が出るなんて驚きました。 あなたは、一体どんな魔法を使ったんです?」
その先生はパッと顔を輝かせ、口元に微笑を浮かべると、こうこたえたのでした。
「とても簡単なことです。私は生徒達を愛したのです」

第62号 2015年9月ニュースレターより

なじだね新聞

―10円の価値ー

今から約40年前の話です。Y君は軽度の知的障害がありましたが、親御さんの希望で小学校は普通学級に通っていました。私が担任になった時は、幸いにもいじめもなく、周囲の子供達も普通に接してくれていました。ある日、算数の時間に、お金の事を学ぶ授業がありました。

1円玉 5円玉 10円玉 50円玉 100円玉を使って、どの硬貨に価値があるのかを硬貨を並べてグループ毎に発表する事になりました。Y君のグループはY君が代表で出てきました。内心不安を覚えましたが、彼は前に出てきて紙で作った硬貨の絵を並べ始めました。しかし、彼は1円 5円 50円 100円 10円の順番で並べました。ほかの生徒は正しい順序で並べました。

Y君に「それでいい?」と何度も聞いても「うん」と頷くだけでした。そこで、彼のグループの子供たちに聞きました。そうすると、一人の子が「Y君の考えは間違っているけど、彼にとっては10円が一番大事なんです」という意外な言葉が返ってきました。詳しい話を放課後にグループの子供たちに聞きました。

実は彼の家は裕福でないため、固定電話がありませんでした、だから学校から帰るときに、毎日のように学校近くの駄菓子屋さんで大好きな、おばあちゃんの家に電話をするのが、習慣だったのです。学校へ来るときにはお母さんから10円玉をもらい、いつも大事そうに握って学校へ来るそうです。それを同級生は知っていたのです。100円玉では公衆電話が使えません。彼にとって、100円玉以上に、電話が使える10円玉の方がどれほどの価値があるのかを子供たちから教えられた授業でした。

それ以来、私は転任しても、この話を生徒たちに話をしています。

第61号 2015年8月ニュースレターより

なじだね新聞

―叶っていた願いー

4歳になる息子が、手がかかるようになり、しだいに育児ノイローゼ気味になってきたので、相談員の方に話を聞いてもらう事にしました。

私はひとしきり息子の現状を話しました。その間、相談員の方は、うなずくだけで、ずっと話を聞いてくれました。私の話を聞くと、その方は最近あった話をしてくださいました。

やっとの思いで授かった赤ちゃんは高齢出産でもあったため、出産間近で亡くなり、死産になってしまいました。皮肉なもので、死産でもお母さんのオッパイは母乳が出始めるのだそうです。そのお母さんは「明日にはこの子のお葬式を出す手配をしなくてはならないので、この子と一晩過ごしてもいいですか?」と聞いたそうです。翌朝、お母さんは出始めたばかりの母乳を赤ちゃんにあげていたそうです。おそらくこのお母さんにとって、子供を授かる、最後のチャンスだったと思いますよ。

その話をしてくださった後、相談員の方にこう聞かれました。「あなたやご主人はお子さんの出産の時に、お子さんに対してどう思いました」私は「当然、無事に元気で生まれますようにと願いました。」そこで、私は「はっ!」と気が付きました。その様子に気が付いた相談員さんが言いました。

「そうなんですよ、お子さんは元気に生まれましたよね、死産の方はそれすら叶わなかったのです。あなたの願いは叶っているんですよ、これ以上の喜びはないのではないですか」と。

「人は一つの悩みが解決すると、また別の欲求がでてきます、そして悩み続けます。おそらくご自身が亡くなるまでお子さんの事で悩み続けなくてはなりません。すこし、肩の力を抜いてはどうですか?」 私はそれ以来、多少の事では悩まなくなりました。

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