新潟県十日町市の歯医者 歯科医院|歯科金属アレルギー治療、アマルガム除去、ガルバニー電流|ホープ歯科クリニック

新潟県十日町市ホープ歯科クリニック メールでのご相談 新潟県十日町市 ホープ歯科クリニック 新潟県十日町市 ホープ歯科クリニック オーソモレキュラー栄養療法 補完・代替医療 排毒(デトックス)で健康を取り戻す
ホープ歯科クリニック トップページ院長紹介治療に対する考え方十日町の健康情報局治療費についてアクセス・地図歯や治療のメール相談

ご予約専用電話 025-752-0525 症状や治療についてのご相談、ホームページの内容に関するお問合せはメールにて承っております 初診の方へ
遠方から来院される患者様 アマルガム除去 オーリングテスト

心のスィッチ

院長おすすめ書籍

ホープ歯科クリニック関連書籍

今週のお花をご紹介

あんしんのトイレットペーパー

ご寄付のお願い

補完代替治療について

医療費控除について

リンク集

メールでのご相談
--- メールでのご相談

--- 広がる歯科治療の可能性

メールでのご相談

--- 歯科グッズ

--- 歯科治療

メールでのご相談
---

---住所

新潟県十日町市寿町2-6-25
広い駐車場があります ---アクセスマップ・地図

最寄駅

十日町駅徒歩10分(東口からタクシー3分)
【東京駅から】越後湯沢駅で「ほくほく線」に乗り換え十日町駅下車

---

TEL

025-752-0525
-----------------
●症状・治療のご相談はこちらから
※お電話では承っておりません
●ホームページの内容に関するお問合せはこちらから
※お電話では承っておりません

---

診療日時

月曜~金曜 9:00~12:30
      14:30~18:30
※お昼休み中(12時30分から14時30分)の電話や来院はご遠慮ください。

コンサルテーション(治療説明)及びオーリングによる検査・治療は 12:30~と18:30~となります。

木曜午後・土曜午前は不定期診療です。お問合せ下さい。

---

休診日

土曜午後・日曜・祝日 ※木曜午後は不定期休診

---

心のスィッチ

当院では毎月、ニュースレター「なじだね?新聞」を発行しております。 「なじだね?」とは十日町地域では「いかがですか?」という意味があります。
新聞には「心のスイッチ」というコーナーがあります。 ここでは、”ちょっちいい話”や”心が温まる話”などを掲載しております。 その話を毎月掲載していこうと思います。
尚、題字の”心のスイッチ”は居酒屋てっぺんのオーナー 大嶋啓介氏に書いて頂きました。

第108号 2019年7月ニュースレターより

なじだね新聞

今回は芸能界の「ちょっといい話です」3連発です。

◆立川志の輔がテレビで話していたエピソードです。
タケシ軍団のダンカンって元々立川談志の門下だったそうです。 門下だった頃ダンカンが門下仲間にタケシに弟子入りしたいと言いだし、談志にその旨を伝え一門から抜けるとお願いして来るといいはじめたそうです。門下一同は「無茶だ殺される」と襖の影から様子を窺ったそうです。ダンカンの話を談志は不機嫌そうに黙って話を聞きおもむろに後ろにあるラックに後ろ手に手を伸ばし逆手でウイスキーのボトルを掴んだ。「あ!殴られる!」と一同誰もが思った矢先談志は懐から自分の名刺を出し、おもむろに一文書き足した後、ボトルに貼り付け「これタケシに渡して来い。そうすりゃ邪険に追い払われたりしないだろ。タケシによろしくな」 と言ったそうです。*粋な計らいですね。

◆杉田かおるが芸能界を干されかかっていた頃。
スタッフにも厳しさを求める杉田が、ある失敗をした監督ともめた。 完全に監督が悪い状況であったが、女優として美人扱いではなく、また驕るタイプの監督だったため、杉田に強く叱責(逆切れ)し、暴言を吐いた。芸歴は長いが若い杉田と、偉い監督。誰もが干される事に怯え、杉田に味方をするものがいなかった。その時、様子を見ていた共演者松田優作が歩みより、
『ちょっとあんた。レディーに向かってその言葉はないんじゃないの』と監督を叱った。*かっこいい~!

◆ダウンタウンのガキの使いのトークにて
ハガキ「もし浜田さんが明日死ぬとしたら、松本さんは浜田さんに何をしてあげますか?」
松本「あのね、何をしてあげるというかね・・・そんなことありえないんですよ。」
浜田「どういう事ですか」松本「あなたが死ぬ前に僕が死にます。」 浜田「なんでやねん」
松本「お前がいない人生なんて考えられへん!」

第107号 2019年6月ニュースレターより

なじだね新聞

「うるさいサラリーマン」

先月末の夕方、東京から新幹線乗ったらアホそうなサラリーマンが、車内の座席で携帯でギャーギャー騒いで(怒り口調で)うるさかった。内容から仕事の話だろうが本当に迷惑だったが、ここで凄いことが怒った。
「うるさいぞ、黙れ。ロビーに行け」とスーツの初老男性が注意したんだが、一旦電話を切ったサラリーマンが初老男性に食って掛かった。 だけど初老男性はたじろぎもせず 「お前は何様だ、何処の部署だ!」 と意外な返答をした。

バッチから企業名がわかったらしいが、彼は「関係ないだろ」とますますうるさくなった。その時、初老男性がイキナリどっかに電話掛けたと思ったら、
「取締役の○○ですが、人事部長の△さんをお願いします。」と言ってる。 「あー、△君?今さーうちの会社の若い奴が新幹線で周囲に迷惑掛けてるんだけど 名前がわかんないから出張中の奴、調べてくれない?何なら本人に代わるけど?」

ここからは、サラリーマンが青ざめた顔してイキナリ謝り出した・・・
駅で買ったビールを飲んでた事も、初老男性はきに食わなかったらしく ロビーに連れてかれたが、あれは凄かったよ。 俺が名古屋で降りる時も帰ってこなかった。「遠山の金さん」みたいな話ですね。

第106号 2019年5月ニュースレターより

なじだね新聞

「三浦知良さん(サッカー選手)のかっこいい話」

ある新聞社にカズが養護学校の施設に1人で来て、度々障害者の子供たちと会っているとの情報が入ってきた。通常こういう施設に有名人が来る場合はマスコミに事前に知らされていて、カメラと一緒にパフォーマンスとしてするものなので記者もこの情報には半信半疑であるのと、もしかしたらカズ自身に何かの秘密があるのでは?とスクープの可能性も感じながら情報の養護学校に向かった。

3日ほど張り込んだだろうか、場違いな高級スポーツカーが養護学校に横付けされた。中から出てきたのはカズこと三浦知良だった。記者はかたずをのんでカズが何を目的に来ているのか見守っていた。もちろん他にマスコミの姿は見当たらない。
やがてジャージに着替えたカズが障害者の子供たちとサッカーボールを持って中庭に出てきた。子供たちの中には満足に歩けないような重度の障害がある子もいた。しかしその子供たちの目は真剣そのもので倒れても起き上がっては泥だらけになってボールを追いかけている。
いつしか記者のカメラはカズではなく障害者の子供たちに向けられていた。

やがて時間が過ぎてカズと子供たちは施設の中に入っていった。着替えを終え施設を出ようとするカズに子供たちは全員で手を振っている。そしてカズはこう言った。
「今日もみんなありがとー!」
記者は耳を疑った。なぜならカズの方がお礼を言っていたからだ。 高級スポーツカーに乗り込み施設を出ようとするカズに急いで記者は駆け寄って少し意地悪な口調でこう質問してみた。
「カズさん○×新聞ですけど、こういう施設にきて子供たちとサッカーをしてあげているというのはやはり好感度とか人気取りなんでしょうか?」、突然記者が飛び出してきたので少し驚きながらもカズはこう答えた。

「僕が彼らに何かをしてあげてるって?逆に僕が何かをもらっているようには見えなかったかい?」

そう言い残してカズはスポーツカーを走らせて帰って行った。記者は職業柄意地悪な質問をした事をすぐに後悔する事になった。なぜなら自分が撮影したカメラにはカズの姿は殆ど映っておらず、その殆どが泥だらけになりながらも、倒れながらもボールに向かっていく障害者の子供たちの姿だったのだから。

(彼の話はこれからも高倉健さんと同様に時々紹介しますね)

第105号 2019年4月ニュースレターより

なじだね新聞

「パパの1時間」

男は、今日も仕事で疲れきって、遅くなって家に帰ってきた。すると、彼の5歳になる息子がドアのところで待っていたのである。彼は驚いて言った。「まだ起きていたのか。もう遅いから早く寝なさい」「パパ、寝る前に聞きたいことがあるんだけど」「なんだ?」「パパは、1時間にいくらお金をかせぐの?」「お前には関係ないことだ」と父親はイライラして言った。
「なんだって、そんなこと聞くんだ?」「どうしても知りたいだけなの。1時間にいくらなの?」男の子は嘆願した。「あまり給料は良くないさ…2000 円くらいだな。ただし残業代はタダだ」「わぁ」男の子は言った。「ねえ、パパ。ボクに 1000 円貸してくれない?」「なんだって!」疲れていた父親は激昂した。「お前が何不自由なく暮らせるためにオレは働いているんだ。それが金が欲しいだなんて。だめだ! 早く部屋に行って寝なさい!」 男の子は、黙って自分の部屋に行った。

しばらくして、父親は後悔し始めた。少し厳しく叱りすぎたかもしれない…。たぶん、息子はどうしても買わなくちゃならないものがあったのだろう。それに、今まで息子はそんなに何かをねだるってことはしなかった…。
男は、息子の部屋に行くと、そっとドアを開けた。「もう、寝ちゃったかい?」彼は小さな声で言った。「ううん。パパ」男の子の声がした。少し泣いているようだ。
「今日は長いこと働いていたし、ちょっとイライラしてたんだ…ほら。お前の1000 円だよ」
男の子は、ベッドから起きあがって、顔を輝かせた。「ありがとう。パパ!」そして、小さな手を枕の下に入れると、数枚の硬貨を取り出した。
父親はちょっとびっくりして言った。「おいおい、もういくらか持ってるじゃないか」「だって足りなかったんだもん。でももう足りたよ」男の子は答えた。そして、1000 円札と硬貨を父親に差しのべて言った。「パパ。ボク、2000 円持ってるの。これでパパの1時間を買えるよね?」

第104号 2019年3月ニュースレターより

なじだね新聞

「感謝の言葉」

小学生のとき、少し知恵遅れのA君がいた。足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅い。でも、絵が上手な子だった。彼は、よく空の絵を描いた。抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。

担任のN先生は 算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。私はN先生が大嫌いだった。

クラスもいつしか変わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、全校集会で先生のお別れ会をやることになった。生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。

私は、A君の言葉を忘れない。
「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」
A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。答えがわかるまで待っててくれたこと。普通の子と同じに接してくれたこと。
数多くの感謝の言葉を、途切れ途切れながらも必死に伝えました。その間、おしゃべりをする子供は一人もいませんでしたし、所々ですすり泣きが聞こえていました。
N先生もぶるぶる震え、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。

第103号 2019年2月ニュースレターより

なじだね新聞

「スカッとする話」

この前、ラーメン屋で30分待ちで並んでいた時のこと。
前にいたオバサンが携帯でなにやらゴソゴソ話をしていた。別に聞く気は無かったのだが、どうも買い物している友人に今からラーメン食べるところだから来いということらしい。
それから20分位経って俺の番まで後5人位になったとき、オバサンの友人が二人現れ、こっちっこっちと呼ぶオバサンの後ろ私の前へ何のためらいも無く割り込んできた。
あまりのずうずうしさに唖然としたが、どうにも腹の虫が収まらず「非常識でしょう、割り込みは」と文句を言ったら「最初から彼女たちの分も取っていたんです」と並んでいたオバサンに平然と言い返された。
それを見ていたオバサンの前に並んでいた20才位の学生さんらしき彼が、私を始めその後ろに並んでいた14・5人に向かって一言 、「いやー久しぶりです皆さんの分取っておきましたから私の後ろへどうぞ」それを聞いてオバサン達は「なんて白々しいことをするの」と学生さんに言ったら、後ろにいたサラリーマンが「そりゃあんたたちのことでしょ」で、一同拍手。

騒ぎを聞きつけたバイト君がオバサン達に決めの一言「三人とも後ろへ並んでいただくか帰っていただくか決めてください」オバサンたちはブツクサ文句を言いながら帰っていった。

第102号 2019年1月ニュースレターより

なじだね新聞

「おもらしした女の子」

中学校1年のときのこと、授業中に隣の席の女の子がおしっこを漏らしていました。
女の子の席は一番後ろのはじだったので他には誰も気がついてない様子。僕はおもむろに席を立って無言で廊下へ。先生が後から追いかけてきたけど無視して手洗い場でバケツに水を汲むと教室に戻り、その女の子にぶっかけました。
教室中大騒ぎになり、学校に両方の親まで呼ばれました。うちの親は相手の親に平謝り。
なぜそんなことをしたのか問い詰められましたが、僕は結局最後まで口を割りませんでした。
家に帰る途中で女の子が事実を親に話したらしく、お礼を言いにうちまで来ていました。
時は過ぎて今その女の子は僕の奥さんです。

このご主人かっこ良すぎですよね。

第101号 2018年12月ニュースレターより

なじだね新聞

「生んでくれてありがとう」

俺んち母子家庭で貧乏だったから、ファミコン買えなかったよ。

すっげーうらやましかったな、持ってる奴が。俺が小 6 のときにクラスの給食費が無くなった時なんて、「ファミコン持ってない奴が怪しい」なんて、真っ先に疑われたっけ。 貧乏の家になんか生まれてこなきゃよかった!って悪態ついたときの母の悲しそうな目、今でも忘 れないなぁ~。 どーしても欲しくって、中学の時に新聞配達して金貯めた。 これでようやく遊べると思ったんだけど、ニチイのゲーム売り場の前まで来て買うのやめた。 そのかわりに小 3 の妹にアシックスのジャージを買ってやった。 いままで俺のお下がりを折って着ていたから。 母にはハンドクリーム買ってやった。いっつも手が荒れてたから。

去年俺は結婚したんだけど、結婚式前日に母に大事そうに錆びたハンドクリームの缶を見せられ た。泣いたね、、。 初めて言ったよ「生んでくれてありがとう」って。

第100号 2018年11月ニュースレターより

なじだね新聞

*今回は泣いてください。

京都市伏見区桂川河川敷で2006年2月1日に無職片桐康晴被告が認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が行われた。

事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。

母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、06年1月31日に心中を決意した。

「最後の親孝行に」片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。
片桐被告が 「すまんな」と謝ると、母は「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、 自分も包丁で首を切って自殺を図った。

冒頭陳述の間、片桐被告は肩を震わせ、 眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。殺害時の2人のやりとりや、「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。
裁判の中で片桐被告は、「私の手は母を殺める(アヤめる)ための手だったのか」と言葉を残した。東尾裁判官は片桐被告に対し、「尊い命を奪ったと言う結果は取り返しのつかない重大だが、経緯や被害者の心情を思うと、社会で生活し 自力で更生するなかで冥福を祈らせる事が相当。被告人を懲役2年6ヵ月に処する…」そして続いてこう言った。「…この裁判確定の日から3年間 その刑の執行を猶予する」殺人(承諾殺人)で異例の執行猶予つきの判決を言い渡たされた。そして被害者(お母さん)の心情に対し「被害者は被告人に感謝こそすれ、決して恨みなど抱いておらず今後は幸せな人生を歩んでいける事を望んでいるであろうと推察される」

判決の後、片桐被告に裁判長が「絶対に自分で自分をあやめる事のないようにお母さんのためにも、幸せに生きてほしい」と言われ、片桐被告は深々と頭を下げ「ありがとうございました」と言った。片桐被告に言い渡した後に東尾裁判官はこう言葉を残した。「本件で裁かれるのは被告人だけではなく、 介護保険や生活保護行政の在り方も問われている。 こうして事件に発展した以上は、どう対応すべきだったかを 行政の関係者は考え直す余がある。」裁判長はこう締めくくったそうです。

第99号 2018年10月ニュースレターより

なじだね新聞

「母のデジカメ」

なぜか、機械音痴の母が突然、赤いデジカメを買ってきた「〇〇ちゃん、これ、見てみて、 ついにカメラ、買っちゃった」と僕に見せびらかしていました。 どうやら、とても嬉しいらしく、「これ便利ね」とはしゃぎながらいろいろと写してた。 家の中でも写し、外に行っては写していた。
ようやく使い方に慣れてきた頃、メモリがいっぱいで写せないらしく 「〇〇ちゃん、写せなくなっちゃった、どうすればいいの?」って聞いてきたが 「俺、受験で忙しいから、自分で説明書読め!」とつい怒鳴ってしまった。 さらに「どうせ、つまらないものばかり写してるからだろ!」とも言ってしまった。 そしたら「・・・ごめんね」と一言。
それ以来、母はカメラを触れなくなった。

そんな母が先日急に亡くなった。
遺品を整理してたらあの赤いデジカメが出てきて、何撮ってたのかなあと中身を見たら俺の寝顔が何枚も写ってた・・・
「ひょっとして・・・・・」「あんな事を・・・」いろいろ考えながら涙が止まらなかった。

第98号 2018年9月ニュースレターより

なじだね新聞

私(院長)は偶然入った都内の床屋さんが、高倉健さんの行きつけである事を知り、それ以来、このコーナーでは高倉健さんの心温まる、エピソードを書いてきました。
今回も大スターの“ちょっといい話”をお読みください。

ある後輩に、お祝いに高倉健さんが「何が欲しいか」と聞いた時のエピソードです。
プレゼントを申し出るくらいだから高倉健さんの律義さをわかっている後輩だったのでしょう。彼は謙虚にカッターシャツを希望しました。しかし、そんな彼の心遣いを伝説の男高倉健さんは吹き飛ばしてしまいます。

高倉健さんがカッターシャツを買い求めに行った先はなんと米国・ロサンゼルスのブルックス・ブラザーズだったのです。米国までカッターシャツを買いに行き日本に戻りプレゼントをしたそうなのですが。後輩は嬉しいとは思いますが、驚きと恐縮の気持ちの方が強かったに違いありません。

こんな型破りな行動高倉健さんのプレゼントは仕事仲間だけではなく一般人へも広がります。しかもその行為には売名行為が見当たりません。

JRAのCMに出演した時のことでした。
CMは牧場を舞台にしたドラマ風の内容でした。その撮影に北海道の小さな町の人たちが協力したそうです。一般人なら一生の中で会えない確率の高い高倉健さんとの共演です。協力した人達は自ら進んでのことだったでしょう。しかし、全てにおいて義理堅い高倉健さんは一地方の小さな町の為にあるプレゼントをこっそり行うのです。

世話になったお礼として「町の行事に参加したい。ただし、内緒で」と申し出るのです。
当日はサプライズ的な訪問の為マスコミ関係者は皆無。高倉健さんは、一緒に来てくれた宇崎竜童さんのギターで自ら何曲か歌いました。この心からの高倉健さんのプレゼントに町の人達はいたく感激。全てが終わった後そのことは記事となりました。

この、気取らない、謙虚な姿が後生に語り継がれている理由なんでしょうね。

第97号 2018年8月ニュースレターより

なじだね新聞

アメリカでの興味深いデータがあります。80歳以上の老人を対象としたアンケート調査です。
質問は、人生で最も後悔していることは何ですか?です。どんな回答が多いと思いますか?
因みにですが、70%の方が全く同じ回答をしています。それは、

人が人生を終える時に後悔する20の項目

1.他人がどう思うか気にしなければ良かった
2.幸せをもっと噛み締めて生きるべきだった
3.もっと他人のために尽くせばよかった
4.くよくよと悩まなければよかった
5.家族ともっと時間を過ごせばよかった
6.もっと人に優しい言葉をかけていればよかった
7.あんなに不安を抱えながら生きるべきではなかった
8.もっと時間があれば・・・
9.もっと思い切って冒険すればよかった
10.自分を大切にすればよかった
11.他人の言う事よりも自分の直感を信じればよかった
12.もっと旅をすればよかった
13.もっとたくさん恋愛をすればよかった
14.もっと一瞬一秒を大事に過ごせばよかった
15.子どもたちに好きな事をさせてやればよかった
16.言い争いなどしなければよかった
17.もっと自分の情熱に従うべきだった
18.もっと自分のために頑張ればよかった
19.もっと自分の本音を言うべきだった
20.もっと目標を達成すればよかった

*やって後悔するより、やらずに後悔する方が悔いが残るそうです。
上記の20の項目でもっとも現在、後悔しそうなことにチャレンジしてはいかがですか?
いつかはやりたいと思っていることに、チャレンジしてはいかがですか?

第96号 2018年7月ニュースレターより

なじだね新聞

これは、有名な書籍、ロバート・キヨサキ氏の「金持ち父さん 貧乏父さん」を読まれたある有名な方のコメントです

『この本で読んだ他のことはみんな忘れたとしても、絶対に忘れないでほしいことが一つある。
それは、何かが足りないとか何かが必要だと感じた時には、まず、それを人に与えることだ。そうすればあとになって、二倍、三倍にもなって返ってくる。このことはお金、ほほえみ、愛情、友情などいろいろなことにあてはまる。

「足りないものを与える」というのは、たいていの人は一番やりたがらない。
お金に困っていたり、適職が見つからずに困っている人は、この「まず与えて、次に貰う」ことが欠けている場合が多い。だが、私の経験から言わせてもらうと、このやり方はいつも効果がある。

私はこれまでずっと、お金が足りなくなったり、何か助けが必要になったりした時には、いつも自分が欲しいと思っているものをまず人にあげるようにしてきた。そんなふうにして何かをあげると、必ずそれが戻ってきた。(お金が足りなくなると教会や慈善事業に寄付をする。何かを売りたいと思ったら、誰かが何かを売るのを手伝ってあげる。そうすると私のも売れる。契約をとりたいと思ったら、誰かが契約をとるのを手伝う。そうするとまるで魔法のように、私のところにも契約が舞い込んでくるのだ。)

何年か前に聞いた言葉―「神は受け取る必要はないが、人間は与える必要がある」には真実が含まれていると思う。多くの場合、自分が何かを欲しいと考え、それを他人にあげるにはどうしたらいいか考えるだけでも、見返りがもたらされる。

出会った人達が私にほほえみかけてこないと感じた時は、いつも私は自分からほほえみかけ「ハロー」と声をかける。するとまた魔法のように、ほほえみを浮かべた人が私のまわりに突然増える。世界はあなたを映す鏡にすぎないというのは本当だ。

確かに、何かを与えたのに何も戻ってこなかった、あるいは戻ってきたものが自分の欲しいものとは違ったということは何度かあった。だが、そのような場合はあとでよく考えてみると、最初から何かが欲しくて、それが目的で与えていることが多かった。

つまり、純粋に「与えるために与える」のではなく見返りを期待して与えるという下心があったのだ。』

*私(院長)の知り合いに、「寄付をすればするほど年収が増えてきた」という方がいました。この感想を読んだときに、真っ先にこの知り合いの話しを思い出しました。また、お金に困った時ほど、寄付をする方もいます。

第95号 2018年6月ニュースレターより

なじだね新聞

「父が与えてくれた将来の目標」

高校1年の夏休み、両親から「大事な話がある。」と居間に呼び出されたんだ。親父が癌で、もう手術では治りきらない状態であると。
当時、うちは商売をしていて、借金も沢山あった。親父が死んだら、高校に通えるわけがないことは明白だった。そして、俺はお世辞にも優秀とはいえなかった。クラスでも下位5番には入ってしまう成績だった。

その夏から、親父は、抗がん剤治療を開始し、入退院を繰り返していった。メタボ体型だった親父が、みるみる痩せこけていった。母親の話では、主治医の見立てでは、もって1-2年だろう、ということだった。ただ、親父は弱音を吐くことはなかった。
親父は「高校、大学はなんとかしてやるから、しっかり勉強しろよ」って言ってたよ。仕事もやりながら、闘病生活を続けていた。俺といえば、目標も特になく、高校中退が頭にチラついて勉強は進まなかった。だから、その後の成績も、とても期待に沿うものではなかった。

「おまえ、将来、何かやりたいことはないのか?」高校2年の冬、痩せこけた親父に問いかけられた。俺は、期末テストで学年ビリから2番をとり、担任からも進路について厳しい話をされていた。言葉もない俺に、「・・・ないなら、、医者になれ! ・・・勉強して、医者になって、おれの病気を治してくれ!」その時、親父には返事を返すことはできなかったが、俺は決意した。それから、猛烈にがむしゃらに勉強した。高校3年の夏、親父は逝った。
親父は、闘病生活の2年間で借金を整理し、俺の高校の学費をなんとか工面したそうだ。親父のおかげで、高校卒業できた。そしてありがたいことに、1年間の浪人生活を経て、俺は地方の国立大学の医学部に合格した。

俺は今、癌専門治療医として働いている。親父は、「あいつは、将来おれの病気を治してくれるんだ」と母に言ってたそうだ。まだ、親父の癌を治す力はないが、日夜頑張っているよ。
いつか、親父の癌を治せるように。

第94号 2018年5月ニュースレターより

なじだね新聞

「未来のあなたへ」

嫁が激しい闘病生活の末、若くして亡くなって五年後、こんな手紙が届いた。
どうやら死期が迫ったころ、未来の俺に向けて書いたものみたいだ。

——Dear 未来のあなたへ、お元気ですか?大好きな仕事はうまくいってますか?
あなたのことだから、今ごろ凄い出世してるんだろうなあ。嬉しいぞ。早速だけど、私はもう長くないみたい。仕事柄、なんとなく自分の体のことはわかるんだあ。薬もだいぶ変わったしね。だから、あなたに最後の手紙を書くことにしました。
もう今頃、新しいかわいい奥さんが出来てるかな? (笑)いいんだよ、私に遠慮しないで幸せになってよ。あなたは誰かを幸せにできる才能を持ってる。その才能を持った責任を負わなきゃいけないんだ。でもね、一つだけお願いがあります。どうか私のことを忘れないで。
どんなに幸せになっても、一年に4回でいいから思い出して。私はもうお父さんもお母さんもいないから、あなたが忘れたらもうこの世界に私はいなくなっちゃう。それだけが怖いんだ。
4回というのはね、付き合い始めた日に幕張のレストランにいったよね。そして一緒に行った夏の北海道旅行と結婚記念日、そして私の命日。この4回だけは私のことを思い出して。それ以外の時は、他の人を幸せにすることだけを考えてください。あなたが思い出してくれるときだけ、私が生きていた証になります。最後までわがままだね (笑) ごめんなさい。
これから最後のレントゲンと診察かな?この手紙は友人にお願いして私の死んだ後、5年後に投函を頼みました。ではいずれ、天国で会いましょう?その時の私は若いままの姿だから嫉妬しないでね。

*人間、2度死ぬと言われています。1度目は実際に亡くなったとき。もう一度はその人の存在していたことを知っている人が誰もいなくなった時。だから先祖の供養やお墓参りって大事なんですよ。(院長)

第93号 2018年4月ニュースレターより

なじだね新聞

「あしたのジョー」のラスト“真っ白”に込めた思い」

最終回の最後のコマ、試合終了直後のリングで、ジョーはコーナーポストを背に眠るようにイスに座っている。「ジョーは死んだのか?」といわれていますが連載が終了し40年以上が過ぎた今も謎のまま

ちばてつや氏は取材で、この場面に込めた思いを話してくれた

「真っ白になるまで頑張れば、新しい明日が来ると、若い人に伝えたかった。いい加減な仕事をしていては明日は来ないやろうと決めたことに全力投球してほしい。そうすれば、きっと自分の中に何かが残る。次の何かに頑張るとき、生きるものがある」

*私もずっと気になっていました。この最後の一コマが「明日のジョー」の「明日」という意味なんですね。私も水泳の「限界への挑戦」で真っ白になりました。

第92号 2018年3月ニュースレターより

なじだね新聞

「高倉健さんのちょっといい話」

以前、宿泊先のホテルの床屋へ行ったら、健さんの行きつけの床屋でした。それ以来、親しみを感じてきました。彼はとても周りに気遣う人だったそうです。いくつも逸話があるなかから、「幸せの黄 色いハンカチ」のエピソードをご紹介します。

幸福の黄色いハンカチは武田鉄矢さんのデビュー作でした。
ラストの黄色いハンカチがたくさん干しているシーンで、鉄矢は泣く芝居をしないといけなかったけど、そのシーンに一週間撮影をかけていて、毎日ハンカチを見ているうちにハンカチが安全第一の旗に見えて涙が全く出なくて、泣く演技をするのに苦労したんだそうです。 そしたら、そのシーンが終わったら撮影も終わって1ヶ月振りに東京に帰ることになっているのだけ ど、「よーい」ってカチンコが上がった瞬間、健さんが小さい声で、「長い間世話になったな。東京に帰っても体に気をつけて、しっかり生活するんだぞ。楽しかったぜ。」って言ってくれ、鉄矢さん は大号泣し、あの名シーンが生まれたそうです。

もう一つ、『幸福の黄色いハンカチ』の冒頭で、刑務所から刑期を終え出所した直後の食堂で、女性店員についでもらったグラスに入ったビールを深く味わうように飲み干した後、ラーメンとカツ丼 を食べるシーンがある。 その収録で「いかにもおいしそうに飲食する」リアリティの高い演技を見せ、1テイクで山田洋次監督からOKが出た。あまりにも見事だったので、山田が問い尋ねると「この撮影の為に2日間何も食べませんでした」と言葉少なに語り、唖然とさせた。
*私はこの話を知ってから、この映画を観たら、確かに、真に迫っていました。さすがプロですね。

第91号 2018年2月ニュースレターより

なじだね新聞

「おかげさまで」

「夏がくると、冬がいいという 冬になると、夏がいいという 、ふとるとやせたいという、やせるとふとりたいという 忙しいと閑になりたいといい 閑になると忙しい方がいいという 自分に都合のいい人は善い人だとほめ自分に都合が悪くなると、悪い人だとけなす。

借りた傘も雨があがれば邪魔になる、金を持てば 古びた女房が邪魔になる
世帯を持てば 親さえも邪魔になる。
衣食住は昔に比べりゃ天国だが上を見て不平不満に明け暮れ 隣を見て愚痴ばかり
どうして自分を見つめないのか 静かに考えてみるがよいいったい自分とは何なのか

親のおかげ、先生のおかげ、世間さまのおかげのかたまりが 自分ではないのかつまらぬ自我妄執を捨てて 得手勝手を慎んだら、世の中はきっと明るくなるだろう
おれが、おれがを捨てて、おかげさまで、おかげさまでと暮らしたい 」

本当にそう思います。 他人のせい、環境のせい、政治家のせい、国のせいと周囲に責任転嫁する人は 成功できないし、幸せを実感することもない。 無いことを嘆くよりも、今あるものに感謝出来る人は、 行動するし挑戦します。だから、道が拓けるのだと思います。
すべては自分次第、考え方次第ですね!

第90号 2018年1月ニュースレターより

なじだね新聞

「初詣」
皆さんも初詣へいくと思いますが、お願いばかりしていませんか?

ある人が、初詣(はつもうで)で、お賽銭をあげたあと、二礼二拍手一礼し、今年のお願いごとをお祈りした。まずは、健康第一。
つぎに仕事がうまく回りますように。お金がたまりますように。取引先とうまくいきますように。
おっと、家族もみんな健康でありますように。それから…。
一度、顔を上げてからも「あっ」と思い出して、交通事故に遭いませんように…。
なかなか立ち去れないでいる。あるとき、神社の方に諭されてドキッとした。
神社では願いごとをするのではなく、「おかげさま」と感謝するものだと。
人は欲を出して求めれば求めるほど、幸せは逃げていく。今、今日この時に自分にあるものすべてに感謝していれば、自然に幸せはやってくるのだという。たしかに、至言である。
早速、やってみる。パンパンと柏手を打って、
「昨年はありがとうございました。おかげさまで家族全員健康で暮らせました」
なぜだか心地よく爽やかなのが不思議であった。

*十日町市内の諏訪神社は急な登り坂を上がらないと参拝できませんよね。
そこまで、上れる健康があることにまずは感謝ですよね。

第89号 2017年12月ニュースレターより

なじだね新聞

22歳で結婚した俺は、必死に働いた。子供も2人生まれて、俺は頑張った。
その甲斐あって、28歳で独立、33歳になった頃、普通よりはいい暮らしが出来ていたと思う。嫁さんも子供も喜んでくれた。だから、会社を大きくすることを考えた。

しかし、そのツケは、俺の身体に降りかかった。35歳の時に癌が見つかり、闘病生活が始まった。と同時に、会社の経営も傾いていった。
37歳のとき、もう俺は死のうと思った。年が明けたら死のうって、そんなことを考えていた年の瀬に、嫁さんと子供がクリスマスパーティーを開いてくれた。貧乏だから、ケーキの変わりにドラ焼きで、その上にローソク立てて、小さいチキンもあって、シャンパンの変わりにコーラで、メリークリスマスって言っていた。子供たちが楽しそうにはしゃいでいる姿を見たら、なんだか泣けてきた。(俺がいなくても元気でやれよ)そう心の中で思っていた。もう何回もこうやって遊べないから、おもいっきり遊んであげた。そして、子供たちが寝静まったあと、思いもしないことが起きた・・・

嫁さんにこう言われたんだ。
「あなたがどう思っているか知らないけど、私は今が一番しあわせよ」
俺はその言葉を聞いて、真っ暗に見えた世界に光が差し、「ありがとう、ありがとう、ありがとう」何度も言いながら、その場で泣き崩れた。

そのクリスマスの夜、二度と死のうなんて思わないと決めた。

第88号 2017年11月ニュースレターより

なじだね新聞

昨年は田中角栄氏のブームでしたね。彼は非難されることも多かったですが、彼の人への気配りはすごく、そのため議員や官僚の間では絶大な人気があったそうです。今回はその中でも有名な話を紹介します。

「生きたお金の使い方」

あるとき、田中角栄と対立し争っていた別の派閥に所属する若手議員が、女性問題で不始末をしました。 急いで100万円を用意しなくてはなりません。 そこで派閥のボスに借金を頼みに行ったのですが、しぶってなかなか貸してくれません。
そこで、田中派に属する同期議員に相談したところ、すぐに角栄先生のアポがとれ、目白の御屋敷で面談したそうです。

角栄先生は、話を半分くらい聞いたところで「いくらいるんだ?」。「100万円です」と答えると、横に置いてあった段ボールから300万円取り出し、ポンと手渡してくれます。これは若手議員もびっくり。しかし、もっと驚いたのは角栄先生の言葉だったそうです。
「300万円ある。100万円で問題にケリをつけろ。100万円でこの件で世話になったひとにご馳走をしろ。100万円はまた同じ事をしてしまった時の為にとっておけ。 この金は返す必要はない」

若手議員は涙がこぼれ、そのまま田中派に入ったということです。
賛否両論はあると思いますが、田中氏は人の心を掴む名人ですね。

第87号 2017年10月ニュースレターより

なじだね新聞

「天皇の権威と序列」

昨年、天皇陛下が生前退位のご意向を示されました。日本人は意外と知らないとは思いますが、天皇陛下は世界的に見ると、とても権威と威厳があります。なので、海外へ出向くと大歓迎をされます。

その理由を書きますね。 天皇陛下≧ローマ法王>英国女王>アメリカ大統領>日本国首相

上記のように、天皇陛下はローマ法王と同じか、もしくはそれ以上の地位として扱われます。つまり、世界のトップの地位にあるのです。米国大統領も晩餐会では「最高礼儀のホワイトタイ」を着用しなくてはなりません。

また、どうして天皇陛下は世界各国から敬われるのでしょうか?もちろん人柄もあるのですが、そこには次のような理由があります。「現存する最古の王朝で有り、現存する唯一のエンペラーであり、現存するただ一つの神話をバックボーンに持つ血統だから」と言われています。 神話によると2665年前に初代 天皇即位から歴史上少なくとも1500年途切れること無く現代まで続いてきた唯一の王朝だからです。

世界的権威のトップ2の中にキリスト教徒ではない、しかも黄色人種がいると言うことは世界の人種、宗教のパワーバランスにおいて大きな意味を有しているとも言われています。 これを踏まえて、天皇の海外訪問などを見てみてはいかがですか?


第86号 2017年9月ニュースレターより

なじだね新聞

以前出かけた県内の観光地のトイレ内で、とても良い言葉を見つけたのでご紹介します。
その通りだと思いますね。つけくわえるなら「考え方は言葉に出る」でしょうかね。

心のスィッチ性格はに出る
生活は体型に出る
本音は仕草に出る
感情はに出る
センスはに出る
美意はに出る
清潔感はに出る
落ち着きのなさはに出る


第85号 2017年8月ニュースレターより

なじだね新聞

「天までとどけ」

4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。

ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」こっそりと中を読んでみたら、「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」と書いてあったそうだ。

旦那は去年、交通事故で他界した。字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ~」最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。

「絶対に忘れないナンバー」

婚約者だった彼女はガンになりましたが、なんとか克服し、結婚することが出来ました。結婚後、車を購入することになり、ナンバーを決めることにしました。お互いが忘れないような数字がいいと思い妻と相談したら、彼女は「絶対に〇〇〇〇の4桁にして」と聞き入れません。しかし、その数字には、まったく意味がないため「不思議だな?」と思っていました。

数日後、彼女にガンが再発したことがわかりました。進行が早く、予約していた車が納車された時にはすでに、余命が数ヶ月の時でした。納車後、最初で最後のドライブに出かけました。その時ポツリと彼女が言いました。「このナンバーは絶対に忘れないよ」と。

2ヶ月後に彼女は亡くなりました。命日は〇〇月〇〇日でした。そして、絶対に忘れない数字になる事を彼女は知っていたんですね。

第84号 2017年7月ニュースレターより

なじだね新聞

「最高のママ」

もう10年も前の話。 妻が他界して1年がたった頃、当時8歳の娘と3歳の息子がいた。 妻がいなくなったことをまだ理解できないでいる息子に対して、 私はどう接してやればいいのか、父親としての不甲斐なさに悩まされていた。実際私も、妻の面影を追う毎日であった。 寂しさが家中を包み込んでいるようだった。

そんな時、私は仕事の都合で家を空けることになり、 実家の母にしばらくきてもらうことになった。出張中、何度も自宅へ電話をかけ、子供たちの声を聞いた。 2人を安心させるつもりだったが、心安らぐのは私のほうだった気がする。

そんな矢先、息子の通っている幼稚園の運動会があった。 “ママとおどろう”だったか、そんなタイトルのプログラムがあり、 園児と母親が手をつなぎ、輪になってお遊戯をするような内容だった。 こんなときにそんなプログラムを組むなんて・・、そうしたら娘が「ま~くん、行くよ♪」と娘が息子の手を取った。 息子も笑顔で娘の手をとり、二人は楽しそうに走っていった。 一瞬、私は訳が分からずに呆然としていた。 隣に座っていた母がこう言った。
あなたがこの間、九州へ行っていた時に、 正樹はいつものように泣いて、お姉ちゃんを困らせていたのね。 そうしたら、お姉ちゃんは正樹に、
「ママはもういなくなっちゃったけど、お姉ちゃんがいるでしょ?」
「本当はパパだってとってもさみしいの、」
「だけどパパは泣いたりしないでしょ?」
「それはね、パパが男の子だからなんだよ。まぁも男の子だよね。」
「だから、だいじょうぶだよね?」
「お姉ちゃんが、パパとまぁのママになるから。」そう言っていたのよ。
何ということだ。 娘が私の代わりにこの家を守ろうとしている。 場所もわきまえず、流れてくる涙を止めることが出来なかった。

10年たった今、無性にあの頃のことを思い出し、また涙が出てくる。 来年から上京する娘、おとうさんは君に何かしてあげられたかい?

第83号 2017年6月ニュースレターより

なじだね新聞

「本当の幸せとは」

この話は日本理化学工業で大山社長さんのお話です。

社長は、ある事がきっかけで、障害者を雇用し始めました。その子たちは朝から終業時間まで、何しろ一生懸命働いていたのです。 仕事は簡単なラベル貼りでしたが、10時の休み時間、お昼休み、3時の休み時間にも、仕事に没頭して、手を休めようとしません。 毎日背中を叩いて、「もう、お昼休みだよ」 「もう今日は終わりだよ」と言われるまで一心不乱だったそうです。 ほんとうに幸せそうな顔をして、一生懸命仕事をしていたそうです。

社員みんなの心に応えて、大山さんは少女たちを正社員として採用することにしました。 一人だけ採用というのはかわいそうだし、何よりも職場で一人ぼっちになってしまいやすいのではないか、 二人ならお互い助け合えるだろうということで、とりあえず二人に働いてもらうことになりました。

それ以来、障害者を少しずつ採用するようになっていきましたが、大山さんには、一つだけわからないことがありました。 どう考えても、会社で毎日働くよりも施設でゆっくりのんびり暮らしたほうが幸せなのではないかと思えたのです。

そんなとき、ある法事の席で一緒になった禅寺のお坊さんにその疑問を尋ねてみたそうです。 するとお坊さんは 「そんなことは当たり前でしょう。 幸福とは、①人に愛されること②人にほめられること③人の役に立つこと、④人に必要とされることです。そのうちの②人にほめられること、③人の役に立つこと、そして④人に必要とされることは、施設では得られないでしょう。 この三つの幸福は、働くことによって得られるのです」 と教えてくれたそうです。
「その4つの幸せのなかの3つは、働くことを通じて実現できる幸せなんです。だから、どんな障害者の方でも、働きたいという気持ちがあるんですよ。 施設のなかでのんびり楽しく、自宅でのんびり楽しく、テレビだけ見るのが幸せではないんです。 真の幸せは働くことなんです」

普通に働いてきた大山さんにとって、それは目からウロコが落ちるような考え方でした。これは、働いている多くの人たちも忘れていることかもしれません。 それを障害者の方によって教えられたのです。それ以来、大山さんは50年以上障害者を雇用し続けているそうです。

第82号 2017年5月ニュースレターより

なじだね新聞

「また行きたくなるお店」

グルメブームになってどのくらいになりますかね?そのため、「おいしい」と感じる店はたくさんありますが、じゃあ、また行きたくなるか?と考えた時に、「また行きたくなる店」はどのくらいありますか?
最初はおいしく感じた店でも5回、10回と行くともう飽きてしまう店がほとんどでした。 結局、何度も行きたくなる店として残るのは、ほんのわずかだと思います。最終的にはその数店をローテーションで食べにいくことになり、もう他の店には行かなくなる事が多いと思います。

実は、世の中には4つのレベルの店があるそうです。レベル1 まずい店。レベル2。普通の店。レベル3。うまい店。レベル4。また行きたくなる店。「おいしい」と感じる店はたくさんあっても、数回行くと「もういいや」って思える店がほとんどでしょう。だから、また行きたくなる店ってものすごく少ないんです。 一体、「うまい味」と「何度も食べたくなる味」これは何が違うのだろう。
その秘密がわかったの。「そういえば、家庭の味は毎日食べてもまったく飽きないよなー」って。そのことに気づいたときに謎が解けました。そこ答えは、「LOVE」なんです。 コンビニのお弁当を毎日たべてるとほんと味気なく感じるようになりますが、家庭の味は、普通に毎日おいしく食べられます。

ある、管理士栄養士さんの話です。その方は学校の給食の栄養士をやってるんです。で、給食をつくる人たちにあることを話すと俄然、給食がおいしくなるんだそうです。 どんなことを話すとおもいます?それは「自分のお子さんが通っている学校の給食だと思って作ってくださいね」と伝えると、その日から俄然、給食がおいしくなるそうです。 子供達はとても敏感にキャッチするから違いが歴然にわかるのです。

第81号 2017年4月ニュースレターより

なじだね新聞

「犯人は誰だ?」

ある社長の考え方が、ものすごくユニークだったので毎晩のように誰かが相談にきていたそうです。あるときは、こんな相談になった。「うちの娘は、もういい年なのに、結婚もせず困っているんですよ」それに対して、社長はこう答えた。「そうなんですかー。娘さんに早く結婚して不幸になってほしいんですね?」と。
相談された方も、「なに言ってるんですか! 娘に幸せになってほしいんですよ」と怒っていた。でも、社長はこう続けた。「でも、娘さんは、ひとりでも幸せそうなんでしょ?」「はい……」「ならばいいじゃないですか?」「あ、そうですね」と。さっきまで深刻な顔をしてたのに、相談して30秒で、もう笑っていた。30秒で悩みは解決。

「死にたくない。死にたくない。死ぬのが怖い」と悩んでるおばあちゃんには社長はこう声をかけていた。「おばあちゃん、 死んでも人は困らないけど、死なないと困るんだよ」って。「死なないと困る」と言われておばあちゃんは、意味がわからずポカンとしていた。「おばあちゃん、200歳まで生きたと想像してみて。 すると、友達はみんな死んでるよ。 あなたのお子さんも死んでるし、お孫さんも死んでる。 200歳まで生きたらひとりぼっちだよ。 それでも死にたくない?」すると、おばあちゃんは笑いながら「死にたい」と言いだした(笑)これまた、30秒で悩みは解決。

「問題を深刻にしてるのはいつだって自分なんだよ。 だから笑ったらそこで終わり」って。問題を深刻にしてるのは自分。つまり、犯人は自分だよ」

第80号 2017年3月ニュースレターより

なじだね新聞

「あるレジ打ちの話」

その女性は、何をしても続かない人でした・・・それは、就職してからも同じでした・・・
最初の会社は3ヶ月 次の会社は半年、そんなことを繰り返すうちに、彼女は派遣会社へ登録しました。しかし、派遣会社でも長続きしませんでした。次の派遣先はスーパーでした、仕事内容は「レジ打ち」今のようにバーコードなんてない時代です。当時のレジは、電卓のように、ひとつひとつキーを打たなければならなかったのです。
勤めはじめて1週間…仕事に慣れてきた彼女は、だんだん飽きてきてしまったのです「私はこんな単純作業をするために、いるのではない!」仕事を辞めようと思っていた矢先にかかってきた田舎の母親からの電話「帰っておいでよ」母のやさしい声に、決心がつきました。もう、田舎に戻るつもりで部屋の片づけを始めたのです・・
片づけをはじめてしばらくすると、昔の日記が出てきました。小学生の時に書いた言葉が、彼女の目に飛び込んできたのです。「ピアニストになりたい」彼女は思い出しましたピアノの稽古だけは、辞めずに続けていたのです。「あんなに希望に燃えていた自分が今はどうだろうか。情けない。そして、また逃げようとしている…」彼女は泣きながら母親に電話をしました。「私、もう少しここで頑張る」

辞表を破り、スーパーに出勤した彼女はレジ打ちをしながら、ある考えが浮かびます「ピアノも練習を重ねるうちに、キーを見なくても打てるようになったんだ。私流にレジ打ちを極めてみよう!」彼女は数日で、ものすごいスピードでレジ打ちができるようになりました。すると、今まではレジのボタンしか見ていなかった彼女が今まで見もしなかったところへ目が行くようになったのです。「あのお客さんは昨日もきていたな」「この人は、閉店間際に来る」そんな風にお客さんを見ることが彼女の楽しみのひとつになりました。そんなある日、いつもは安いものばかりを買うおばあちゃんが、立派なタイを持ってレジに来たのです。ビックリした彼女は思わず声を掛けます。「今日は何かいいことあったんですか?」するとおばあちゃんは嬉しそうに言いました。「孫がね、水泳で賞を取ったから、お祝いなんだよ」彼女は、嬉しくなって言いました。「それはおめでとうございます!」お客様とのコミュニケーションが楽しくなった彼女は、すっかりお客さんの顔と名前を憶え「○○さん、今日はこのチョコよりも、もっと安いチョコが出てますよ」「今日はマグロよりもカツオのほうがいいわよ」などと言うようになったのです。彼女はだんだんこの仕事が楽しくなってきました。

そんなある日のこと彼女が忙しくレジ打ちをしていると店内放送が響きました。「本日は、混み合いまして、誠に申し訳ございません。どうぞ、空いているレジにお回りください」しばらくすると、また放送が響きました・・・「重ねて申し上げますが、どうぞ、空いているレジにお回りください」3回目のアナウンスを聞いて、彼女は何かおかしいと気づき、周りを見渡して、驚きました。他のレジが全部空いているのに、彼女のレジにしかお客さんが並んでいなかったのです・・
店長があわてて、お客さんに駆け寄り声を掛けます「どうぞあちらへお回りください」するとお客さんは、「放っといてちょうだい! 私はここへ買い物に来ているんじゃない!あの人としゃべりに来ているんだ!だからこのレジじゃないとイヤなんだ!」その瞬間、彼女はワッと泣き崩れました・・・ 他のお客さんも言いました「特売は他のスーパーでもやっているよ。だけど私は、このおねえさんと話をするためにここへ来ているんだからこのレジに並ばせておくれよ」彼女はボロボロと泣き崩れたまま、レジを打つことができませんでした。
仕事というのはこれほど素晴らしいものなのだと初めて気づいたのです。

第79号 2017年2月ニュースレターより

なじだね新聞

「敬礼」

阪神淡路大震災後の話です。

2年前旅行先での駐屯地祭で例によって変な団体が来て私はやーな気分。大音響で自衛隊への批判を始めました。その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。
少女「あんたら地元の人間か?」
団体「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」
少女「で、何しにきたんや?」
団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」
少女「私は神戸の人間や。 はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」
団体「・・・・?」
少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。 寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。 あんたらにわかるか?消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」

最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。 あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。 団体は撤退。
彼女が門をくぐった時に守衛さんが彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のまま敬礼していた。

第78号 2017年1月ニュースレターより

なじだね新聞

「機内での出来事」

「ちょっとスチュワーデスさん!席を変えてちょうだい」
ヨハネスブルグ発の混んだ飛行機の中で、白人中年女性の乗客が叫んだ。

「何かありましたか?」
「あなたわからないの?黒人なんかの隣には座りたくないのよ!こんな人迷惑だわ」
女性の隣では、黒人男性が憮然とした顔で座っている。
「お客様、少々お待ち下さいませ。空いている席を確認してきます」
乗務員は足早に立ち去り、周囲の乗客はざわざわと不穏な空気。

しばらくして乗務員が戻って来た。
「お待たせしました。ファーストクラスにひとつ空きがありますので、どうぞそちらへ。本来ならこういうことはできないんですが、隣の席がこんな人では確かに迷惑でしょうと、機長が特別に許可しました。さ、どうぞ」

周囲の乗客は、にこやかに黒人男性を見送った。

第77号 2016年12月ニュースレターより

なじだね新聞

「本当にいたサンタクロース」

ある幼稚園で、サンタクロースに宛てた手紙を書くことになりました。子どもたちは、思い思いにお願い事を書き、幼稚園が用意したトナカイのポストに入れていきます。
そんな中、一人の女の子がお願い事を決められず、手紙を家に持ち帰ることになりました。悩んだ結果、女の子は手紙に「ペンダントをください」と書き、それをポストに投函します。ただ、女の子は大きな間違いをしてしまいました。トナカイのポストではなく、本物の郵便ポストに手紙を入れてしまったのです。 しかし、話はそれだけでは終わりません。女の子はかなり心配症だったようで、本当にサンタさんに手紙が届いたのか、気になってしかたありません。そして女の子は、毎日のようにサンタさんに宛てた手紙を本物の郵便ポストに入れ続けました。切手も貼っていないその手紙が、サンタさんに届くことはない…はずでした。

ところが、クリスマスイブの当日、女の子の家にサンタクロースは訪れました。そして、たくさんの手紙をくれたことへのお礼を述べ、ペンダントをプレゼントしてくれたのです。
実はこの手紙は、この地域を担当する郵便局に集配され、大切に保管されていました。毎日届くサンタさん宛の手紙を見て、この郵便局の人たちは、差出人として書かれた名前から、女の子の身元を探し回ります。住所と名前が判明し、局長が女の子のお母さんに連絡。 そして、プレゼントを届けることになったのです。郵便局の人たちの粋な計らいが、少女の夢を実現させたのでした。

第76号 2016年11月ニュースレターより

なじだね新聞

「ホームレスの驚くべき行動とは」

マイケルのお父さんは彼が小さい頃になり行方不明でした。しかし、数年前、ホームレスになっている事がわかり、探し回りましたが見つかりませんでした。そして、その数か月後に、警察から電話があり、公園のベンチで死んでいるホームレスが父親であることを知りました。

それ以降、彼はホームレスに関心を持ち、会社の近所の公園でホームレスをしている人達を見守ってきました。その中でも、自分の父親くらいの男性には、余裕のある時には小銭を与えたり、食べ物や衣類を渡したりしていました。そんなことをしているうちに、彼はふと思いました。「彼に大金を渡したらどうするだろうと」単なる好奇心でしたが、ある日彼は財布から30ドルを渡しました。 断る彼でしたが「臨時収入だし、死んだ僕の父に似ているので、是非使ってください」と無理やり渡しました。

マイケルは漠然と「おそらく、お酒を買って飲むんだろうな?」思っていました。 案の定、彼の後をつけるとドラッグストアへ向かいました。数分後彼は両手いっぱいに袋を持って出てきました。「やっぱりお酒をかったか」とマイケルは半分落胆して見ていました。しかし、その後彼は驚くべき行動に出ました。なんと、彼は公園中のホームレスの人達に、食べ物を配り始めました。小さな子供もいる家族のホームレスにはポテトチップスなどのお菓子まで与えていました。そして、全部配り終わった彼はいつものようにベンチに腰掛け新聞を読み始めました。彼は全部を人に与え自分のものは一切残しませんでした。それを見ていたマイケルは自分の行動が恥ずかしくなってしまいました。

マイケルは彼の所へ行き、自分の父の事も含め全て正直に話しました。そして、聞きました「どうして、全部与えたのですか?」と、彼は答えました。「幸せのおすそわけさ、君のお父さんも生きていたらそうしていたはずさ」マイケルは涙が止まりませんでした。
その後、この公園では、臨時収入などがあった時は、皆で分け合う事が習慣になったそうです。

第75号 2016年10月ニュースレターより

なじだね新聞

「髪を伸ばし続けた訳は?」

アメリカ・フロリダ州に住む、8歳のクリスチャン・マクフィラミー君は、ある理由から2年間も髪の毛を伸ばし続けたそうです。

髪の毛を伸ばしている期間中、女の子のように長く伸びた彼の髪の毛を理由に、ひどくイジメられた事もあったそうですが、彼は強い信念で、髪を伸ばし続けたそうです。どうしてそこまでして髪を伸ばし続けたのでしょうか?
実は彼の幼なじみの子が病気が理由で髪の毛を失ったそうです。その彼に、人毛100%のウイッグを贈るために伸ばし続けていたのです。

アメリカには病気や怪我などで髪の毛を失った子供たちや、女性達に人毛100%の医療用ウィッグを無償提供している団体があります。 そのウィッグを作るために寄付を募っていますが、寄付出来るのはお金だけではなく、 ウィッグの材料となる、髪の毛そのものも寄付出来るという事を知ったクリスチャン君は寄付に必要な長さまで伸ばし、無事に30センチの髪の毛を寄付する事ができたそうです。 まわりの人にあれこれ言われると、大人でも自分を見失う事があるのに、彼の強い心は見習いたいものですね。

ところで、寄付と聞くと、お金とか、まとまった物資でするものというイメージがありますが、調べてみると、案外そうでもなくて、実に色々なものが寄付出来るんですね。衣類なんかは有名なところですが、使用済みのプリペイドカードとか、いらないメガネ、使用済み切手、 不要ランドセル、書き損じハガキなどなど・・・世の中は人の為に何かできるチャンスが こんなにも溢れているんですね。

*当院では使用済み切手や使用済みテレフォンカード、ディズニーランドの入場券などを集めています。それを植林活動に役立たせて頂いております。

第74号 2016年9月ニュースレターより

なじだね新聞

「感謝の力」

その人の名前は古市忠夫さん75歳!元、カメラ屋さんだった。
阪神大震災で店も街も燃えてしまった。家族以外はなにもかも失ったと思っていた。しかし、駐車場に停めていた車は奇跡的に燃えてなくて、そのトランクにはゴルフバック入ってあった。これは神様が残してくれたのかもしれない。

元々、アマチュアで優勝経験もあった古市さん、友達の誘いでゴルフのプロを目指すことになった。それから四年後、プロテストに挑戦するも落ちる。しかし、次の年、もう一度挑戦して60歳で合格。その後、シニアプロの大会で優勝10回。本も8冊出して、テレビのドキュメンタリーでもとりあげられ、さらにその生き方が映画になってさらにさらにあのタイガーウッズともテレビ番組で勝負して勝ちそうになった実力者です。

元カメラ屋さんの古市さんがなんでそんなにも奇跡を起こせたのか。
本人曰く!『絶大なる積極性と、感謝の力』これで脳を活性化させて奇跡を起こしたそうです。古市さんは、いつもゴルフ場やプレーヤーに頭を下げて挨拶して、球を打つたびに「ありがとうありがとう」って言ってたそうです。そうすると、プレッシャーがかかった時に恐怖を感謝の力で中和させ、プレッシャーがかかればかかるほど、球は真っすぐより飛んだそうです。

でも、こんな気持ちは震災を体験する前は一切なかったそうです。お金や物質的なものが幸せだと思ってたのですが、ある日、ゴルフ場で満開の桜を見た時に涙が止まらなかったそうです。 目の前で家が燃え、仲間が亡くなり、目の前で助けることが出来なくて悲鳴だけが耳に残り もうすべてが終わったと思ったのに、こうやって桜を見ながらゴルフが出来る。 もう、本当に感謝で涙が止まらなかったそうです。
古市さんは、どんな時にも感謝して上を向いて歩けば奇跡は起こると言い続けています。

第73号 2016年8月ニュースレターより

なじだね新聞

「かわいい応援団」

その保育園では近所のスーパーマーケットへ年長組を連れて、仕事見学に出かけていました。 店長さんに、店内をいろいろ案内してもらっていました。
そろそろ帰る頃になりましたが、お昼時だったので、次第に混み合って来ました。 各レジにはお客さんが並び始め長蛇の列になってきました。

その時、店内放送でスタッフを呼ぶ案内が流れました。
「レジの応援をお願いします」
すると、園児の男の子が「頑張って~。 レジの人、頑張って~!」 と応援を始めた。それにつられて、他の園児も応援を始め、大合唱になりました。

最初は、周りの人も笑っていましたが、次第に拍手にかわりました。
子供って素直で純粋ですね。

第72号 2016年7月ニュースレターより

なじだね新聞

「ムリの壁を壊す」

多くの人が新しいことに挑戦するとき、簡単に「はい」ということができません。 どこかで「自分にはできない」と思っているからです。

人間は小さいころからたくさんの言葉を浴びて、思考回路をつくっていきます。つまり、周りの大人たちの言葉を頼りに考え方をつくっていきます。
いまの若い人たちの多くには、「いったいどんな言葉を聞いてきたんだ」と、言いたくなるほど、「ダメ理論」に筋を通しているのがとてつもなく怖く感じます。

たとえば、水槽に小魚と小魚を主食にする肉食魚を入れ、2匹の間に透明なガラスを入れます。当然、肉食魚は小魚をめがけて泳ぎ出しますが、当然ガラスにぶつかります。それを繰り返していると、いつしか小魚を食べることをあきらめてしまいます。ガラスをはずして、小魚が周りを自由に泳いでいても肉食魚は小魚を食べようとはしなくなります。失敗を繰り返させることにより、心の中に「ムリの壁」をつくってしまうのです。
それでは、肉食魚が小魚を食べることはムリなのでしょうか?いいえ、ひとつだけ方法があります。それは、水槽の中に「ムリの壁」ができていない肉食魚を放り込むのです。喜んでパクパク小魚を食べる仲間を見たとき、「ムリの壁」ができていた肉食魚も恐る恐る食べてみようします。「食べることができるじゃん!」その瞬間、その肉食魚の「ムリの壁」が崩れました。

自分にできた「ムリの壁」を壊す一番効果的な方法は、「オレはできる!」と、その壁を持っていない人と触れることが、何よりの特効薬になります。つまり環境を変えるのです。中でも、付き合う人を変えるのです。愚痴や悪口、過去の失敗に後悔している人。こんな人とは付き合わず、未来や夢を語る人と付き合うのです。「あれをしたらダメ」「これをしたらダメ」「現実で考えなさい」「あんたなんかどうせムリだよ」こんな心ないマイナスの言葉があなたの可能性をダメにしています。「大丈夫。お前ならできる」そんな言葉を浴びると、人は目をキラキラさせるでしょう。 「自分にはムリ、出来ない」というセルフイメージを壊しましょう。

第71号 2016年6月ニュースレターより

なじだね新聞

「めでたし、めでたし」

2013年度「新聞広告クリエーティブコンテスト」で最優秀賞を獲得したというこの作品には久しぶりに衝撃を受けました。

「めでたし、めでたし?」というタイトルが付けら れたこの作品は、博報堂のやまざき博司さんと小畑茜さんによってつくられました。二人のコメントがこちらです。

「ある人にとってしあわせと感じることでも別の人からみればそう思えないことがあります。 反対の立場に立ってみたら。 ちょっと長いスパンで考えてみたら。別の時代だったら。 どの視点でその対象を捉えるかによって、しあわせは変わるものだと考えました。 そこで、みんなが知っている有名な物語を元に、当たり前に使われる「めでたし、めでたし。」が、 異なる視点から見ればそう言えないのでは?ということを表現しました。」

第70号 2016年5月ニュースレターより

なじだね新聞

「浜辺の足跡」

ある日、私は夢を見ました。浜辺を神とともに歩いている夢を
海の向こうの大空に、私の今までの人生の光景がはっきりと写し出され
どの光景の前にも、浜辺を歩いている神と私の二組の足跡がありました
最後の光景まで来たときに振り返ってみると、ところどころ足跡が一つしかないことに気づきました
そして、それはいつも私が苦境に落ちて、悲しみに打ちひしがれているときでした
私は、あえて神に尋ねました 「私があなたについていくと言った時、いつも私のそばにいてくださると約束されたのにどうして、私が一番あなたを必要としているときに、私を見放されたのですか」
神は答えておっしゃいました 「私の大切な愛しい子よ、私は決してあなたのそばを離れたことはない あなたが見た一つの足跡、それは、苦しみや悲しみに傷ついたあなたを そっと抱き上げて歩いた私の足跡なのだ」と
ある日、私は夢を見ました 浜辺を神とともに歩いている夢を

*日本人は「お陰様で」という言葉を使います。
ちゃんと、「お蔭様」はあなたのそばに存在するんですね。

第69号 2016年4月ニュースレターより

なじだね新聞

「ミラー細胞と佐賀北高校」

相手が「ありがとう」と言ってくれたら、自分も「こちらこそ、ありがとう」という気持ちがわいてくる。そうさせるのが「ミラー細胞」です。

このミラー細胞の働きを実証した実例があります。それは2007年、夏の全国高校野球大会で優勝した佐賀北高校です。

佐賀北高校は勉強に熱心な県立高校で、チームも全国から野球のエリートを集めて作ったわけではありません。そんな普通の高校が甲子園で優勝したということで、全国から大きな喝采を浴びました。

驚いたことに、その佐賀北高校、試合中に相手チームをほめるのです。たとえば、相手がカーンとヒットを打ったとします。すると佐賀北の一塁手が、塁に立った相手走者にいうのです。「ナイスバッティング」二塁打を打った相手には、二塁手が「素晴らしいですね」とほめます。一方、打撃に入って三振を取られると、相手のピッチャーに「ナイスピッチング」と声をかけます。普通はこんなことは絶対にしないでしょう。

結局、佐賀北は大会で一度も負けていません。当たり前ですが優勝するということはそういうことです。一方、負けたチームも負けたのは1回きりです。甲子園にはそういうドラマがあります。1回しか負けていなくても、それで終わりなのですだから負けた方はずいぶん悔しい思いをしたはずです。

しかし、佐賀北と対戦して敗れたチームはみな佐賀北のファンになってしまったのです。そして勝つたびに佐賀北は多くの応援者をつけ、県立高校としては11年ぶりの、甲子園全国優勝を果たしたのです。

ミラーの法則ってあるなぁって思います。応援するから応援される・・・ 感謝するから感謝されるんです。自分が笑顔になれば、相手も笑顔になるんです。

第68号 2016年3月ニュースレターより

なじだね新聞

今回はいつもと違い、ちょっといい詩をご紹介しますね

「悩める人々への銘」

「大きなことを成し遂げるために強さを与えてほしいと神に求めたのに、謙遜を学ぶようにと弱さを授かった」
「偉大なことができるようにと健康を求めたのに、よりよきことをするようにと病気を賜った」
「幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧困を授かった」
「世の人々の称賛を得ようとして力と成功を求めたのに、得意にならないようにと失敗を授かった」
「人生を楽しむために あらゆるものを求めたのに、あらゆるものを慈しむために人生を授かった」
「求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた私はもっとも豊かに祝福されたのだ」

作者不詳 「悩める人々への銘」はニューヨーク大学の壁に掲げられている詩です。 南北戦争に従事した南軍の兵士が作ったものと言われています。 1950年代、スティーブンソンは52年56年の大統領選に民主党候補として出馬して二度ともアイゼンハワーに敗北した。失意のさなか田舎の教会でスティーブンソンはこの詩を見つけこの珠玉の言葉によって思慮深い人間に立ち直ったそうです。

第67号 2016年2月ニュースレターより

なじだね新聞

「素敵なプレゼント」

お父さんを事故で亡くした小学校5年生のK君はお母さんと小さなアパートで二人暮らしをしています。正直、生活は苦しく、お母さんは幾つものパートを掛け持ちしているため、K君が寝たころに家に帰ってきます。なかなかK君と話をする時間がないため、いつも「学校でいじめられていないか?」「友達はいるのか?」などを心配していました。

そんなある日、K君の友達が「今日はお母さんの誕生日だから、お小遣いでプレゼントを買うんだ」と言っていました。K君は「僕のお母さんの誕生日は来週だから、何をプレゼントするか考えているんだ」と言いました。
しかし、生活が厳しいためK君は、プレゼントを買えるほどのお小遣いはもらっていませんでした。「何をプレゼントしたらいいんだろう?」と悩んでいました。

悩んだ末、担任の先生に相談したところ、あるヒントをもらいK君は嬉しくなりました。
誕生日当日、お母さんが帰宅すると、いつもなら寝ている時間なのに、K君は起きていました。「K君こんな時間までどうしたの?」と尋ねると、「お母さんにプレゼントがあるんだ、そこに座って」とリビングのテーブルへ誘いました。
テーブルに座ってから彼は一言「お誕生日おめでとう、今日僕の一日を話します」と言って、家を出てからの事、学校での出来事、友達との会話、通学路の事などなど、1時間以上話し続けました。その間、お母さんは「ウンウン」と涙を浮かべながら、話を聞き続けました。最後はお母さんは、K君を抱きしめ号泣しながら「素敵なプレゼントをありがとう」と言って、久しぶりに同じ布団で寝ました。

翌朝、K君の笑顔を見た先生はすべてを察し、無言でハイタッチをしました。先生は保護者面談で、お母さんが、K君と話をする時間が無いことを心配していると教えただけでした。

第66号 2016年1月ニュースレターより

なじだね新聞

この話は以前、45号に掲載したお話ですが、実は五日市様の講演会を聞いた方の実話ですので、再度、掲載させて頂きました。

―習慣を変えると運命が変わるー

ある主婦の体験談です。
私は、いろんなことが積み重なり、不幸のどん底の人生でした。夫の借金。毎日のケンカ。子どもはグレる。何で自分ばかりがこんな不幸になるんだろう、と思っていました。

そんな時、ある方の講演会に行ったのです。なぜ自分ばかりが不幸になってしまうのか。
その答えがみつかったのです。それが、言葉だったんです。自分の使う言葉が悪かったんです。毎日イライラして、独り言も愚痴やため息ばかり。不幸になる汚い言葉ばかり使っていました。

『心の持ち方も大事だけど、もっと大事なのは、言葉の使い方。どんな言葉を口にだすかで、あなたの目の前の状況が変わってくるし、あなたの心も変わってくる。いいことがあったら“感謝します”悪いことがあったら“ありがとう”思うだけではなく口にだすこと。よい言葉はまわりの多くの人を幸せにし、やがて自分自身も幸せになる。口にだした言葉どおりの人生が起こる。』

その日から、とにかく言葉を意識しました。夫がイライラしていても、ありがとう。子どものことで警察に呼び出されても、ありがとう。とにかく、「ありがとう」を口にだしました。
それから、本当に奇跡が起こったんです。夫ともケンカをしなくなり、仕事もしていなかった夫が、働くようになりました。今は、借金もすべて返し、うそのように夫婦仲が良くなりました。息子も立ち直り、大学受験をがんばっています。すべては、ある方のおかげです。今では、魔法の言葉が私たち家族の大切な習慣になっています。

 

第65号 2015年12月ニュースレターより

なじだね新聞

―奇跡のリンゴー

リンゴを無農薬で育てる。それは不可能だといわれ、世界広しといえども、成功できたものは誰一人いなかった。しかし、それに挑戦した男がいたのです。木村秋則

だが、現実は甘くない。10年間、一心不乱に研究しても、成功しなかった。あるとき、木村さんは、小学生になった娘さんの作文を読んでしまう。「わたしのおとうさんはリンゴ農家です。 でも、わたしは生まれてから、リンゴを一度も食べた事がありません」 リンゴ農家だけど、10年間リンゴがひとつも実ってないからだ。木村さんは、子供にエンピツを買ってあげることもできず、子供たちは小さくなったエンピツをセロテープで3つつなげて使っていた。

農薬のかわりに酢を散布してみる。わさびを散布してみる。配合の仕方だけでも何万種類と試した。ありとあらゆるものを、ありとあらゆる配合でやってみる。しかし、そのすべての実験は失敗した。 もうムリだ……。木村さんは、あきらめると家族の前で宣言したときに、 小学生の娘さんが怒鳴った。「なんのために…… なんのために…… なんのために、 わたしたち、これまで貧乏を我慢してきたと思うの!? あきらめるなーーーーー!!!!!!!!!!!!!」

そうか。そうだ。いま、ここでオレがあきらめることは人類があきらめることになる。 この先の過程がまたすごいドラマがあるのだけど、木村さんは、無農薬のリンゴ栽培に成功します。

*昔、パナソニックの創業者 松下幸之助氏がインタビューで答えています。
成功の秘密はと聞かれた松下氏はこう答えました。「成功するまでやり続ける」と

第63号 2015年10月ニュースレターより

なじだね新聞

―スラム街の奇跡ー

ある大学で社会学を学ぶ学生たちが、ボルチモアのスラム街に住む少年200人を対象に、 ひとりひとりの家庭環境と生い立ちを調査しました。
そしてこの調査結果をもとに少年たちの将来性についてのレポートを作成しました。するとどの学生も、これらの少年たちには何の将来も期待できないだろうと書いたのでした。

それから25年後のこと、ある社会学の教授がこのときの調査結果を見つけ、当時の少年たちがその後どうなったか学生に調べさせました。 ところが、引っ越したり、死亡した20人を除いた180人のうち、何と176人が弁護士や医者、またはビジネスマンとして人並み以上の成功をおさめていることがわかったのです。

教授はこの報告に大変驚くと共に、興味をそそられ、さらに詳しく調べることにしました。 幸い、調査対象になった人たちはまだその地域に住んでいたので、教授は自らひとりひとりに会いに出かけ、こう質問したのです。「あなたを成功に導いたものは何だったのですか?」すると、誰もが感慨をこめて、ある先生の名前を挙げたのでした。
教授はまだ健在だというその女の先生にぜひ会いたいと思い、訪ねていきました。 そして、年はとっていても、しゃんとしたその先生に、こう尋ねたのです。
「スラム街からあんなに大勢の成功者が出るなんて驚きました。 あなたは、一体どんな魔法を使ったんです?」
その先生はパッと顔を輝かせ、口元に微笑を浮かべると、こうこたえたのでした。
「とても簡単なことです。私は生徒達を愛したのです」

第62号 2015年9月ニュースレターより

なじだね新聞

―10円の価値ー

今から約40年前の話です。Y君は軽度の知的障害がありましたが、親御さんの希望で小学校は普通学級に通っていました。私が担任になった時は、幸いにもいじめもなく、周囲の子供達も普通に接してくれていました。ある日、算数の時間に、お金の事を学ぶ授業がありました。

1円玉 5円玉 10円玉 50円玉 100円玉を使って、どの硬貨に価値があるのかを硬貨を並べてグループ毎に発表する事になりました。Y君のグループはY君が代表で出てきました。内心不安を覚えましたが、彼は前に出てきて紙で作った硬貨の絵を並べ始めました。しかし、彼は1円 5円 50円 100円 10円の順番で並べました。ほかの生徒は正しい順序で並べました。

Y君に「それでいい?」と何度も聞いても「うん」と頷くだけでした。そこで、彼のグループの子供たちに聞きました。そうすると、一人の子が「Y君の考えは間違っているけど、彼にとっては10円が一番大事なんです」という意外な言葉が返ってきました。詳しい話を放課後にグループの子供たちに聞きました。

実は彼の家は裕福でないため、固定電話がありませんでした、だから学校から帰るときに、毎日のように学校近くの駄菓子屋さんで大好きな、おばあちゃんの家に電話をするのが、習慣だったのです。学校へ来るときにはお母さんから10円玉をもらい、いつも大事そうに握って学校へ来るそうです。それを同級生は知っていたのです。100円玉では公衆電話が使えません。彼にとって、100円玉以上に、電話が使える10円玉の方がどれほどの価値があるのかを子供たちから教えられた授業でした。

それ以来、私は転任しても、この話を生徒たちに話をしています。

第61号 2015年8月ニュースレターより

なじだね新聞

―叶っていた願いー

4歳になる息子が、手がかかるようになり、しだいに育児ノイローゼ気味になってきたので、相談員の方に話を聞いてもらう事にしました。

私はひとしきり息子の現状を話しました。その間、相談員の方は、うなずくだけで、ずっと話を聞いてくれました。私の話を聞くと、その方は最近あった話をしてくださいました。

やっとの思いで授かった赤ちゃんは高齢出産でもあったため、出産間近で亡くなり、死産になってしまいました。皮肉なもので、死産でもお母さんのオッパイは母乳が出始めるのだそうです。そのお母さんは「明日にはこの子のお葬式を出す手配をしなくてはならないので、この子と一晩過ごしてもいいですか?」と聞いたそうです。翌朝、お母さんは出始めたばかりの母乳を赤ちゃんにあげていたそうです。おそらくこのお母さんにとって、子供を授かる、最後のチャンスだったと思いますよ。

その話をしてくださった後、相談員の方にこう聞かれました。「あなたやご主人はお子さんの出産の時に、お子さんに対してどう思いました」私は「当然、無事に元気で生まれますようにと願いました。」そこで、私は「はっ!」と気が付きました。その様子に気が付いた相談員さんが言いました。

「そうなんですよ、お子さんは元気に生まれましたよね、死産の方はそれすら叶わなかったのです。あなたの願いは叶っているんですよ、これ以上の喜びはないのではないですか」と。

「人は一つの悩みが解決すると、また別の欲求がでてきます、そして悩み続けます。おそらくご自身が亡くなるまでお子さんの事で悩み続けなくてはなりません。すこし、肩の力を抜いてはどうですか?」 私はそれ以来、多少の事では悩まなくなりました。

---

メールでのご相談

当院は、予約優先の歯科医院です。初診の方も、事前のご予約をお願いいたします。

---


025-752-0525
●症状・治療のご相談はこちらから
●ホームページの内容に関するお問合せはこちらから
院長:阿部昌義
ホープ歯科クリニック
〒948-0051 新潟県十日町市寿町2-6-25
■診療時間 月曜~金曜 9:00~12:30/14:30~18:30
※お昼休み中(12時30分から14時30分)の電話や来院はご遠慮ください。
※木曜午後・土曜午前は不定期休診です。医院にお問合せください。
■休診日 土曜午後・日曜・祝日 ※木曜午後は不定期休診

虫歯治療歯周病治療虫歯予防矯正歯科審美歯科ホワイトニング顎関節症治療睡眠時無呼吸症候群の治療歯科金属アレルギー

Copyright(C) ホープ歯科クリニック All rights reserved.

新潟県十日町市 ホープ歯科クリニック