「体はこうして癒される」(サンマーク文庫)の著書・大塚晃志郎氏(ホリスティック医学研究所所長)のブログ・ 「原爆で被爆しても原爆症が出なかった人たち」から引用します。
引用元はこちらです。→http://otsukako.livedoor.biz/archives/30327358.html
このブログの中で、「死の同心円―長崎被爆医師の記録」(著書・秋月辰一郎)の本の内容が引用されています。
この秋月辰一郎氏は、以下のような方です。
1916年~2005年。長崎市万才町生まれ。当時の浦上第一病院医長。'52年に聖フランシスコ病院医長、'86年顧問。 爆心地から1.4kmで被爆、医師として被爆者の治療に当る一方、永年に渡り被爆者の証言の収集を行った。 吉川英治文化賞、ローマ法王庁の聖シルベステル勲章、他。
では、以下です。
1945年8月9日、長崎に原爆が投下された。その爆心地から、たった1.8kmのところで、当時聖フランシスコ病院医長であった秋月辰一郎博士と病院関係者は全員被爆した。
博士は焼けただれて痛がる人々に、「水を飲んではいかんぞ!」と大声でどなった。おそらく直観的に、血液の濃度を保ち、血液を水でうすめることなくガードしようとしたのだろう。 ((注)たしかに戦地で、傷の深い重傷の兵士に水を飲ませると、すぐに死んでしまうという記録がある)
さらに博士は、次のように職員に命令したという。
「爆弾をうけた人には塩がいい。玄米飯にうんと塩をつけてにぎるんだ。塩からい味噌汁をつくって毎日食べさせろ。そして、甘いものを避けろ。砂糖は絶対にいかんぞ」 (秋月辰一郎著「死の同心円-長崎被爆医師の記録」)
「放射線宿酔」と呼ばれる、レントゲンを受けたあとに起こることがある全身の倦怠や筒宇などの症状には、体験上、生理食塩水より少し多めの塩分を含んだ水を飲むとよいということをとっさに思い出し、原爆の放射能から体をガードするには、塩が有効であることを推理したのだ。
みそ汁の具は、カボチャであった。のちにわかめのみそ汁も多くとったらしい。砂糖を禁じたのは、砂糖は造血細胞に対する毒素であり、塩のナトリウムイオンは造血細胞に活力を与えるという、彼自身の食養医学によってである。
すると、どうであろう。そのとき患者の救助にあたったスタッフらに、原爆症の症状が出なかったのである。ふつうなら、しだいに原爆症の症状が出て、進行してしまうところなのに、彼らはそれからのち、ずっと現実に生き延びているのである。
このことは、私にとって大きなショックであった。食というものによる、見かけからはなかなかわからない「体質的な強さ」というものの思い価値を知り驚嘆した。ちょっとした体質のガードが、明らかに生と死を分けているからである。博士は人間の体質にとって、みそが実に大切であることを説き、のちにこう語っている。
「この一部の防禦が人間の生死の境において極めて重要なのである」(秋月辰一郎著「体質と食物」クリエー出版部刊)
博士の書いた「長崎原爆体験記」(日本図書刊行センター刊「日本の原爆記録」第9巻に所収)という本の英訳版が欧米で出まわり、チェルノブイリ原発事故のあと、ヨーロッパで日本の「みそ」がとぶように売れたということはあまり知られていない。
(中略)
秋月博士は、「体質医学」の大切さを主張し、次のようにいっている。
「それは、人間の体質を作り変えることが医学の本然の姿であるという信念による。人間の体質を作り変えて、病気にかからなくてすむ身体、また病気にかかっても軽くて治る身体になることである。また、慢性疾患に罹患していても、体質を変えていつの間にか病気が離れる身体になる、この医学である。」(「体質と食物」)
(中略)
「塩と玄米とみそ汁が、放射能の害から命を守っただって?まさか、そんなバカなことが!そんな簡単なことで原爆症を免れたなら、医者なんていらねえよ!」と、きっと皆さん、思われたに違いない。私も、最初、同じように思いました。しかし、実は、一見、簡単そうに思えることの中に、実は深い意味が隠されているものなのです。とくに生命に関しては。
---- チェルノブイリ原発事故のあと、ヨーロッパで日本の「みそ」の輸出が増えたというのは事実のようですね 。
玄米、味噌などの発酵食品、天然の塩などによって、腸内の乳酸菌が活性化して、放射能を吸着除去排出したのではないかと思います。
秋月氏の情報はソ連のチェルノブイリの対策に使われていて、味噌の輸出が増えたり、ロシアではアニメ化されてるほどの恩人になってるそうです。
*真偽のほどはわかりませんが、健康に対する発酵食品の効果を証明した出来事だと思っております。放射能の対策だけでなく、毎日の健康対策のために発酵食品を食べるようにしましょう。