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住所

新潟県十日町市寿町2-6-25
アクセスマップ・地図
広い駐車場があります

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【東京駅から】越後湯沢駅で「ほくほく線」に乗り換え十日町駅下車

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TEL

025-752-0525
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診療日時

月曜~金曜 9:00~12:30
      14:30~18:30
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水曜午後・土曜午前は不定期診療です。お問合せ下さい。

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休診日

土曜午後・日曜・祝日 ※水曜午後は不定期休診

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心のスイッチリターンズ

第50号 2024年3月ニュースレターより

「天までとどけ」

4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。

ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」こっそりと中を読んでみたら、「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」と書いてあったそうだ。

旦那は去年、交通事故で他界した。字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ…受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ~」最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。

「絶対に忘れないナンバー」

婚約者だった彼女はガンになりましたが、なんとか克服し、結婚することが出来ました。結婚後、車を購入することになり、ナンバーを決めることにしました。お互いが忘れないような数字がいいと思い妻と相談したら、彼女は「絶対に〇〇〇〇の4桁にして」と聞き入れません。しかし、その数字には、まったく意味がないため「不思議だな?」と思っていました。

数日後、彼女にガンが再発したことがわかりました。進行が早く、予約していた車が納車された時にはすでに、余命が数ヶ月の時でした。納車後、最初で最後のドライブに出かけました。その時ポツリと彼女が言いました。「このナンバーは絶対に忘れないよ」と。

2ヶ月後に彼女は亡くなりました。命日は〇〇月〇〇日でした。そして、絶対に忘れない数字になる事を彼女は知っていたんですね。

「なじだね?新聞」85号掲載

第49号 2024年2月ニュースレターより

「最高のママ」

もう10年も前の話。妻が他界して1年がたった頃、当時8歳の娘と3歳の息子がいた。妻がいなくなったことをまだ理解できないでいる息子に対して、私はどう接してやればいいのか、父親としての不甲斐なさに悩まされていた。実際私も、妻の面影を追う毎日であった。寂しさが家中を包み込んでいるようだった。

そんな時、私は仕事の都合で家を空けることになり、実家の母にしばらくきてもらうことになった。出張中、何度も自宅へ電話をかけ、子供たちの声を聞いた。2人を安心させるつもりだったが、心安らぐのは私のほうだった気がする。

そんな矢先、息子の通っている幼稚園の運動会があった。“ママとおどろう”だったか、そんなタイトルのプログラムがあり、園児と母親が手をつなぎ、輪になってお遊戯をするような内容だった。こんなときにそんなプログラムを組むなんて・・、そうしたら娘が「ま~くん、行くよ♪」と娘が息子の手を取った。息子も笑顔で娘の手をとり、二人は楽しそうに走っていった。一瞬、私は訳が分からずに呆然としていた。隣に座っていた母がこう言った。

あなたがこの間、九州へ行っていた時に、正樹はいつものように泣いて、お姉ちゃんを困らせていたのね。そうしたら、お姉ちゃんは正樹に、「ママはもういなくなっちゃったけど、お姉ちゃんがいるでしょ?」「本当はパパだってとってもさみしいの、」「だけどパパは泣いたりしないでしょ?」「それはね、パパが男の子だからなんだよ。まぁも男の子だよね。」「だから、だいじょうぶだよね?」「お姉ちゃんが、パパとまぁのママになるから。」そう言っていたのよ。

何ということだ。娘が私の代わりにこの家を守ろうとしている。場所もわきまえず、流れてくる涙を止めることが出来なかった。10年たった今、無性にあの頃のことを思い出し、また涙が出てくる。来年から上京する娘、おとうさんは君に何かしてあげられたかい?

「なじだね?新聞」84号掲載

第48号 2024年1月ニュースレターより

「本当の幸せとは」

この話は日本理化学工業の大山社長さんのお話です。

社長は、ある事がきっかけで、障害者を雇用し始めました。その子たちは朝から終業時間まで、何しろ一生懸命働いていたのです。 仕事は簡単なラベル貼りでしたが、10時の休み時間、お昼休み、3時の休み時間にも、仕事に没頭して、手を休めようとしません。 毎日背中を叩いて、「もう、お昼休みだよ」 「もう今日は終わりだよ」と言われるまで一心不乱だったそうです。 ほんとうに幸せそうな顔をして、一生懸命仕事をしていたそうです。

社員みんなの心に応えて、大山さんは少女たちを正社員として採用することにしました。 一人だけ採用というのはかわいそうだし、何よりも職場で一人ぼっちになってしまいやすいのではないか、 二人ならお互い助け合えるだろうということで、とりあえず二人に働いてもらうことになりました。

それ以来、障害者を少しずつ採用するようになっていきましたが、大山さんには、一つだけわからないことがありました。 どう考えても、会社で毎日働くよりも施設でゆっくりのんびり暮らしたほうが幸せなのではないかと思えたのです。

そんなとき、ある法事の席で一緒になった禅寺のお坊さんにその疑問を尋ねてみたそうです。 するとお坊さんは 「そんなことは当たり前でしょう。 幸福とは、①人に愛されること②人にほめられること③人の役に立つこと、④人に必要とされることです。そのうちの②人にほめられること、③人の役に立つこと、そして④人に必要とされることは、施設では得られないでしょう。 この三つの幸福は、働くことによって得られるのです」 と教えてくれたそうです。
「その4つの幸せのなかの3つは、働くことを通じて実現できる幸せなんです。だから、どんな障害者の方でも、働きたいという気持ちがあるんですよ。 施設のなかでのんびり楽しく、自宅でのんびり楽しく、テレビだけ見るのが幸せではないんです。 真の幸せは働くことなんです」

普通に働いてきた大山さんにとって、それは目からウロコが落ちるような考え方でした。これは、働いている多くの人たちも忘れていることかもしれません。 それを障害者の方によって教えられたのです。それ以来、大山さんは50年以上障害者を雇用し続けているそうです。

「なじだね?新聞」83号掲載

第47号 2023年12月ニュースレターより

「また行きたくなるお店」

グルメブームになってどのくらいになりますかね?そのため、「おいしい」と感じる店はたくさんありますが、じゃあ、また行きたくなるか?と考えた時に、「また行きたくなる店」はどのくらいありますか?最初はおいしく感じた店でも5回、10回と行くともう飽きてしまう店がほとんどでした。

結局、何度も行きたくなる店として残るのは、ほんのわずかだと思います。最終的にはその数店をローテーションで食べにいくことになり、もう他の店には行かなくなる事が多いと思います。

実は、世の中には4つのレベルの店があるそうです。
レベル1:まずい店。
レベル2:普通の店。
レベル3:うまい店。
レベル4:また行きたくなる店。
「おいしい」と感じる店はたくさんあっても、数回行くと「もういいや」って思える店がほとんどでしょう。だから、また行きたくなる店ってものすごく少ないんです。一体、「うまい味」と「何度も食べたくなる味」これは何が違うのだろう。

その秘密がわかったの。「そういえば、家庭の味は毎日食べてもまったく飽きないよなー」って。そのことに気づいたときに謎が解けました。その答えは、「LOVE」なんです。コンビニのお弁当を毎日たべてるとほんと味気なく感じるようになりますが、家庭の味は、普通に毎日おいしく食べられます。

ある、管理士栄養士さんの話です。その方は学校の給食の栄養士をやってるんです。で、給食をつくる人たちにあることを話すと俄然、給食がおいしくなるんだそうです。どんなことを話すとおもいます?それは「自分のお子さんが通っている学校の給食だと思って作ってくださいね」と伝えると、その日から俄然、給食がおいしくなるそうです。子供達はとても敏感にキャッチするから違いが歴然にわかるのです。

*今回は、ある作家さんのメルマガを参考にしました。

「なじだね?新聞」82号掲載

第46号 2023年11月ニュースレターより

「犯人は誰だ?」

ある社長の考え方が、ものすごくユニークだったので毎晩のように誰かが相談にきていたそうです。あるときは、こんな相談になった。「うちの娘は、もういい年なのに、結婚もせず困っているんですよ」それに対して、社長はこう答えた。「そうなんですかー。娘さんに早く結婚して不幸になってほしいんですね?」と。相談された方も、「なに言ってるんですか!娘に幸せになってほしいんですよ」と怒っていた。

でも、社長はこう続けた。「でも、娘さんは、ひとりでも幸せそうなんでしょ?」「はい……」「ならばいいじゃないですか?」「あ、そうですね」と。さっきまで深刻な顔をしてたのに、相談して30秒で、もう笑っていた。30秒で悩みは解決。

「死にたくない。死にたくない。死ぬのが怖い」と悩んでるおばあちゃんには社長はこう声をかけていた。「おばあちゃん、死んでも人は困らないけど、死なないと困るんだよ」って。

「死なないと困る」と言われておばあちゃんは、意味がわからずポカンとしていた。「おばあちゃん、200歳まで生きたと想像してみて。すると、友達はみんな死んでるよ。あなたのお子さんも死んでるし、お孫さんも死んでる。200歳まで生きたらひとりぼっちだよ。それでも死にたくない?」すると、おばあちゃんは笑いながら「死にたい」と言いだした(笑)これまた、30秒で悩みは解決。

「問題を深刻にしてるのはいつだって自分なんだよ。だから笑ったらそこで終わり」って。「問題を深刻にしてるのは自分。つまり、犯人は自分だよ」

「なじだね?新聞」81号掲載

第45号 2023年10月ニュースレターより

「あるレジ打ちの話」

その女性は、何をしても続かない人でした・・・それは、就職してからも同じでした・・・
最初の会社は3ヶ月 次の会社は半年、そんなことを繰り返すうちに、彼女は派遣会社へ登録しました。しかし、派遣会社でも長続きしませんでした。次の派遣先はスーパーでした、仕事内容は「レジ打ち」今のようにバーコードなんてない時代です。当時のレジは、電卓のように、ひとつひとつキーを打たなければならなかったのです。

勤めはじめて1週間…仕事に慣れてきた彼女は、だんだん飽きてきてしまったのです「私はこんな単純作業をするために、いるのではない!」仕事を辞めようと思っていた矢先にかかってきた田舎の母親からの電話「帰っておいでよ」母のやさしい声に、決心がつきました。もう、田舎に戻るつもりで部屋の片づけを始めたのです・・

片づけをはじめてしばらくすると、昔の日記が出てきました。小学生の時に書いた言葉が、彼女の目に飛び込んできたのです。「ピアニストになりたい」彼女は思い出しました。ピアノの稽古だけは、辞めずに続けていたのです。「あんなに希望に燃えていた自分が今はどうだろうか。情けない。そして、また逃げようとしている…」彼女は泣きながら母親に電話をしました。「私、もう少しここで頑張る」

辞表を破り、スーパーに出勤した彼女はレジ打ちをしながら、ある考えが浮かびます「ピアノも練習を重ねるうちに、キーを見なくても打てるようになったんだ。私流にレジ打ちを極めてみよう!」彼女は数日で、ものすごいスピードでレジ打ちができるようになりました。すると、今まではレジのボタンしか見ていなかった彼女が今まで見もしなかったところへ目が行くようになったのです。

「あのお客さんは昨日もきていたな」「この人は、閉店間際に来る」そんな風にお客さんを見ることが彼女の楽しみのひとつになりました。そんなある日、いつもは安いものばかりを買うおばあちゃんが、立派なタイを持ってレジに来たのです。ビックリした彼女は思わず声を掛けます。「今日は何かいいことあったんですか?」するとおばあちゃんは嬉しそうに言いました。「孫がね、水泳で賞を取ったから、お祝いなんだよ」彼女は、嬉しくなって言いました。「それはおめでとうございます!」

お客様とのコミュニケーションが楽しくなった彼女は、すっかりお客さんの顔と名前を憶え「○○さん、今日はこのチョコよりも、もっと安いチョコが出てますよ」「今日はマグロよりもカツオのほうがいいわよ」などと言うようになったのです。彼女はだんだんこの仕事が楽しくなってきました。

そんなある日のこと彼女が忙しくレジ打ちをしていると店内放送が響きました。「本日は、混み合いまして、誠に申し訳ございません。どうぞ、空いているレジにお回りください」しばらくすると、また放送が響きました・・・「重ねて申し上げますが、どうぞ、空いているレジにお回りください」3回目のアナウンスを聞いて、彼女は何かおかしいと気づき、周りを見渡して、驚きました。他のレジが全部空いているのに、彼女のレジにしかお客さんが並んでいなかったのです・・

店長があわてて、お客さんに駆け寄り声を掛けます「どうぞあちらへお回りください」するとお客さんは、「放っといてちょうだい! 私はここへ買い物に来ているんじゃない!あの人としゃべりに来ているんだ!だからこのレジじゃないとイヤなんだ!」その瞬間、彼女はワッと泣き崩れました・・・

他のお客さんも言いました「特売は他のスーパーでもやっているよ。だけど私は、このおねえさんと話をするためにここへ来ているんだからこのレジに並ばせておくれよ」彼女はボロボロと泣き崩れたまま、レジを打つことができませんでした。
仕事というのはこれほど素晴らしいものなのだと初めて気づいたのです。

「なじだね?新聞」80号掲載

第45号 2023年9月ニュースレターより

「敬礼」

阪神淡路大震災後の話です。

2年前旅行先での駐屯地祭で例によって変な団体が来て私はやーな気分。大音響で自衛隊への批判を始めました。その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。

少女「あんたら地元の人間か?」
団体「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」
少女「で、何しにきたんや?」
団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」
少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」
団体「・・・・?」
少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。あんたらにわかるか?消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」

最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。
団体は撤退。彼女が門をくぐった時に守衛さんが彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のまま敬礼していた。

「なじだね?新聞」79号掲載

第44号 2023年8月ニュースレターより

「機内での出来事」

「ちょっとスチュワーデスさん!席を変えてちょうだい」
ヨハネスブルグ発の混んだ飛行機の中で、白人中年女性の乗客が叫んだ。

「何かありましたか?」
「あなたわからないの?黒人なんかの隣には座りたくないのよ!こんな人迷惑だわ」
女性の隣では、黒人男性が憮然とした顔で座っている。
「お客様、少々お待ち下さいませ。空いている席を確認してきます」
乗務員は足早に立ち去り、周囲の乗客はざわざわと不穏な空気。

しばらくして乗務員が戻って来た。
「お待たせしました。ファーストクラスにひとつ空きがありますので、どうぞそちらへ。本来ならこういうことはできないんですが、隣の席がこんな人では確かに迷惑でしょうと、機長が特別に許可しました。さ、どうぞ」

周囲の乗客は、にこやかに黒人男性を見送った。

「なじだね?新聞」78号掲載

第43号 2023年7月ニュースレターより

「本当にいたサンタクロース」

ある幼稚園で、サンタクロースに宛てた手紙を書くことになりました。子どもたちは、思い思いにお願い事を書き、幼稚園が用意したトナカイのポストに入れていきます。そんな中、一人の女の子がお願い事を決められず、手紙を家に持ち帰ることになりました。悩んだ結果、女の子は手紙に「ペンダントをください」と書き、それをポストに投函します。ただ、女の子は大きな間違いをしてしまいました。トナカイのポストではなく、本物の郵便ポストに手紙を入れてしまったのです。

しかし、話はそれだけでは終わりません。女の子はかなり心配症だったようで、本当にサンタさんに手紙が届いたのか、気になってしかたありません。そして女の子は、毎日のようにサンタさんに宛てた手紙を本物の郵便ポストに入れ続けました。切手も貼っていないその手紙が、サンタさんに届くことはない…はずでした。

ところが、クリスマスイブの当日、女の子の家にサンタクロースは訪れました。そして、たくさんの手紙をくれたことへのお礼を述べ、ペンダントをプレゼントしてくれたのです。実はこの手紙は、この地域を担当する郵便局に集配され、大切に保管されていました。毎日届くサンタさん宛の手紙を見て、この郵便局の人たちは、差出人として書かれた名前から、女の子の身元を探し回ります。住所と名前が判明し、局長が女の子のお母さんに連絡。そして、プレゼントを届けることになったのです。郵便局の人たちの粋な計らいが、少女の夢を実現させたのでした。

「なじだね?新聞」77号掲載

第42号 2023年6月ニュースレターより

「髪を伸ばし続けた訳は?」

アメリカ・フロリダ州に住む、8歳のクリスチャン・マクフィラミー君は、ある理由から2年間も髪の毛を伸ばし続けたそうです。

髪の毛を伸ばしている期間中、女の子のように長く伸びた彼の髪の毛を理由に、ひどくイジメられた事もあったそうですが、彼は強い信念で、髪を伸ばし続けたそうです。どうしてそこまでして髪を伸ばし続けたのでしょうか?
実は彼の幼なじみの子が病気が理由で髪の毛を失ったそうです。その彼に、人毛100%のウイッグを贈るために伸ばし続けていたのです。

アメリカには病気や怪我などで髪の毛を失った子供たちや、女性達に人毛100%の医療用ウィッグを無償提供している団体があります。そのウィッグを作るために寄付を募っていますが、寄付出来るのはお金だけではなく、ウィッグの材料となる、髪の毛そのものも寄付出来るという事を知ったクリスチャン君は寄付に必要な長さまで伸ばし、無事に30センチの髪の毛を寄付する事ができたそうです。まわりの人にあれこれ言われると、大人でも自分を見失う事があるのに、彼の強い心は見習いたいものですね。

ところで、寄付と聞くと、お金とか、まとまった物資でするものというイメージがありますが、調べてみると、案外そうでもなくて、実に色々なものが寄付出来るんですね。衣類なんかは有名なところですが、使用済みのプリペイドカードとか、いらないメガネ、使用済み切手、不要ランドセル、書き損じハガキなどなど…世の中は人の為に何かできるチャンスがこんなにも溢れているんですね。

「なじだね?新聞」75号掲載

第41号 2023年5月ニュースレターより

「感謝の力」

その人の名前は古市忠夫さん75歳!元、カメラ屋さんだった。阪神大震災で店も街も燃えてしまった。家族以外はなにもかも失ったと思っていた。しかし、駐車場に停めていた車は奇跡的に燃えてなくて、そのトランクにはゴルフバックが入っていた。これは神様が残してくれたのかもしれない。

元々、アマチュアで優勝経験もあった古市さん、友達の誘いでゴルフのプロを目指すことになった。それから四年後、プロテストに挑戦するも落ちる。しかし、次の年、もう一度挑戦して60歳で合格。その後、シニアプロの大会で優勝10回。本も8冊出して、テレビのドキュメンタリーでもとりあげられ、さらにその生き方が映画になって、さらにさらに、あのタイガーウッズともテレビ番組で勝負して、勝ちそうになった実力者です。元カメラ屋さんの古市さんが、なんでそんなにも奇跡を起こせたのか。

本人曰く!『絶大なる積極性と、感謝の力』これで脳を活性化させて奇跡を起こしたそうです。古市さんは、いつもゴルフ場やプレーヤーに頭を下げて挨拶して、球を打つたびに「ありがとうありがとう」って言ってたそうです。そうすると、プレッシャーがかかった時に恐怖を感謝の力で中和させ、プレッシャーがかかればかかるほど、球は真っすぐより飛んだそうです。でも、こんな気持ちは震災を体験する前は一切なかったそうです。お金や物質的なものが幸せだと思ってたのですが、ある日、ゴルフ場で満開の桜を見た時に涙が止まらなかったそうです。

目の前で家が燃え、仲間が亡くなり、目の前で助けることが出来なくて悲鳴だけが耳に残り、もうすべてが終わったと思ったのに、こうやって桜を見ながらゴルフが出来る。もう、本当に感謝で涙が止まらなかったそうです。古市さんは、どんな時にも感謝して上を向いて歩けば奇跡は起こると言い続けています。

「なじだね?新聞」74号掲載

第40号 2023年4月ニュースレターより

「かわいい応援団」

その保育園では近所のスーパーマーケットへ年長組を連れて、仕事見学に出かけていました。
店長さんに、店内をいろいろ案内してもらっていました。
そろそろ帰る頃になりましたが、お昼時だったので、次第に混み合って来ました。
各レジにはお客さんが並び始め長蛇の列になってきました。

その時、店内放送でスタッフを呼ぶ案内が流れました。
「レジの応援をお願いします」
すると、園児の男の子が「頑張って~。 レジの人、頑張って~!」
と応援を始めた。それにつられて、他の園児も応援を始め、大合唱になりました。

最初は、周りの人も笑っていましたが、次第に拍手にかわりました。
子供って素直で純粋ですね。

「なじだね?新聞」73号掲載

第39号 2023年3月ニュースレターより

「★★ ムリの壁を壊す ★★」

多くの人が新しいことに挑戦するとき、簡単に「はい」ということができません。どこかで「自分にはできない」と思っているからです。

人間は小さいころからたくさんの言葉を浴びて、思考回路をつくっていきます。つまり、周りの大人たちの言葉を頼りに考え方をつくっていきます。
いまの若い人たちの多くには、「いったいどんな言葉を聞いてきたんだ」と、言いたくなるほど、「ダメ理論」に筋を通しているのがとてつもなく怖く感じます。

たとえば、水槽に小魚と小魚を主食にする肉食魚を入れ、2匹の間に透明なガラスを入れます。当然、肉食魚は小魚をめがけて泳ぎ出しますが、当然ガラスにぶつかります。それを繰り返していると、いつしか小魚を食べることをあきらめてしまいます。ガラスをはずして、小魚が周りを自由に泳いでいても肉食魚は小魚を食べようとはしなくなります。失敗を繰り返させることにより、心の中に「ムリの壁」をつくってしまうのです。

それでは、肉食魚が小魚を食べることはムリなのでしょうか?いいえ、ひとつだけ方法があります。それは、水槽の中に「ムリの壁」ができていない肉食魚を放り込むのです。喜んでパクパク小魚を食べる仲間を見たとき、「ムリの壁」ができていた肉食魚も恐る恐る食べてみようします。「食べることができるじゃん!」その瞬間、その肉食魚の「ムリの壁」が崩れました。

自分にできた「ムリの壁」を壊す一番効果的な方法は、「オレはできる!」と、その壁を持っていない人と触れることが、何よりの特効薬になります。つまり環境を変えるのです。中でも、付き合う人を変えるのです。愚痴や悪口、過去の失敗に後悔している人。こんな人とは付き合わず、未来や夢を語る人と付き合うのです。「あれをしたらダメ」「これをしたらダメ」「現実で考えなさい」「あんたなんかどうせムリだよ」こんな心ないマイナスの言葉があなたの可能性をダメにしています。「大丈夫。お前ならできる」そんな言葉を浴びると、人は目をキラキラさせるでしょう。「自分にはムリ、出来ない」というセルフイメージを壊しましょう。

「なじだね?新聞」72号掲載

第38号 2023年2月ニュースレターより

「めでたし、めでたし」

めでたしめでたし?2013年度「新聞広告クリエーティブコンテスト」で最優秀賞を獲得したというこの作品には久しぶりに衝撃を受けました。

「めでたし、めでたし?」というタイトルが付けられたこの作品は、博報堂のやまざき博司さんと小畑茜さんによってつくられました。二人のコメントがこちらです。

「ある人にとってしあわせと感じることでも、別の人からみればそう思えないことがあります。反対の立場に立ってみたら。ちょっと長いスパンで考えてみたら。別の時代だったら。どの視点でその対象を捉えるかによって、 しあわせは変わるものだと考えました。そこで、みんなが知っている有名な物語を元に、当たり前に使われる『めでたし、めでたし。』が、異なる視点から見ればそう言えないのでは?ということを表現しました。」

「なじだね?新聞」71号掲載

第37号 2023年1月ニュースレターより

「☆☆☆浜辺の足跡☆☆☆」

ある日、私は夢を見ました。浜辺を神とともに歩いている夢を
海の向こうの大空に、私の今までの人生の光景がはっきりと写し出され
どの光景の前にも、浜辺を歩いている神と私の二組の足跡がありました
最後の光景まで来たときに振り返ってみると、ところどころ足跡が一つしかないことに気づきました
そして、それはいつも私が苦境に落ちて、悲しみに打ちひしがれているときでした
私は、あえて神に尋ねました
「私があなたについていくと言った時、いつも私のそばにいてくださると約束されたのに
どうして、私が一番あなたを必要としているときに、私を見放されたのですか」
神は答えておっしゃいました
「私の大切な愛しい子よ、私は決してあなたのそばを離れたことはない
あなたが見た一つの足跡、それは、苦しみや悲しみに傷ついたあなたを
そっと抱き上げて歩いた私の足跡なのだ」と
ある日、私は夢を見ました
浜辺を神とともに歩いている夢を

*日本人は「お陰様で」という言葉を使います。
ちゃんと、「お蔭様」はあなたのそばに存在するんですね。

「なじだね?新聞」70号掲載

第36号 2022年12月ニュースレターより

「ミラー細胞と佐賀北高校」

相手が「ありがとう」と言ってくれたら、自分も「こちらこそ、ありがとう」という気持ちがわいてくる。そうさせるのが「ミラー細胞」です。

このミラー細胞の働きを実証した実例があります。それは2007年、夏の全国高校野球大会で優勝した佐賀北高校です。佐賀北高校は勉強に熱心な県立高校で、チームも全国から野球のエリートを集めて作ったわけではありません。そんな普通の高校が甲子園で優勝したということで、全国から大きな喝采を浴びました。

驚いたことに、その佐賀北高校、試合中に相手チームをほめるのです。たとえば、相手がカーンとヒットを打ったとします。すると佐賀北の一塁手が、塁に立った相手走者にいうのです。「ナイスバッティング」二塁打を打った相手には、二塁手が「素晴らしいですね」とほめます。一方、打撃に入って三振を取られると、相手のピッチャーに「ナイスピッチング」と声をかけます。普通はこんなことは絶対にしないでしょう。

結局、佐賀北は大会で一度も負けていません。当たり前ですが優勝するということはそういうことです。一方、負けたチームも負けたのは1回きりです。甲子園にはそういうドラマがあります。1回しか負けていなくても、それで終わりなのです。だから負けた方はずいぶん悔しい思いをしたはずです。しかし、佐賀北と対戦して敗れたチームはみな佐賀北のファンになってしまったのです。そして勝つたびに佐賀北は多くの応援者をつけ、県立高校としては11年ぶりの、甲子園全国優勝を果たしたのです。

ミラーの法則ってあるなぁって思います。応援するから応援される・・・感謝するから感謝されるんです。自分が笑顔になれば、相手も笑顔になるんです。

「なじだね?新聞」69号掲載

第35号 2022年11月ニュースレターより

今回はいつもと違い、ちょっといい詩をご紹介しますね。

「悩める人々への銘」

「大きなことを成し遂げるために強さを与えてほしいと神に求めたのに、謙遜を学ぶようにと弱さを授かった」
「偉大なことができるようにと健康を求めたのに、よりよきことをするようにと病気を賜った」
「幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧困を授かった」
「世の人々の称賛を得ようとして力と成功を求めたのに、得意にならないようにと失敗を授かった」
「人生を楽しむためにあらゆるものを求めたのに、あらゆるものを慈しむために人生を授かった」
「求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた私はもっとも豊かに祝福されたのだ」

作者不詳「悩める人々への銘」はニューヨーク大学の壁に掲げられている詩です。南北戦争に従事した南軍の兵士が作ったものと言われています。1950年代、スティーブンソンは52年56年の大統領選に民主党候補として出馬して二度ともアイゼンハワーに敗北した。失意のさなか田舎の教会でスティーブンソンはこの詩を見つけこの珠玉の言葉によって思慮深い人間に立ち直ったそうです。

「なじだね?新聞」68号掲載

第34号 2022年10月ニュースレターより

素敵な誕生日プレゼント

お父さんを事故で亡くした小学校5年生のK君はお母さんと小さなアパートで二人暮らしをしています。正直、生活は苦しく、お母さんは幾つものパートを掛け持ちしているため、K君が寝たころに家に帰ってきます。なかなかK君と話をする時間がないため、いつも「学校でいじめられていないか?」「友達はいるのか?」などを心配していました。

そんなある日、K君の友達が「今日はお母さんの誕生日だから、お小遣いでプレゼントを買うんだ」と言っていました。K君は「僕のお母さんの誕生日は来週だから、何をプレゼントするか考えているんだ」と言いました。しかし、生活が厳しいためK君は、プレゼントを買えるほどのお小遣いはもらっていませんでした。「何をプレゼントしたらいいんだろう?」と悩んでいました。悩んだ末、 担任の先生に相談したところ、あるヒントをもらいK君は嬉しくなりました。

誕生日当日、お母さんが帰宅すると、いつもなら寝ている時間なのに、K君は起きていました。「K君こんな時間までどうしたの?」と尋ねると、「お母さんにプレゼントがあるんだ、そこに座って」とリビングのテーブルへ誘いました。テーブルに座ってから彼は一言「お誕生日おめでとう、今日僕の一日を話します」と言って、家を出てからの事、学校での出来事、友達との会話、通学路の事などなど、1時間以上話し続けました。その間、お母さんは「ウンウン」と涙を浮かべながら、話を聞き続けました。

最後にお母さんは、K君を抱きしめ号泣しながら「素敵なプレゼントをありがとう」と言って、久しぶりに同じ布団で寝ました。翌朝、K君の笑顔を見た先生はすべてを察し、無言でハイタッチをしました。先生は保護者面談で、お母さんが、K君と話をする時間が無いことを心配していると教えただけでした。

「なじだね?新聞」67号掲載

第33号 2022年9月ニュースレターより

この話は以前、「なじだね?新聞45号」に掲載したお話ですが、実は五日市様の講演会を聞いた方の実話ですので、再度、掲載させて頂きました。

「習慣を変えると運命が変わる」

ある主婦の体験談です。

私は、いろんなことが積み重なり、不幸のどん底の人生でした。夫の借金。毎日のケンカ。子どもはグレる。何で自分ばかりがこんな不幸になるんだろう、と思っていました。

そんな時、ある方の講演会に行ったのです。なぜ自分ばかりが不幸になってしまうのか。その答えがみつかったのです。それが、言葉だったんです。自分の使う言葉が悪かったんです。毎日イライラして、独り言も愚痴やため息ばかり。不幸になる汚い言葉ばかり使っていました。

『心の持ち方も大事だけど、もっと大事なのは、言葉の使い方。どんな言葉を口にだすかで、あなたの目の前の状況が変わってくるし、あなたの心も変わってくる。いいことがあったら“感謝します”悪いことがあったら“ありがとう”思うだけではなく口にだすこと。よい言葉はまわりの多くの人を幸せにし、やがて自分自身も幸せになる。口にだした言葉どおりの人生が起こる。』

その日から、とにかく言葉を意識しました。夫がイライラしていても、ありがとう。子どものことで警察に呼び出されても、ありがとう。とにかく、「ありがとう」を口にだしました。それから、本当に奇跡が起こったんです。夫ともケンカをしなくなり、仕事もしていなかった夫が、働くようになりました。

今は、借金もすべて返し、うそのように夫婦仲が良くなりました。息子も立ち直り、大学受験をがんばっています。すべては、ある方のおかげです。今では、魔法の言葉が私たち家族の大切な習慣になっています。

「なじだね?新聞」45号掲載

第32号 2022年8月ニュースレターより

「奇跡のリンゴ」

リンゴを無農薬で育てる。それは不可能だといわれ、世界広しといえども、成功できたものは誰一人いなかった。しかし、それに挑戦した男がいたのです。木村秋則。

だが、現実は甘くない。10年間、一心不乱に研究しても、成功しなかった。あるとき、木村さんは、小学生になった娘さんの作文を読んでしまう。「わたしのおとうさんはリンゴ農家です。 でも、わたしは生まれてから、リンゴを一度も食べた事がありません」リンゴ農家だけど、10年間リンゴがひとつも実ってないからだ。木村さんは、子供にエンピツを買ってあげることもできず、子供たちは小さくなったエンピツをセロテープで3つつなげて使っていた。

農薬のかわりに酢を散布してみる。わさびを散布してみる。配合の仕方だけでも何万種類と試した。ありとあらゆるものを、ありとあらゆる配合でやってみる。しかし、そのすべての実験は失敗した。

もうムリだ……。木村さんは、あきらめると家族の前で宣言したときに、小学生の娘さんが怒鳴った。「なんのために……なんのために……なんのために、 わたしたち、これまで貧乏を我慢してきたと思うの!?あきらめるなーーーーー!!!!!!!!!!!!!」

そうか。そうだ。いま、ここでオレがあきらめることは人類があきらめることになる。この先の過程がまたすごいドラマがあるのだけど、木村さんは、無農薬のリンゴ栽培に成功します。

*昔、パナソニックの創業者 松下幸之助氏がインタビューで答えています。
成功の秘密はと聞かれた松下氏はこう答えました。「成功するまでやり続ける」と。

「なじだね?新聞」65号掲載

第31号 2022年7月ニュースレターより

「一休さんの残した言葉」

テレビマンガで有名になった室町時代の禅僧・一休さんのお話です。一休さんは、亡くなる時に弟子たちに、遺言状を残して亡くなりました。当時としてはかなり長寿の88歳でした。
「この先、ほんとうに困ることがあったら、これを開けなさい」と言い遺しました。

何年かたって、寺に大変な難問題が持ち上り、どうしようもないので、弟子たちが集まって、その封書を開いてみると、そこには「大丈夫、心配するな、なんとかなる」と書いてありました。とたんに弟子たち一同、大笑いの内に落ちつきと勇気と明るさを取り戻し、難しい問題を解決できた、という話です。

緊張しすぎや、不安感や、心配で心の中がいっぱいの状態では、良い答えも行動する勇気も湧いていきません。「大丈夫、心配するな、なんとかなる」という、楽観主義に支えられた積極性を心に常駐させる工夫が、成功、健康、富、愛情などを手にする黄金のカギであるのはまちがいないようです。

さすがの一休も、「平常心でいられない」、「楽しめない」、「ばく然とした不安がある」、「焦りを感じる」、「なんとなく無気力で元気がない」等々、人生の苦しみ、悩みにさいなまれた時期がありました。けれども『不思善悪(ふしぜんなく)』、もの事の善し悪しに、あまり厳しくこだわり過ぎない、ありのままをありのままに見てしまう、常に気を楽にするという事を悟ったようです。

スポーツも仕事も日常生活も、少し力を抜いて、楽しみながら過ごす事が寛容ですね。そして後は天に任せるくらいの気持ちの方が気楽になりそうです。

「なじだね?新聞」64号掲載

第30号 2022年6月ニュースレターより

「スラム街の奇跡」

ある大学で社会学を学ぶ学生たちが、ボルチモアのスラム街に住む少年200人を対象に、ひとりひとりの家庭環境と生い立ちを調査しました。そしてこの調査結果をもとに少年たちの将来性についてのレポートを作成しました。するとどの学生も、これらの少年たちには何の将来も期待できないだろうと書いたのでした。

それから25年後のこと、ある社会学の教授がこのときの調査結果を見つけ、当時の少年たちがその後どうなったか学生に調べさせました。ところが、引っ越したり、死亡した20人を除いた180人のうち、何と176人が弁護士や医者、またはビジネスマンとして人並み以上の成功をおさめていることがわかったのです。

教授はこの報告に大変驚くと共に、興味をそそられ、さらに詳しく調べることにしました。幸い、調査対象になった人たちはまだその地域に住んでいたので、教授は自らひとりひとりに会いに出かけ、こう質問したのです。「あなたを成功に導いたものは何だったのですか?」すると、誰もが感慨をこめて、ある先生の名前を挙げたのでした。

教授はまだ健在だというその女の先生にぜひ会いたいと思い、訪ねていきました。そして、年はとっていても、しゃんとしたその先生に、こう尋ねたのです。
「スラム街からあんなに大勢の成功者が出るなんて驚きました。あなたは、一体どんな魔法を使ったんです?」

その先生はパッと顔を輝かせ、口元に微笑を浮かべると、こう答えたのでした。
「とても簡単なことです。私は生徒達を愛したのです」

「なじだね?新聞」63号掲載

第29号 2022年5月ニュースレターより

「10円の価値」

今から約40年前の話です。Y君は軽度の知的障害がありましたが、親御さんの希望で小学校は普通学級に通っていました。私が担任になった時は、幸いにもいじめもなく、周囲の子供達も普通に接してくれていました。ある日、算数の時間に、お金の事を学ぶ授業がありました。

1円玉・5円玉・10円玉・50円玉・100円玉を使って、どの硬貨に価値があるのかを硬貨を並べてグループ毎に発表する事になりました。Y君のグループは Y君が代表で出てきました。内心不安を覚えましたが、彼は前に出てきて紙で作った硬貨の絵を並べ始めました。しかし、彼は1円・5円・50円・100円・10円の順番で並べました。ほかの生徒は正しい順序で並べました。

Y君に「それでいい?」と何度も聞いても「うん」と頷くだけでした。そこで、彼のグループの子供たちに聞きました。そうすると、一人の子が「Y君の答えは間違っているけど、彼にとっては10円が一番大事なんです」という意外な言葉が返ってきました。詳しい話を放課後にグループの子供たちに聞きました。

実は彼の家は裕福でないため、固定電話がありませんでした。だから学校から帰る時に、毎日のように学校近くの駄菓子屋で、大好きなおばあちゃんの家に電話をするのが、習慣だったのです。学校へ来るときにはお母さんから10円玉をもらい、いつも大事そうに握って学校へ来るそうです。それを同級生は知っていたのです。100円玉では公衆電話が使えません。

彼にとって、100円玉以上に、電話が使える10円玉の方がどれほどの価値があるのかを子供たちから教えられた授業でした。

それ以来、私は転任しても、この話を生徒たちに話をしています。

「なじだね?新聞」62号掲載

第28号 2022年4月ニュースレターより

「叶っていた願い」

4歳になる息子が、手がかかるようになり、しだいに育児ノイローゼ気味になってきたので、相談員の方に話を聞いてもらう事にしました。私はひとしきり息子の現状を話しました。その間、相談員の方は、うなずくだけで、ずっと話を聞いてくれました。私の話を聞くと、その方は最近あった話をしてくださいました。

やっとの思いで授かった赤ちゃんは高齢出産でもあったため、出産間近で亡くなり、死産になってしまいました。皮肉なもので、死産でもお母さんのオッパイは母乳が出始めるのだそうです。そのお母さんは「明日にはこの子のお葬式を出す手配をしなくてはならないので、この子と一晩過ごしてもいいですか?」と聞いたそうです。翌朝、お母さんは出始めたばかりの母乳を赤ちゃんにあげていたそうです。おそらくこのお母さんにとって、子供を授かる、最後のチャンスだったと思いますよ。

その話をしてくださった後、相談員の方にこう聞かれました。「あなたやご主人はお子さんの出産の時に、お子さんに対してどう思いましたか?」私は「当然、無事に元気で生まれますようにと願いました。」そこで、私は「はっ!」と気が付きました。その様子に気が付いた相談員さんが言いました。

「そうなんですよ、お子さんは元気に生まれましたよね、死産の方はそれすら叶わなかったのです。あなたの願いは叶っているんですよ、これ以上の喜びはないのではないですか」と。

「人は一つの悩みが解決すると、また別の欲求がでてきます、そして悩み続けます。おそらくご自身が亡くなるまでお子さんの事で悩み続けなくてはなりません。すこし、肩の力を抜いてはどうですか?」私はそれ以来、多少の事では悩まなくなりました。

「なじだね?新聞」61号掲載

第27号 2022年3月ニュースレターより

「世界を変えるためには」

20XX年天才物理学者のランガーは偶然、タイムマシンを発明した。しかしそのタイムマシンには理論上の欠点が2つあった。1つ目は“未来”へ行けない事である。つまり、一度過去へ行ってしまうと、“未来”つまり現代に戻れないのである。2つ目は動力にレアメタルを使用するため、タイムスリップは3回が限界であった。

ランガーは過去へ行くかどうか、さらに、タイムスリップが成功するかどうかもわからない。しかし、現在の荒廃し、戦争に明け暮れる世界を変えるには過去へ行き、未来つまり現在を変えるしかないと、タイムスリップを決意した。

しかし、チャンスは3回しかなかった。どう、この3回を使うかどうか悩んだあげくプランを立てた。1回目の移動では、妹のミッシェルが亡くなった30年前に行くと決めた。当時は不治の病だったが、今では特効薬ができている。自分が過去へ行ってしまうと、母親が一人になってしまうので、自分の代わりに妹を残そうと考えたのである。残りのタイムスリップでは過去に大きな戦争の原因となった、某国の首謀者の暗殺を考えていた。

1回目のタイムスリップで無事妹の命を救ったランガーは、不運にも病気になり、過去へ行けなくなってしまった。悩んだあげく、親しくなった夫婦(ジョシュアとテレサ)に、自分の素性や計画を話し、「誰か代わりに行ってくれそうな人はいないか?」と相談した。数日後、意外な答えが二人から帰ってきた。

「あなたの計画のように暗殺をして世界を変えようとしても、一時的には良くなるが長続きはしないと思う。別の方法があるので、どうか私たち夫婦に行かせてもらえないか」と申し出があった。ランガーは二人の計画を聞き承諾をした。数日後、夫婦は過去へ旅立った。奥さんがマザーテレサ、ご主人がイエス・キリストになり世界に“愛と言う概念”を広めた事をしらずにランガーは亡くなった。

*あなたが過去へ行けるとしたら、人類や世界のために何をしたいですか?

「なじだね?新聞」60号掲載

第26号 2022年2月ニュースレターより

“特攻の母”と言われた鳥濱トメさんのお話をご紹介致します。
鳥濱トメさんは祖国を護るため、知覧から飛び立っていった若き特攻隊員たちに捧げ尽くされた人生を送られました。

19歳の中島豊蔵さん。中島さんは右手を骨折していたため、なかなか出撃の許可が下りませんでした。しかし、いま行かなければ日本は負けてしまう。その並々ならぬ思いで司令部に掛け合い、ついに許可が出たのです。出撃前夜、トメは骨折で長くお風呂に入れなかった、中島さんのために、せめて最後にこの子の背中を流そうと、お風呂に入れてあげました。

ああ、この子ももういなくなるのか……。そう思うと、トメの目に涙が溢れました。
しかし、涙を見せてしまうと、中島さんの決意を鈍らせてしまう。心を掻き乱してしまう。

トメは涙を堪えるため、とっさに身をかがめました。
「お母さん、どうしたんですか?」
「いや、お腹が痛くなって……」そう誤魔化すと、中島さんは、
「それなら、僕たちを見送らなくていいですよ。お母さんは自分の養生をなさってください」

明日飛び立つ自分の身よりも、とっさについたトメの嘘にまで優しい心をかけてくれる。
そんな中島さんは翌朝、折れた右腕を自転車のチューブで操縦桿に括りつけ出撃していったのです。

「なじだね?新聞」59 号掲載

第25号 2022年1月ニュースレターより

「プレゼント」

次のような銀行があると、考えてみましょう。その銀行は、毎朝あなたの口座へ86,400円を振り込んでくれます。同時に、その口座の残高は毎日ゼロになります。つまり、86,400円の中で、あなたがその日に使い切らなかった金額はすべて消されてしまいます。あなただったらどうしますか?もちろん、毎日86,400円全額を引き出しますよね。

私たちは一人一人が同じような銀行を持っています。それは時間です。毎朝、あなたに86,400秒が与えられます。毎晩、あなたが上手く使い切らなかった時間は消されてしまいます。それは、翌日に繰り越しされません。それは貸し越しできません。

毎日、あなたの為に新しい口座が開かれます。そして、毎晩、その日の残りは燃やされてしまいます。もし、あなたがその日の預金を全て使い切らなければ、あなたはそれを失ったことになります。過去にさかのぼることはできません。あなたは今日与えられた預金のなかから今を生きないといけません。だから、与えられた時間に最大限の投資をしましょう。そして、そこから健康、幸せ、成功のために最大の物を引き出しましょう。時計の針は走り続けてます。今という日に最大限の物を作り出しましょう。だから、英語では今をプレゼント(=present)と言います。

1年の価値を理解するには、落第した学生に聞いてみるといいでしょう。
1ヶ月の価値を理解するには、未熟児を産んだ母親に聞いてみるといいでしょう。
1週間の価値を理解するには、週刊新聞の編集者に聞いてみるといいでしょう。
1時間の価値を理解するには、待ち合わせをしている恋人たちに聞いてみるといいでしょう。
1分の価値を理解するには、電車をちょうど乗り過ごした人に聞いてみるといいでしょう。
1秒の価値を理解するには、たった今、事故を避けることができた人に聞いてみるといいでしょう。
10分の1秒の価値を理解するためには、オリンピックで銀メダルに終わってしまった人に聞いてみるといいでしょう。

「なじだね?新聞」58号掲載

第24号 2021年12月ニュースレターより

―2回目の卒園式―

卒園式は幼稚園の最大行事であり、毎年3月に一回だけ行うものですが、平成17年には2回挙行しました。この年はインフルエンザが大流行し、皆勤賞をもらえるのはT君一人でした。
T君は3年間、雨の日も風の日も、無遅刻、無欠席を続けていたのです。

ところが、卒園式の一週間前にT君のお母さんから電話がかかってきました。「先生、大変です。うちの子、インフルエンザになってしまいました。病院の先生が登園したらダメだって・・・」式を延期するわけにいかず、結局T君欠席のまま卒園式は挙行されました。

その翌日のことです。PTA会長さんが「お話があります」と来園され「私たちの子は無事に卒園させてもらって嬉しかったんですけど、あれだけ頑張ったT君が式に出られなかったことを思うと可哀想で・・・何とかもういっぺん卒園式をやってもらえませんか」
私は一瞬戸惑いましたが、先生たちに話すと即座に「やりましょう」の声。

私も意を決し、会長さんにその旨を伝えると「ありがとうございます。飾りつけも全部私たちでやります。ただ、このことをT君のお母さんには言わないでください」実はT君のところは立派なご家庭だったのですが、事情があって家庭内が冷えており、そんな中、唯一の明るい話題が、T君の無遅刻、無欠席だったのです。

いよいよ修了証書を受け取りに来る日が決まり、お母さん方はその日の朝早くから会場の飾りつけをし、花道をつくり、外から見えないように黒いカーテンを張り巡らせます。卒園児も皆、席に座り、準備は整いました。10時過ぎにお母さんがT君を連れて登園されました。担任の先生は「こちらへどうぞ」と、ホールへ案内します。

職員室で修了証書をもらうだけと思われていたお母さんは、怪訝な顔をしながらホールに向かいました。そして二人が会場に入ると同時に幕が開き、割れんばかりの拍手が会場内に響きわたりました。二人は驚きのあまり棒立ちになり、次の瞬間、お母さんは声を上げて、泣き崩れました。迎える親御さんも涙され、2回目の卒園式は終始温かな雰囲気の中、滞りなく行われました。後日T君のお母さんから届いた手紙には、「卒業式はこれから何度も訪れるでしょうが、ずっとずっと忘れられない息子と私の宝物です」と・・・

「なじだね?新聞」57号掲載

第23号 2021年11月ニュースレターより

『ある学校の先生が生徒に伝えた話です。』

もし、現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう。

その村には・・・57人のアジア人、21人のヨーロッパ人、14人の南北アメリカ人、8人のアフリカ人がいます。52人が女性です。48人が男性です。70人が有色人種で、30人が白人。70人がキリスト教以外の人で、30人がキリスト教。89人が異性愛者で、11人が同性愛者。6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍。80人は標準以下の居住環境に住み、70人は文字が読めません。
50人は栄養失調に苦しみ、1人が瀕死の状態にあり、1人はいま、生まれようとしています。1人は(そうたった1人)は大学の教育を受け、そしてたった1人だけがコンピューターを所有しています。

もしこのように、縮小された全体図から私達の世界を見るなら、相手をあるがままに受け入れること、自分と違う人を理解すること、そして、そういう事実を知るための教育がいかに必要かは火をみるよりあきらかです。また、次のような視点からもじっくり考えてみましょう。

もし、あなたが今朝、目が覚めた時、病気でなく健康だなと感じることができたなら・・・あなたは今生き残ることのできないであろう100万人の人達より恵まれています。
もしあなたが戦いの危険や、投獄される孤独や苦悩、あるいは飢えの悲痛を一度も体験したことがないのなら・・・あなたは世界の5億人の人達より恵まれています。
もしあなたがしつこく苦しめられることや、逮捕、拷問または死の恐怖を感じることなしに教会のミサに行くことができるなら・・・あなたは世界の30億人の人達より恵まれています。
もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上に屋根があり、寝る場所があるのなら・・・あなたは世界の75%の人達より裕福で恵まれています。
もし銀行に預金があり、お財布にお金があり、家のどこかに小銭が入った入れ物があるなら・・・あなたはこの世界の中でもっとも裕福な上位8%のうちの一人です。
もしあなたの両親がともに健在で、そして二人がまだ一緒なら・・・それはとても稀なことです。

もしこのメッセージを読むことができるなら、あなたはこの瞬間二倍の祝福をうけるでしょう。なぜならあなたの事を思ってこれを伝えている誰かがいて、その上あなたはまったく文字の読めない世界中の20億の人々よりずっと恵まれているからです。

昔の人がこう言いました。わが身から出るものはいずれ我が身に戻り来る、と。お金に執着することなく、喜んで働きましょう。かつて一度も傷ついたことがないかのごとく、人を愛しましょう。 誰もみていないかのごとく自由に踊りましょう。 誰も聞いていないかのごとくのびやかに歌いましょう。あたかもここが地上の天国であるかのように生きていきましょう。誰かが言いました。日本に生まれるだけで幸せだと。

第22号 2021年10月ニュースレターより

「病気の見方」

毎年1月1日に東西南北、四方向に向かってこう祈っている方がいます。
「もし今年、日本に災いが降ってくるのであれば、まず私の体を通してからにしてください」
この祈りは、入退院をくりかえしていた心理学者の小林正観さんの心を強烈に揺さぶりました。毎年1月1日に、今年、日本に災いが降ってくるのであれば、わたしの体に集めて下さいと祈っている人がこの日本に存在するのです。いったい誰でしょう?

それは「天皇陛下」です。

正観先生は、人間の魂はここまで崇高で美しくなれるものなのかと絶句したそうです。
正観先生はこう語っています。「天皇が東日本大震災の被災地の避難所に行って膝をついておっしゃった、『大変でしたね』というひと言は、単なるねぎらいとか、励ましの言葉とは違うのだというように私には見えました。言ってみれば、それは申し訳なさではないかと思うのです。
自分の体で支えきれなかった申し訳なさが、天皇の中にあるんだということが見てとれました」

以来、正観先生の頭の中で、猛烈なスピードで交通整理が始まったそうです。そして1年後、病気に対する思いが変わったのです。「私の周りには素敵な友人が数百人集まっています。その一人ひとりの顔や体を思い出して、この人たちの一部の災いを自分が担ってもいいなと思えるようになってきたのです」

正観先生は、3年の間に6回入院し、6回奇跡の生還を果たしました。医師や看護師さかんからも無事退院できたのは幸運だと言われました。でも、正観先生は、それは妻のおかげだと思えました。実は、それまで30年ずっと健康だった奥様も同じタイミングで発病していたんです。同じ時期に発病した妻が自分の病気の一部を担ってくれていたおかげだったんだと思えたからです。

第21号 2021年9月ニュースレターより

目標をたてている人も多いと思いますが、そんな人へ贈るメッセージです
「薩摩の男の順序」

一、何かに挑戦し、成功した人
二、何かに挑戦し、失敗した人
三、自分では挑戦していないが、挑戦する人を手助けした人
四、何もしない人
五、何もしないが、他人の批判だけをする人

男の価値はこのように決まるそうです。「何もせず、他人の批判だけをする人」は一番下に位置付けられています。何もしないより、「何かに挑戦し、失敗した人」のほうが価値があるという点が多くの人々の共感を呼んでいるのかもしれません。

*アメリカで90歳以上を対象に、ある調査が行われました。
その調査内容とは、死を目前にし、人生を振り返ってみて、
心残りはありますか?というような質問です。

その結果、なんと90%の人が同じような回答をしたのです。
その回答とは、
「もっと冒険をしておけばよかった」と。

実は「やって失敗する後悔より、トライしなかった後悔」の方が大きいそうですよ。
どんどんチャレンジしましょうね。

「なじだね?新聞」53号より

第20号 2021年8月ニュースレターより

元大リーガーのイチロー選手の小学校の時の作文です。

僕の夢は一流のプロ野球選手になることです。そのためには、中学、高校と全国大会にでて活躍しなければなりません。活躍できるようになるためには練習が必要です。僕は3才の時から練習を始めています。3才から7才までは半年くらいやっていましたが、3年生の時から今までは、365日中360日は、激しい練習をしています。だから1週間中で友達と遊べる時間は5~6時間です。

そんなに練習をやっているのだから、必ずプロ野球選手になれると思います。
そして中学、高校と活躍して高校を卒業してからプロ野球選手になれると思います。そしてその球団は、中日ドラゴンズか、西部ライオンズです。ドラフト入団で、契約金は、1億円以上が目標です。僕が自信のあるのが投手か打撃です。

去年の夏、僕たちは全国大会にいきました。そして、ほとんどの投手を見てきましたが、自分が大会ナンバーワン選手と確信でき、打撃では県大会4試合のうちホームランを3本打ちました。そして、全体を通した打率は、5割8分3厘でした。このように自分でも納得のいく成績でした。そして僕たちは1年間負け知らずで野球ができました。だから、この調子でこれからも頑張ります。

そして、僕が一流選手になって試合に出られるようになったら、お世話になった人に招待状を配って応援してもらうのも夢の一つです。とにかく一番大きな夢はプロ野球選手になることです。

*頑張るとか、努力をすると簡単にいえますが、本当の努力や頑張りとは「誰でもできるようなことを、誰もできないくらい続ける事」だそうです。皆さんはいかがですか?

「なじだね?新聞」52号より

第19号 2021年7月ニュースレターより

「将来の夢」

ぼくは大人になったら世界一のサッカー選手になりたいと言うよりなる。
世界一になるには世界一練習しないとダメだ。だから今ぼくはガンバっている。今はヘタだけれどガンバって必ず世界一になる。
そして世界一になったら大金持ちになって親孝行する。
Wカップで有名になってぼくは外国から呼ばれてヨーロッパのセリエAに入団します。そしてレギュラーになって10番で活躍します。一年間の給料は40億円はほしいです。プーマとけいやくしてスパイクやジャンバーを作り世界中の人がこの僕が作ったスパイクやジャンバーを買って行ってくれることを夢みている。
一方世界中のみんなが注目し世界中で一番さわぐ4年に一度のWカップに出場します。セリエAで活躍しているぼくは日本に帰りミーティングをし10番をもらってチームの看板です。ブラジルと決勝戦をし2対1でブラジルを破りたいです。この得点も兄と力を合わせ世界の競ごうをうまくかわしいいパスをだし合って得点を入れることがぼくの夢です。

本田圭佑

*これはサッカー選手の本田圭佑さんの卒業文集に書かれた作文です。半分は現実になっていますね。まさに有言実行です。(ワールドカップは残念な結果でしたが・・・)
私(院長)は小さな夢ですが、紙に書いていたら、昨年、3個も叶いました。頭で考えるだけでなく紙に書くと夢が叶いやすくなるって本当だと思いますよ。是非、実行してみてください。

「なじだね?新聞」51号より

第18号 2021年6月ニュースレターより

「ベストセラーの誕生秘話」

私が彼と出会ったのはもう25年前でした。その当時住んでいた、英国へ向かう飛行機でたまたま隣に座っていたのがアメリカの大学生の彼でした。なんとなく気になり話しかけました。日本にも半年間滞在したこともあるとのことで、話が弾みました。彼は私が貸したボールペンを次々になくす、おっちょこちょいなところが気に入ってしまいました。その場で連絡先を交換し空港で別れました。

その数日後、私の家に泊めて欲しいと連絡がありました。友人を訪ねて約束なしの訪問をしたところ留守だったとの事。困り果てた彼は、一度しか面識がない私に連絡をして来たのです。その後私の夫も巻き込んでの付き合いが始まりました。

彼はいつもまじめなのに、どこかおかしい。大学卒業後、弁護士になり、結婚して二児の父親になったのに、いきなり「画家になる」と方向転換。驚いて久々に会いに行くと彼が家族で楽しんでいるというある本を手渡してくれました。彼は「この本を日本語に翻訳しては?」と言ってきたのです。

熱心な彼に促され、なんとたった2か月で版権を手に入れました。挿絵は彼が担当、彼は「一緒に仕事ができるなんて最高」と大喜びで作品を仕上げてくれました。

彼の描くパステル画は色彩が美しく、優しい人柄そのままだった。25年前の隣に座った彼に話しかけなければ、私は壁に突き当たったままだったかもしれない。魔法のような出会いに感謝しています。
まさにチャンスは常に目の前を通り過ぎているというのを実感しました。
その彼が翻訳を勧めてくれた本が世界的ベストセラーの「ハリー・ポッター」でした。

「なじだね?新聞」50号掲載

第17号 2021年5月ニュースレターより

「1個のコロッケ」

Bさんは日曜日に家族が出かけたため、彼は久しぶりに一人、家でのんびり過ごしていました。

お昼時になり、昼食を買いに近所のスーパーへ出かけました。何を食べようかとお惣菜売り場で悩んでいるとコロッケや唐揚げ、焼き鳥などが並んでいるワゴンが少し離れたところにあるのに気が付きました。

そのワゴンを何気なく見ていると、赤ちゃんを抱いた若い夫婦がコロッケを選んでいました。

お母さんがコロッケをトングでつかんで、ビニール袋へ入れようとした途端、コロッケが床に落ちてしまいました。彼は「この後、夫婦はどうするのだろう?」と見ていました。その母親はコロッケを拾い、そのままワゴンの隅っこに乗せてしまいました。それを見ていたご主人も、注意もせずに、そのまま夫婦は別のコロッケを買ってレジへ向かいました。それを見ていた彼は、事情を説明するために、店員を探しに行こうとしたら、別の年輩の女性がワゴンでコロッケを買い始めました。

その女性は、なんと落ちたコロッケを真っ先にビニール袋に入れました。その後、別のビニール袋を取り、コロッケを入れ始めました。「彼女も見ていたんだ」と彼は気が付きました。

彼女はそのまま、レジに向かい、その落ちたコロッケも一緒に会計を済ませていました。
その勇気ある行動に嬉しくなり、彼はコロッケをいつもより多めに買って帰りました。

*皆さんだったら、こんな時、どうされますか?

「なじだね?新聞」49 号掲載

第16号 2021年4月ニュースレターより

「もう一つの“永遠の0(ゼロ)”」
ー最後まで優しいお兄ちゃんー

彼はいつも飛行訓練の時には、コックピットにかわいい女の子の人形をぶら下げていました。その人形は、彼の9歳年下の妹からもらったものなので、いつも妹のように大切にしていました。兄妹には両親がいないため、妹は親戚の家に預けられ、肩身の狭い思いをしていた。そんな妹を気遣い、給料にはほとんど手を付けず、彼女のために貯金をしていたそうです。
出撃の命令が下ったその日、彼は整備士の私の所へ来て、手紙と通帳、印鑑を持ってきて、「私が出撃した後、妹に届けてください」と託されました。「妹にはこのお金で、将来のために進学する費用にするように伝えてください」と伝言も頼まれました。

いよいよ出撃の日、整備を終えた彼のコックピットにはなぜか人形がありませんでした。不思議に思いながらも、兵士を見送る時間になりました。私たちに向かって敬礼を終えた彼が、飛行機に向かって振り返り、歩き出した時に、彼の背中に、妹さんの人形が揺れていました。
後で別の整備士から聞いた話ですが、敵艦に激突する際に“妹が怖がらないように”という配慮だったそうです。

私はその話を聞き、号泣しました。その後、預かった通帳、印鑑、手紙を妹さんへ届け、その話を伝えました。
終戦を迎えたのは、その数か月後でした。もう少し終戦が早ければ・・・・今でも悔やまれて仕方がありません。

「なじだね?新聞 47 号掲載」

第15号 2021年3月ニュースレターより

「ある児童施設でのお話」

その施設で働く寮母さんが50歳を過ぎ、老眼鏡を必要とするわが身にショックを受けていました。自分も「歳を取ったな」とがっかりしたけど、こればっかりはどうしょうもない。
仕方なく老眼鏡をかけ、子供たちの服を繕っていました。

ある日のこと、施設の子どもが声をかけてきました。
「先生、眼鏡かけているの?」
寮母さんは恥ずかしさと腹立たしさから、「老眼鏡さ」と言い放ちました。
すると、子供は意外な返事をしました。
「よかったね」
「おめでとう」
寮母さんが「何がよかったの?」「どうしておめでとうなの?」
と聞き返すと、その子はこう答えたそうです。
「老眼鏡をかけられるまで生きられてよかったね」

その施設で暮らす子供達は、成人するまで生きるのが難しい障害を負った子供達ばかりでした。
*ある方の習慣です。目が覚めたらまずは「生きていることに感謝」するそうです。

「なじだね?新聞 46 号掲載」

第14号 2021年2月ニュースレターより

―習慣を変えると運命が変わる―

ある主婦の体験談です。

私は、いろんなことが積み重なり、不幸のどん底の人生でした。夫の借金。毎日のケンカ。子どもはグレる。何で自分ばかりがこんな不幸になるんだろう、と思っていました。

そんな時、ある方の講演会に行ったのです。なぜ自分ばかりが不幸になってしまうのか。その答えがみつかったのです。それが、言葉だったんです。自分の使う言葉が悪かったんです。毎日イライラして、独り言も愚痴やため息ばかり。不幸になる汚い言葉ばかり使っていました。

『心の持ち方も大事だけど、もっと大事なのは、言葉の使い方。どんな言葉を口にだすかで、あなたの目の前の状況が変わってくるし、あなたの心も変わってくる。いいことがあったら“感謝します”悪いことがあったら“ありがとう”思うだけではなく口にだすこと。よい言葉はまわりの多くの人を幸せにし、やがて自分自身も幸せになる。口にだした言葉どおりの人生が起こる。』

その日から、とにかく言葉を意識しました。夫がイライラしていても、ありがとう。子どものことで警察に呼び出されても、ありがとう。とにかく、「ありがとう」を口にだしました。それから、本当に奇跡が起こったんです。夫ともケンカをしなくなり、仕事もしていなかった夫が、働くようになりました。

今は、借金もすべて返し、うそのように夫婦仲が良くなりました。息子も立ち直り、大学受験をがんばっています。すべては、ある方のおかげです。今では、魔法の言葉が私たち家族の大切な習慣になっています。

「なじだね?新聞」45号掲載

第13号 2021年1月ニュースレターより

このコーナーでおなじみになった、「キングカズのかっこいいお話」

Jリーグが始まった年だから、もう何年前になるんだろう。名古屋の栄の焼き肉屋へ、家族で行ったときのこと。座敷席にカズさんと北沢選手と、数人の女の子がいた。多分遠征中だったのだろう。

当時高校生の俺の小学校三年の弟は、サッカーをやっていた。せっかくだからと、尻込みする弟をカズさんの前へ連れて行き、「お楽しみのところすいませんが弟がサッカーやっているんで、何か言葉をいただけると励みになるんですが。」と厚かましく、言った。カズさんは、「お、サッカー少年か」と楽しそうに言いながら、座敷席の奥からわざわざ立ってこちらへ来てしゃがみ込み、弟と目線を同じ高さにした。

「サッカー少年は勉強がよくできるか?」と、いきなりキングは弟に聞いた。 弟の成績はそれなりによい。弟はうん、と答えた。 するとキングは「頭のいいやつは、トップ下MFがあってる」と、カリオカ、ラモスの名前を挙げた。

さらに何かを言おうとするキングに、連れの女の子が、ねえまだーと露骨にいやそうな顔をし た。カズは、振り返って一言言った。表情は向こう向きだったから、わからなかったが、多分厳しい顔をしていたのだろう。

「うるさい。俺たちは今サッカーの話をしているんだ」と一喝し、弟にいろいろアドバイスをくれました。それ以来、カズさんの大ファンになったのは、もちろんのことです。

「心のスイッチ 44号掲載」

第12号 2020年12月ニュースレターより

―「幸せ」と「不幸」との距離―

『幸福』の反対は、『不幸』だということになりますが、この2つの距離は、どれだけ離れているのでしょうか。ここに、ひとりの「不幸の町」の住人がいるとします。

彼は、自分が住んでいるところがイヤでイヤで溜まりません。太陽が昇るとまぶしいし、夜は暗くなって怖いのです。晴れの日は、暑くて汗をかいて不快だし、雨が降れば降ったで、濡れるのがうっとうしく思えます。夏はうんざりするほど暑いし、冬は豪雪で寒くてやりきれない。こんなところに住んでいるから、いつまでたっても不幸なんだと思っています。春と秋の、ちょうどいい気候の頃なんて、すぐに過ぎていってしまいます。

それに、仕事は忙しくて疲れるし、家に帰れば、狭いところに家族がひしめいていて、うるさくて心の休まるときもありません。一生懸命に仕事をしても誰も認めてくれないし、家族のためにがんばっても、感謝のひとつもされたことがない。彼は、自分がこんな町に生まれてしまったことを嘆いています。これは自分ではどうすることもできないのだとあきらめ、ただツイていないことを恨んでいるのです。

さて今度は、「幸福の町」に住んでいる人をご紹介しましょう。彼は、自分が、この町に生まれてきたことに感謝しています。だって、毎日太陽が昇ってすべてを照らしてくれるし、夜には美しい星を見せてくれます。晴れの日は身体を温めてくれるし、ときおり雨が降って大地を潤し、心を洗い流す時間をプレゼントしてくれるのです。暑い夏には、泳ぎに行ったり、夕涼みをして楽しむことができますし、冬は、スキーをしたり、温かい料理に心が和んだりします。おまけに、春や秋の、心地よい季節だってあるのです。ありがたいことに、この不景気の時代にかかわらず、忙しく仕事をさせていただいているし、家には家族が大勢いて賑やかで楽しいです。

仕事では、うまくいくときばかりではありませんが、自分なりに努力しています。
それに、愛する家族がいるから幸せなんだと感謝してがんばっています。
本当に、今、こんな幸せな町にいることに満足しているのです。

このふたりは、ずいぶん違う町に暮らしているようにも思えますが、実は同じ十日町で同じ家に住んでいるのだと言ったら信じられますか。そう、「幸福の国」と「不幸の国」の距離は、本当はゼロなのです。『幸福』と『不幸』は、コインの裏表のように、違っているように見えて、実は同じもののようですね。ただ、どうとらえるかだけの違いです。

「なじだね?新聞」55号掲載

第11号 2020年11月ニュースレターより

白血病のため8年間の闘病生活を送り、11歳で亡くなったA子ちゃんの闘病日記です。
私も含め、「感謝の気持ち」を忘れかけている人達へお届けします。

■十二月二日(木)
「今度の入院からはいろいろなことを学んだ気がします。今までやったことのない検査もいろいろありました。
でも、つらかったけど全部そのことを乗りこえてやってきたこと、やってこれたことに感謝いたします。 これはほんとうに、神様が私にくれた一生なんだな、と思いました。きっと本当にそうだなと思います。 もし、そうだとしたら、私は幸せだと思います」

■二月十日(木)
「早く左手の血管が治りますようにお祈りいたします。そして日記も長続きして、元気に食よくが出ますように。また、いつも自分のことしか考えている子にしないで下さい。」

点滴点滴の毎日で左手の血管が潰れ、文字は乱れていました。それでも一所懸命書いたこの一文に十一年間の彼女の人生が象徴されているようで、私(父)にはとても印象に残りました。

あれは彼女が亡くなる数日前のことでした。朝、妻に頼みごとをして仕事へ行きましたが、その日は検査や治療で忙しかったらしく、夕方私が病院に着いた時、まだ手つかずのまま残っていました。「きょうは忙しくてできなかった」と妻に言われ、一瞬ムッとした顔をしましたが、娘はそれを見て、「ママやってあげて。私のことはいいから」と言ったのです。命が尽きるその時まで自分のことだけを考えている子ではありませんでした。こんなに苦しい闘病生活を送らなければならない運命を恨みたくもなったでしょう。しかし日記には同じ病室の子どもたちを思いやる言葉や、苦しい治療に耐える強さをくださいという祈りの言葉、明日への希望の言葉、そんな強く美しい言葉ばかりが記されているのです。

*A子ちゃんの日記には、病気の事を恨むような言葉は一切なく、感謝の言葉で一杯だったそうです。

第10号 2020年10月ニュースレターより

「受けるよりは与えるほうが幸い」

ある年のクリスマスイブのこと、ポールは兄さんからクリスマスに新車をプレゼントしてもらった。ポールがオフィスから出てくると、街でよく見かける貧しそうな格好の少年が、そのピカピカの新車のまわりを見回していた。そして、ポールに話しかけてきた。「この車、おじさんのかい?」「ああ、兄貴からのクリスマスプレゼントさ」と、うなずきながらポールは答えた。少年はそれを聞いてひどく驚いた様子だった。「えっ?おじさんの兄さんがくれたって? おじさんは全然お金を払わなくてよかったの?うわあっ、すごいな?ぼく・・・」と黙ってしました。

「ぼくにも、こんな兄さんがいたらなあ」と言いたかったのだろう、とポールは勝手に思った。
ところが、少年の口から出た言葉にポールは耳を疑った。「ぼくね、おじさんの兄さんみたいになりたいなって思ったんだ」ポールは思わず、ポールは、自分でも思いがけない言葉が口をついて出ていた。「この車に乗ってみるかい?」「本当? ウン」車を走らせてまもなく、少年の目はキラキラと輝き始めた。
「おじさん、ぼくの家の前まで乗せてくれる?」ポールは思わずニヤッとした。きっとこんな大きな車で帰ってくるところを近所の人たちに見せて、自慢したいんだなと思った。しかし、その憶測はまたもやはずれた。「あそこに階段がついている家が見えるだろう?そこでちょっと待っててくれる?」少年は車を降り、駆け足で家に入っていった。

しばらくすると家の中から、ゆっくりとした足音が聞こえてきた。少年が身体の不自由な弟を背負って出てきたのだった。弟を階段の一番下に座らせ、車がよく見えるように弟の身体を支えた。「ほらバディー、見てごらん。さっき言ったとおり、すごい車だろ。そこにいるおじさんの兄さんがクリスマスプレゼントにくれたんだって。それも、まるっきりタダでくれたんだって。お前も、待ってなよ。兄ちゃんが、いつかきっとあんな車をお前に買ってやるからね。そしたら、いつも話してるクリスマスのきれいな飾りを、その車に乗って見に行こうね」

それを聞いたポールは何も言わずに車を降りると、少年の弟を抱き上げ、新車の助手席に座らせた。 目をキラキラ輝かせた少年もその横に乗り込むと、三人はドライブに出かけた。本当にすばらしいクリスマスのドライブだった。

第9号 2020年9月ニュースレターより

「『病気が早く治る人』と『なかなか治らない人』の違いって 」

それはね、人から体調を聞かれたとき、どう答えるかなんだよ。例えば、ある病院に、二人のおばあさんが入院しているとするよね。二人とも、同じ病気を患っていて、病気の進行具合も同じなんだよ。

お見舞いの人が、「あばあさん、体調はどうですか?」って聞いたとき、一人のおばあさんは笑顔でこう答えたの。「おかげさまで、昨日よりだいぶ良くなりました」もうひとりのおばあさんは、顔をしかめて、こう答えたんだよ。「お腹の痛みは治まったんだけど、まだ腰が痛くてね…。これ、いつになったら、良くなるのかしらね?」この二人のおばあさんは、どちらが早く治ったと思う?「おかげさまで、だいぶ良くなりました」って答えたおばあさんの方が、治るスピードがずっと早いんだよ。病気が良くならない人の特徴って、「まだ、ここが…」って答えるの。

自分の体調がいちばん良かったころと比べて、「あそこが痛い…」「ここが痛い…」って、痛いところを探しては、ずーっと言っているんだよ。痛い痛い…って言ってる方もイヤだけど、聞いてる周りの人もつらいよね。いくら自分が痛くても、人の気持を暗くするようなことばっかり言っている人って、天が味方してくれないよ。天が応援してくれるのは、治ったところを見つけて感謝して、「おかげさまで」って言える人なんだよ。「おかげさまで」という言葉は、漢字にすると「お陰さまで」になるよね。これって、「陰で動いたすべての力に感謝する」っていう意味なの。
いま自分が生きているその裏で、たくさんの人の力が働いているから、生きていられるんだよね。

『斎藤一人 人生がつらくなったときに読む本』より
「なじだね?新聞」40号より

第8号 2020年8月ニュースレターより

「-ある男の一生-」

21歳で事業に失敗する
22歳で選挙に落選する
24歳でまたもや事業に失敗する
26歳で恋人を亡くす
27歳でノイローゼになる
34歳で下院議員選挙に落選する
36歳で再び下院議員選挙に落選する
45歳で上院議員選挙に落選する
47歳で副大統領になりそこなう
49歳で上院議員に落選する
52歳で16代アメリカ合衆国大統領に就任

彼こそ、エイブラハム・リンカーンです。*彼の直系の子孫は断絶していますが、母方の子孫には、映画俳優の”トム・ハンクス”がいます。
昔、松下電器(現 パナソニック)を創業した松下幸之助さんに、記者が成功の秘訣を聞きました。その答えは「成功の秘訣は、成功するまで続けること」と答えています。
サイクロン掃除機の発明で有名なジェームズ・ダイソンも、5126個の試作品を作っては壊し、5127個目で現在のスタイルに辿り着きました。

「なじだね?」新聞 63号掲載

第7号 2020年7月ニュースレターより

「ものごとは考え方次第でいくらでも変えることができる」

居眠り学生が、授業が終わってしまった後に黒板を見ると、2つの問題が書き残されていました。 学生はその問題が宿題だと思って、先生が、宿題を終えられなかった学生に厳しい対応をするということもあって、懸命に取り組みましたが、どうやっても1問しか解くことができませんでした。

次の授業の際、学生は先生のところへ宿題を終わらせることができなかったことを謝りにいきました。すると先生から“板書した2問の問題は、宿題ではなく、数学界に長年存在する未解決の難題を示しただけだった”ことを告げられました。居眠り学生は多くの数学者が長い時間をかけても解決することができなかった問題の1つを、解くことができたのです。

もし、この学生が居眠りすることなく授業を受けていて、“未解決の難題”として問題を紹介されていたら、彼はこれを解くことはできなかったでしょう。“宿題なんだから…解けるはず!”という思いが不可能を可能にした、ということがいえますね。
あなたは、自分で自分に限界を決めていませんか?

第6号 2020年6月ニュースレターより

「奇跡を生んだ大芝居」

1942年イタリアでの田舎での出来事です。ユダヤ人のスッシはナチス支配下のドイツから脱出し、イタリアへ逃げてきていました。イタリア国内を3年も転々していました。
当局の追及を逃れる移動中の電車での出来事です。

突然車両のドアが開き、二人の警官が入って来ました。スッシは突然の出来事で凍りつく中、
警官は乗客一人一人の書類を点検し始めました。当然、彼女は書類などは持つはずもなく、捕まれば当然死刑でした。警官が次第に近づく中、彼女の様子の異変に気付いた隣の男性がやさしく尋ねてきました。

「私はユダヤ人です、ですから書類などは持っていません」とやっとの思いで答えました。
すると、驚いた事に突然、男性は彼女に向かって怒鳴りはじめました。
「このバカ!なんてことだよ!本当にお前はドジな女だ!」「だからちゃんと出かけるときに
確かめろと言っただろう」

騒ぎを聞きつけた警官が慌てて近づいてきました。「どうしました?」と尋ねると。
「おまわりさん、こいつを捕まえてください。女房ときたら、自分の書類を忘れてしまったんです。いつも忘れ物ばかりで、もう、うんざりです」と息巻いて訴えました。
驚いた警官は「まあまあ」と彼をなだめ、「わかりました。今日は結構です」と言って、他の乗客の検閲に戻りました。

スッシは危機一髪の所で、難を逃れましたが、あまりの恐怖でその後も泣き続けました。
目的地まで男性は同乗して、名前も言わずに彼は降りて行ったそうです。

「なじだね?」新聞 37号掲載

第5号 2020年5月ニュースレターより

「お金より大切なもの」

私が小学生の頃、学校に住み着いていた子猫がいましたが、いつまでも学校へは置いておけません。保健所へ連絡し処分も検討されました。しかし、飼い主が見つからなければ、処分されます。その上、保健室の先生は「この猫は体が弱いから長生きしないだろう」と言っていました。
「私だったらき っと大事にして長生きさせてみせる!」と言って、家に連れて帰りました。

しかし、私の家は裕福といえる家庭ではなかったので、両親から大反対。私は泣きながら「迷惑かけないから!私のごはんを少しあげるから」と強引にお願いし、なんとか飼えることになりました。しかし、数日後、先生の言ったとおり、猫が病気になってしまいました。動物病院に連れて行きたかったのですが、両親に言えば怒られると思った私は、こっそりとある動物病院に電話をしてみました。すると、「今すぐその猫を連れてきなさい。お金は後でいいから」と言われ、すぐに猫を連れて行きました。

とても親切な先生で、三日間入院させてもらった結果、すっかり猫は元気になりました。「お金は本当に後でもいいですか?」と聞くと「来年のお年玉で少しでも払ってくれたらいいよ」と、言ったので、翌年、私は少ないながらも、お年玉の全額を病院に持っていきました。 すると、先生はそのお金をもらった後、そのお金を封筒にいれ、「お年玉」と言って、わたしに渡してくれました。私が受け取れないと伝えると先生はこう言いました。 「こんど、君みたいに困っている人がいるときにこのお金を使いなさい。私はお金よりも大切なものを君から教えられたから」と言ってくれました。私は号泣しました。これがきっかけで、今は人助けをする仕事をしています。

第4号 2020年4月ニュースレターより

「本当のかっこよさとは?」

以前、サッカー選手のキングカズこと三浦和良さんのかっこいい話を書きましたら、評判が良かったので別のエピソードを書きます。ある親子の体験談です。

キングカズさんが読売ヴェルディ時代の事です。サッカーをしている息子を連れて試合を見に行った時の事です。その当時カズさん絶大な人気でしたし、その日の試合では2得点ゴールをしました。「あれだけ人気なんだからきっと天狗になって調子こいたヤローなんだろうな」と思っていた。

試合が終わり、息子が、どうしてもカズのサイン欲しいと言うので、近くに居たファンに「どうしたらサインをもらえますか?」と聞いたら「チームバスで来ていたら、それに乗り込む時にもらえるかもしれませんよ」と教えてもらい、そこに連れて行ってもらいました。するとカズさんが現れた。

前の方にいた息子と自分は、周りの黄色い声に、圧倒されてたじろいでいました。そして息子は、怖くなって色紙とサインペンを持ちながら泣いていました。そしてカズさんが、前を通り過ぎようとしていた時、 勇気を振り絞って息子が、色紙とサインペンを一生懸命差し出すも、近くに居た、ギャルっぽい女が息子を押しのけて、サインをもらおうとしたその時、カズさんが言ってくれたのです。

「小さい子供いるのが見えないのか?」と。そして、息子の頭をなでて、満面の笑顔で「大きいサインあげるから泣かないで」と、 色紙いっぱいにサインしてくれた。そしてさっきの女がサインもらおうと、カズに差し出すも、カズは無視。バスに乗り込んで行きました。

私は、それ以来熱狂的なカズ崇拝者です。その後息子は中学生になり、サッカー部に入部。背番号11FWとして、活躍している。 かっこいいカズさんにあこがれて・・・

「なじだね?」新聞 35号掲載

第3号 2020年3月ニュースレターより

「成功するユダヤ人が使っている言葉」

ユダヤ人は世界人口の 0.25%しかいないのに、ノーベル賞受賞者の 27%、チェス世界チャンピオンの 50%がユダヤ人で占められています。そして、世界の大富豪にも数多くのユダヤ人がいます。なぜ、ユダヤ人は優秀なのでしょう?そのヒントが今回のお話です。

では、まず質問です。 いいことが起きた時どのように言っていますか? 口に出さないまでもどんな風に思っていますか?「A:今日はたまたまいいことがあった。」「 B:おっ!いつもいいことが起きる。」さあどちらでしょうか? 勘のいい方は既に分かっていると思いますが 成功するユダヤ人は Bの 「おっ!いつもいいことが起きる」「またいいことがあった」という言葉を使っているのです。
では、次に、嫌なことがあった時どんな言葉を使っているでしょうか? 自分がどんな言葉を使っているか考えてみてください。「A:また悪いことが起きた。」「B:たまたま偶然悪いことが起きた。」 さあ、どちらでしょうか? もうおわかりになられていると思いますが成功するユダヤ人は B です。「また」と「たまたま」とちょっとたいした言葉ではありませんが、 使う場所で、ものすごい大きな差となってくるのです。

昔、ある営業マンが 1ヶ月の売上がトップだったときに、上司が営業マンにこういいました。 「さすがだね~来月もできるから期待してるよ」というと、「たまたまですよ。たまたま。」
この営業マンの次の月の成績は、自分の予言通りたまたまでした(笑)こんな言葉使ったり、聞いたことありませんか?

ぜひ、「いつも」「また」 と「たまたま」と使い方を意識して変えましょう。 すでにやっている方は、さらに意識的にやってみることをおススメします。

「なじだね?」新聞 34号掲載

第2号 2020年2月ニュースレターより

ニューヨークの高校の先生は、卒業を迎えた、生徒を順番に一人ずつ教壇に立たせ、「あなたは、先生にとってもクラスのみんなにとってもかけがえのない人です」と言って、『かけがえのない人』と書いたブルーリボンをプレゼントしたのだった。

先生はこのブルーリボンを学校の外にも広めることにした。地域がどう変わるかを調べようと考えたのだ。そして、生徒全員にブルーリボンを三本ずつ渡し、こう言った。
「学校以外で、自分が大切だと思う人のところへ行って、このリボンの意味を説明した上でプレゼントしましょう。」

ある生徒は、以前、進路の相談にのってくれた会社の主任に会いに行った。一本のリボンを主任のシャツの左胸にとめ、残りの二本のリボンも渡して言った。
「僕のクラスでは、卒業プロジェクトとして、自分にとって大切だと思う人に、このリボンを渡しています。あなたも、自分にとって大切だと思う人に、このリボンをプレゼントしてください。もう一本のリボンは、次の人のためです。」

主任はリボンを渡そうと、自分の上司のところへ行った。彼の天才的な創造力を常日頃から深く尊敬していると告げ、上司の上着の左胸にリボンをつけると、残りの一本も渡して言った。
「このリボンをあなたが大切だと思う人に渡して欲しいのです。私に最初にリボンを持ってきたのは高校生で、このブルーリボンの輪を広げ、周囲がどう変わるかを調べるのに協力していただけますか?」

その夜、この上司は家に帰ると、14歳の息子を呼んで話し始めた。
「今日、信じられないことがあったんだよ。部下の一人がやって来て、このブルーリボンで敬意を表したいって言うんだよ。考えてもみなかったな。ほら、リボンには『かけがえのない人』って書いてあるだろう?このリボンをつけてくれた後で、もう一本くれたんだ。パパにとって大切な人にプレゼントするようにってね。車の中で、君のことを思ったんだよ。君にこのリボンを進呈しよう」

また彼はこう言った。「忙しくて時間がないことを理由に、今までお前のことを全然かまってあげなかったし怒ってばかりいたね。でも、今夜のパパはいつもと少し違うんだ。パパにとって、君はママと同じように、お前も、パパの1番大切な人なんだよ。お前は本当にいい子だ。愛してるよ」

それを聞いて息子はビックリして涙ぐんでいたが、やがて身体を震わせ大声で泣き出した。涙をいっぱいたたえた目で父親を見上げると、声も切れ切れに言った。
「パパ、僕、あした自殺しようって考えていたんだよ。パパは僕のことなんか愛していないって、いつも思っていたんだ・・。でももう、自殺はやめたよ。だって、もうパパが僕を愛してるってわかったんだもの」

ニューヨークで実際に起きた「愛の奇跡」です。

第1号 2020年1月ニュースレターより

*「心のスイッチ」を書き始めるきっかけになったお話です。リニューアルを機会にもう一度紹介します。
ハンカチをご用意ください。【ある小学校で、実際にあったお話です】

クラスの生徒の一人に体の弱い男の子がいました。その子の母親は、いつも息子のことが心配だったらしく、ある日、先生に相談をしに行きました。
母親「先生!いつも大丈夫かな、大丈夫かなって、心配しているんですけど、うちの子は、大丈夫なんですかねぇ」
先生「そうですねー、先日、クラスの皆が野球をしていたんです。 その時の話をしましょう」

その日、生徒たちがグラウンドで野球をしていたのを、私は教室の窓からずっと眺めていました。みんな楽しそうにしていたのですが、息子さんは、外野の外野を守っていました。(=球拾い)でも、なかなか球は飛んで来ませんでした。結局最後まで、一度もボールに触る事はありませんでした。また、バッターボックスに立つどころか、バットにも触れてなかったと思います。
そして、チャイムが鳴って皆が教室に帰ってくると、皆は、私に向かって「先生!俺、ヒット打ったんだよ!」とか 僕は、あの子を三振にしたんだよ!!」とか「僕は、盗塁をしたんだよ!」など 何人もの生徒が、楽しそうに言ってきました。しかし、一人だけ、皆とは違うことを言う子(息子さん)がいたんです。その子は、何と言ったと思いますか?

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